
自分の人生を振り返ってみて「一番楽しかった時代は?」と聞かれたら、やっぱり大学生時代を挙げると思う。大学生という時代は、後にも先にも日本国民の三大義務(納税の義務、勤労の義務、教育の義務)から最も解放される瞬間であることは間違いない。アルバイトでお金を稼いでも(アルバイト程度であれば)納税の義務はなく、働くのが嫌だったら別に無理して働かなくてもいいし、勉強したくなければ街をぶらぶらして本屋で立ち読みしたって誰にも迷惑をかけないし全然構わない。自由になるお金と時間がたっぷりあって、誰からも嫌なことを強要されることがなく、友達や恋人と楽しく過ごせた6年間(医学部なので)はやっぱり特別な時間だったと思う。
ELTのヒット曲に「朝までファーストフードで〜♪」というのがあるが、ファーストフード店でたわいも無い話を朝までやってたことなんて普通にある。安っぽい居酒屋で飲み会をする時なんて、最初から店のおばちゃんが瓶ビール1ダースとリバース用のバケツを準備してくれていた。大学生の頃、僕はいろんな飲み会に参加していたので、いく先々でお店の人に顔を覚えられていた。そして各飲み会では率先してお酒を飲み、いつも新作の掛け声を準備して臨んでいたので、顔と名前が一致しない同じ大学の学生に「あ、キャプテン!いつもお世話になってます!」と声をかけられることもよくあった。
飲み会の翌日に目が覚めたら、駅前の百貨店の入り口付近で一夜を明かしていたということもあった。もちろん、酔っ払って噴水に飛び込んだこともあったし、仲の良い友人と一晩でバーボンのボトルを一本空けて、明け方のコンビニで買ったカップラーメンを啜りながら朝日を拝んだこともあった。大学とはそういうところであり、社会に出る前の最後のオアシスだと確信しているし、自分の子供にもそう言って聞かせている。

とは言っても最近の大学は、講義への出席がかなり厳格にチェックされるようになっていると聞いた。僕たちが大学生の頃は本当に緩かった。それなりに出席を強要される講義もあったが、基本的には勉強したくない奴は単位が取れる程度のことをやっていればよかったし、出席確認のための代筆・代返なんて僕たちにとっては当たり前だった。学生の名前一人ずつ呼ばれ、それに対して「はい!」と返事をするタイプの出席確認は時々ハプニングが起こって面白かった。「〇〇くん」→「はーい」、「▲▲さん」→「はい」、「□□くん」→「はーい①」「はい②」「はっ…ぃ③」と、明らかに返事の数が多いやつが大抵一人はいた。そいつは必然的に欠席の烙印を押されていた。
教授が教室全体を見渡して、出席確認できた学生と自分の名簿に◯マルをつけた数が明らかに乖離していても「ま、いっか」みたいな感じで講義が始まる。教授的には自分の講義をちゃんと聴いてもらえることよりも、自分の買いた売れない本(社会学であったり哲学史であったり)を学生が購入し、少しでも印税の足しになってくれる方が教授にとって大切なことだった。ちなみのそのタイプの講義は教科書さえ買えば、ほぼ確実に単位が取れる講義でもあった。
語学は必修の英語を含めて2つ履修しなければならなかった。ほとんどの学生は第二語学に対して全く興味を抱かなかった。なので、できるだけ単位を取得しやすい語学に集中した。人気のある語学は最終的に抽選になる。一番人気だったのは中国語だ。4つの音の練習と、簡単な中国語会話ができるようになればそれでオッケー。ドイツ語やフランス語みたいに本気で語学の勉強をしなくて良いということは、入学時のリサーチで判明していた。旅行するなら中国よりも絶対にヨーロッパだよね!みたいな女子たちも、悪魔に魂を売るかのように中国語を選択した。僕は中学生の頃から中国史にすごく興味があったので、単位を撮るためだけに中国語を選択するようなヨーロッパ女子たちなんかに、中国語を譲るわけにはいかなかった。そして抽選で彼女たちを打ち負かすことができた。
中国語の講師は若い女性の先生であった。ここではマー先生と呼ぶことにする。中国語のテキストは薄っぺらで、しかも辞書を買わなくてよかった。抽選に負け、ドイツ語やフランス語を選択せざるを得なかった不運な奴らは数千円もする辞書を強制的に買わされていた。大学生にもなって、あのクソ重い辞書を常に持ち運ばなければならないなんて…。中国語が”天国”なら、ドイツ語とフランス語は”煉獄”と”地獄”のように見えた。彼(彼女)らは、ピラミッドを作るために重い石を運び続けていた古代エジプトの奴隷のようだった。そして奴隷のように死んでいく(=単位を落とす)奴もいた。

僕たち中国語選択者は、明らかに勝ち組であった。マー先生は美人で優しくて、今まで単位を落とした学生は一人もいなかった。その美人のマー先生の講義で一番印象に残っていることがある。それは「破裂音」の練習で起こった。その日、マー先生はティッシュペーパーを一箱用意してきて、学生一人一人にティッシュペーパーを一枚ずつ取らせた。とても寒い冬の日であったと記憶している。マー先生はティッシュペーパーを自分の口の前に被せて、「プフッ」と得意の破裂音を披露した。ティッシュペーパーはマー先生の破裂音で風に吹かれたふんどしのように舞い上がった。そしてマー先生は僕たち学生にティッシュペーパーを使った破裂音の練習を開始させた。
教室のあちこちで「プッ」「ぷっ」「ぷふっ」といろんな破裂音が鳴り始めた。マー先生は「そうそう、上手です、その調子です」と言いながら、破裂音の鳴り響く教室を悠々と歩き始めた。と、その時である。教室の後の方から「ブーっ!ブブゥーっ!!」と思いっきり鼻を噛む音が鳴り響いたのである。音の犯人はマー先生が配ったティッシュペーパーでおもむろに鼻を噛んだのであった。そいつの周りからクスクスと笑い声が起こり始めた。マー先生はそいつの方を見た。そいつは折りたたんだティッシュペーパーで「ブッ!」と追い鼻噛みをした。するとマー先生は突然踵を返し、自分の教卓の方へ足速に帰った。教卓まで戻ったマー先生はこちらを振り向いた。マー先生の顔は真っ赤になっていて、笑いを噛み殺すために引き攣って歪んでいた。何か喋ろうとしたマー先生。本来ならその鼻を噛んだ学生を注意しなければならないのであるが、笑いを堪えることができなくなったマー先生は自分の教卓の下へと沈んでいってしまい、その教卓の向こうから「クククク…」というマー先生の不気味な笑い声が聞こえてきた。それを聞いた前列の学生も声を押し殺しながら「ククク…」と笑い始めた。30秒ほどしてマー先生は教卓の下から姿を表したが、出てきた瞬間に思い出し笑いをし始めてしまい、再び教卓の下へ避難してしまった。無限笑い地獄である。そしてその日の中国語の講義は終了となってしまった。
大学にはいろんな学生がいるし、いろんな教育者がいる。以前の記事「キャラメルの包装紙1枚でお尻を拭く方法」で紹介した教授なんて、その最たるものかもしれない。繰り返しになるが、大学時代は、後にも先にも日本国民の三大義務(納税の義務、勤労の義務、教育の義務)から僕たちが最も解放される瞬間である。だから面白い。

それではまた^ ^