今日は晴れ時々曇り。
今夕、寒風の中をジェット旅客機が飛行機雲を帯同させて飛んでいた。
その様子は次の写真(3枚)のとおりである。



空を見ても、如何にも寒そうな感じがする。
レトロなラテンポップスの名曲をYouTubeでググり続けていると、ウルグアイのソフトロックバンド「 Los Iracundos(ロス・イラクンドス)」が歌唱している、「Puerto Montt(プエルト・モン)」に聴き入った。
https://www.youtube.com/watch?v=KIv-BYvculU
この名曲を作詞・作曲したのは、Los Irucundosのボーカル「Eduardo Franco(エドゥアルド・フランコ)」&同マネージャー「Cacho Valdez(カチョ・バルデス)」である(https://www.youtube.com/watch?v=gTpvz9X6ENI)。

1964年、Eduardo Francoを主要メンバーにした、ロックバンドグループ「Los Iracundos」が南米アルゼンチンで改名・誕生した。その後の1968年、彼が20代前半の時に作曲した「Puerto Montt」が大ヒットした。これによりこのバンドは人気を不動のものにした。
この曲は海を渡って、トルコの歌姫「Ajda Pekkan(アジタ・ペッカン)」により、トルコのみならず日本でも歌われ、名曲は世界を駆け巡った。
https://www.youtube.com/watch?v=bfsh5xSuB4Y
https://www.youtube.com/watch?v=xH3hR5dO1TM
https://www.youtube.com/watch?v=oeAr3F2rYY0
ところが、1989年2月、彼は癌により43歳の若さで死亡した。
「Los Iracundos」は、主要メンバー「Eduardo Franco」亡き後も現在に至るまで、バンド誕生当時のメンバーを変えながら活躍している(※1)。
それにしても、半世紀以上も続く息の長いロックバンドである。
※1 過去頻繁に新結成&解散を繰り返して来た日本のロックバンドの例で言えば、グループサウンズ「ザ・タイガース」が約3年、1974年デヴューの「THE ALFEE」は50年、イギリスの例で言えば、ロックの王様「ビートルズ」が約8年、1962年結成の「ローリング・ストーンズ」は60年以上である。
最後に、ウルグアイ(※2)のソフトロックバンド「Los Iracundos(ロス・イラクンドス)」が歌唱している、次の6曲を紹介して、本記事を終える。
❶ 「Aquíe Estoy,Con los Brazos Abiertos」(1973年)
https://www.youtube.com/watch?v=NlTEQlMzi4I
https://www.youtube.com/watch?v=XB1A_sEw24A(ただし、Iracudo Gatto歌唱)
❷ 「Las Puertas Del Olvido」(1984年)
https://www.youtube.com/watch?v=Mlv0tV2UDtA
https://www.youtube.com/watch?v=xaLVnHyqLXQ
❸ 「Ahora o Nunca」(オーソレミオ)
https://www.youtube.com/watch?v=7C3WwdhTmQU
❹ 「Más Que Un Loco」
https://www.youtube.com/watch?v=Gi3-W8zh5lw
https://www.youtube.com/watch?v=6lVAy3DDPAI(ただし、アルゼンチンのシンガーソングライター「レオナルド・ファビオ-Leonardo Favio」歌唱)
❺ 「Poemas De Luna」
https://www.youtube.com/watch?v=Qik7eiu_9Ts
❻ 「Soy Un Mamarracho」
https://www.youtube.com/watch?v=CyfrF0uQ3LM
※2 南米諸国の中でも日本人にほとんど馴染みのない「ウルグアイ」にあって、最も知られているのが、世界一貧しい大統領の異名を持つ「ホセ・ムヒカ(José Mujica)」元大統領(在任期間/2010年~2015年)であろうか。
政治姿勢は中道左派路線。ウルグアイは、彼の政治により一人当たりのGDPが南米トップを記録し、彼が貧困率を下落させて国民を豊かにさせたという。

https://www.youtube.com/watch?v=Njk2jV1vBtc
しかも、支持基盤であった貴族労組の公務員労働団体等に対しても、是正すべきはハッキリと物を言ったそうである。
彼の個人資産は旧式の自家用乗用車、トラクターと農地のみで、質素な郊外の住居で暮らしている。あまつさえ、給与の約9割を貧しい人に寄付しさえもしていた。
そして彼の生き様には「謙虚であれ」「足るを知る」等が窺い知れる。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2024/02/06/37265.html