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旧大隈重信別邸・旧古河別邸見学(大磯散策その2)

東京から東海道線に乗り平塚を過ぎると進行方向右手に高麗山というのが見え、そこから小田原の手前の国府津あたりまで右手は山というか丘陵地帯が続きます。関東平野は冬は北西からの冷たい風が吹き地域によってはそれをからっ風などというのですが、平塚の次の駅の大磯はちょうど丘陵地帯が北西からの冷たい風をブロックするカタチになるので冬の避寒にはもってこいで、ゆえに明治以降、大磯は東京在住の要人の別荘地としての側面を持つようになります。戦前の別荘のいくつかがいまでも現存し復元改修ののち公開されていて、旧大隈重信別邸・旧古河邸もそのひとつで、日曜に見学しました。名前を二つ書いているのは大隈重信のあと古河財閥の古河さんが購入し別邸としていたためです。

玄関前には屋根付きの車寄せがあり

玄関からそう遠くないところには大広間があります。この大広間、かなり天井が高くとってあり

鴨居の上の欄間の障子もかなり大きめです。

大広間の南側は畳敷きの広縁と椅子が置かれた板張りのテラスになっていて居心地はきわめてよさそうで、そして鴨居の上の欄間は南側からの採光をちょっとでも大広間に入れるためのもの、という苦心の跡であることが読み取れます。天井の等間隔に並んだ垂木状の木材は和建築っぽく感じられるのですがどこかモダンに思えくわえてガラスが洋風なので

古びたふいんきというか雰囲気がまったくしない不思議な空間になっています。強いて言えば椅子がジャマな気がしないでもないのですが、大隈侯はテロにやられて足が義足で不自由であったのでおそらくそこらへんを考慮したのかなあ、と。なお、玄関と風呂以外は見事なまでに段差がほぼありません。

神代の間という神代杉を利用した客間ではない部屋なのですが、内側の障子と外側の独特などこか中国格子っぽい障子枠にガラスをはめ込んだ窓の対比がちょっと不思議なふいんきというか雰囲気を醸し出しています。

竹をそのまま使ったの床の間が目をひきますが、個人的にはどうしてもその隣の廊下との接続部分に目が行きます。やはり段差がありません。火鉢と座布団が置いてあって、火鉢でなんとかなる暖かさだったのかな、と。

神代の間がある部分を外から眺めた一枚なのですが、ひさしが長く、外側の廊下には陽が差しこみ、巧い具合に神代の間には陽ざしが入らない設計のようで。でも北面以外をすべてガラスにしてあるので温室に居るのに近いはず。

風呂は大理石と十和田石という秋田の石材で構成されていて、十和田石は滑りにくいので足が不自由なことを考えるとそのチョイスはなるほどなあ…と腑に落ちますが、浴槽をまたぐ形ではないにせよ、それほど深くはないかわりに手すりもない丸い浴槽をながめてて大隈侯がどうやって入っていたのかがわからず。「だれかがお嬢様抱っこのように抱えてとか?」「浴槽内に椅子を置いたとか?」とあれこれ云っていたのですが、正解はわからず。ここらへん施主の大隈侯や設計施工した当時の人の頭脳に追いついていない証拠なのですが。

見学していて、途中から細かな意匠よりも段差の無さに目が行き大隈侯が足が不自由であったことに思い至り、そこからどのように使われていたか?とかに焦点がいってしまったのですがってそれはともかく、時間泥棒な場所でした。蛇足ですが恐ろしいことにいまのところは無料です。

建物の前は松林を中心とした広大な庭園が広がりますが、残念ながら海は見えません。なお旧大隈別邸のほかいくつかの別荘と庭園を明治記念大磯庭園として整備する予定で、完成にはまだいくらか時間がかかりそうです。




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