昨日は晴れ。今日は晴れのち曇り、一時雷雨。
昨日、今日と暑い日が続いている。12日頃は暑さも緩んで、そろそろ秋へと突入かと思っていたところ、また暑さがぶり返している。
今夕は雷雨があり、このところ天候が不安定のようである。
そんな折、昨日の「夕焼雲」は見応えがあった。

今夕は、工事現場の砂が上空に舞い上がった「砂嵐」を目撃した。

さて、アジアの歌姫「テレサ・テン」が1981年に歌唱していた、次の「ジェルソミーナの歩いた道」(作詞/門谷憲二、作曲/丹羽応樹、編曲/羽田健太郎or京健輔。)という名曲がある。しっとりと哀調に満ち溢れた傑作中の傑作品と思われる。
https://www.youtube.com/watch?v=zYEbyt8DHYY
https://www.youtube.com/watch?v=uh-ISRuDQWo
https://www.youtube.com/watch?v=2WoBT_C7N3U


歌の女主人公が、ジェルソミーナの歩き続けた道と重ね合わせて力強く生きようとしている。それは、歌詞のサビ部分「ジェルソミーナの歩きつづけた 涙と微笑みの道を 私も今歩き始める 両手を広げて」からも窺われる。
それにしても、そのジェルソミーナがどんな女性で、どんな道を歩き続けていたのかは、「ジェルソミーナの歩いた道」の歌詞から不明である。
そこで記憶を蘇らせると、1954年のイタリア映画「道」(監督/フェデリコ・フェリーニ)に登場する「ジェルソミーナ(Gelsomina)」であった(日本公開1957年)。
想ひ出の名曲を辿るジェットの旅(4)~「ジェルソミーナの歩いた道」~ - 諦観ブログ日記(2019年10月11日)
この映画は、1954年ヴェニス国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞受賞、1956年アカデミー最優秀外国賞受賞している名作である。
作曲を手掛けたのは「ニーノ・ロータ」で、映画音楽はすべてインストゥルメンタルである(後に、ミケーレ・ガルディエーリが作詞して、ニッラ・ピッツィらが歌唱)。
https://www.youtube.com/watch?v=Mc3y7hLuKpc
https://www.youtube.com/watch?v=9tKHq4wXRZI(ニッラ・ピッツィ歌唱)
https://www.youtube.com/watch?v=q49wU3Ua6Us(ポール・ポッツ歌唱)
https://www.youtube.com/watch?v=RQ3e850_9f4 (美輪明宏歌唱)
この名作映画のあらましは次のとおりである。
https://www.youtube.com/watch?v=YEO2h9mcjxg
このストーリーを端的に言うと、体に巻いた鉄鎖切り(※1)の大道旅芸人「ザンパノ(アンソニー・クイーン)」に売られた「ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)が道化師として、ザンパノと方々を旅する道中で起きた悲惨な出来事である(※2)。


粗暴なザンパノに付きしたいながら、辛抱強く無邪気に明るく生きようとするジェルソミーナの姿が観衆の涙を誘っている。
最終場面では、ジェルソミーナがザンパノによって置き去りにされた数年後、ザンパノはジェルソミーナの好んでトランペット演奏していた曲を、村娘が口ずさんでいるのを聴いた。そして、その村娘からジェルソミーナの死を聞かされて浜辺で大号泣する、という場面でこの映画は終了している(※3)。


この映画のメッセージ性の一つは、ジェルソミーナがサーカスの綱渡り芸人「イル・マット(リチャード・ベイスハード)」から言われた「ただの小石でも、この世にあるものは何かの役に立つ」であろうか。そして、題名の「道」とは、同じ道をぐるぐる回るという、堂々巡りの「循環した人生の道」であろう。

※1 体に巻いた鉄鎖そのものを切るのでなく、実際は鎖と鎖を繫ぐ留め金を外すというもののようである。
※2 ジェルソミーナが、過酷な状況下でも明るく純真無垢でいられたのは、知能指数が少し低かったからでないだろうか。
なお、ジェルソミーナに扮する「ジュリエッタ・マシーナ」は、フェリーニ監督の妻である。
※3 ザンパノはジェルソミーナが好んで演奏していた曲を切っ掛けに、彼女の死を知り、この切ないメロディが余計に観衆の涙を誘っているのは、この映画の素晴らしさを物語っている。しかも、ザンパノの後悔による慟哭の中、余韻を残した終わり方になっているのが特に印象的である。