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つれづれ13 思想のこれから

寝付けないというか、大分早めに中途覚醒してしまったので、AIを使って遊んでいました。書いた文章がこれです。私の書いた文章の後に、AIが添削したものを貼っています。なかなか面白いですね。又、続きが書けたら今まで書いた文章も含めて考え併せて投稿したいと思います。

 

人生の基本的知識について
人間は肉体の制約を受けているので、肉体を生存させる為に必要な事を基本とする。
食事、睡眠、運動、休息など。
一方で、人は様々な側面からかくあるべし、このように生きるべきなのだという事を主張する。
ある人々は、正しく生きる事によって、死後の楽園に行くという事を主張し、逆に、過剰に禁欲的に生きても意味がなく、生存している間の幸福感こそ全てだという人々もいる。又、他方ではそのような宗教的哲学的な制約は建前に過ぎず、人間は各々自分の責任で自由に生きるべきだという人もいる。
それぞれの立場が、他者との関係の中である程度、調整的倫理を主張するが、人はそれぞれバラバラな生き方をしていて統一はされていない。
何が究極的に正しく、どのように生きれば完全に幸福になれるのかの道筋が、いわば「光り輝いて」見えたりはしない。
つまりそれは不明瞭と言う事である。そして人々は手探りで生きている。
完全に悟り切ったような事を言う人間もいるが、そのような人も全てを知りはしない。
もし、知っていると主張するとしたら、それは自分をも欺瞞しているのである。
尤も、人間はそもそもそのような全能の存在として作られていないので、自分の領分を弁えるべきである。
人間は有限存在であり、だから、自分の能力の限界を理解し、他者と協力する為に社会を構築した。
絶対的正義や、完全な秩序の為の究極の法というものは史上未だかつて明示された事がない。
そのような事を主張する人間もいるにはいるが、人々の納得を取り付ける事はできていない。
その最たるものが宗教であるが、宗教も統一されていない。
又、哲学においては、科学という検証を主体とした考え方を産み落としたものの、この分野でも完全な見解の統一はなされていない。
科学を強く信仰する人々は、科学が思想的に中立で公正な基準であると考えるが、実際には科学という方法論には様々なアドホックな、つまり補助的な考え方が付随している。価値判断と事実認識を完全に切り分ける事は困難であり、パラダイムとか思想的バイアスという発想から完全に独立にある事は困難だ。
ある程度、科学および哲学が進展して過去の考え方を乗り越えたとしても、人間に不可能な領域は残されるように思われる。
近年ではコンピューターの影響が強くなってきており、今まではあまり考えられていなかった事だが、数学や工学の分野だけではなく、思想の世界にも汎用人工知能の影響、機械学習の影響が及んでくるのかも知れない。
というのも、人間は記憶容量、思考能力ともに制約があるが、機械はそれを超えて歴史的データを取り扱い、機械的制約があるものの、それを例えば並列化し拡張する事によって人間の能力を遥かに凌ぐ事柄を考える事ができるからである。
少なくとも、これから人間は先行研究をこうした方法論で調べる事になるだろう。

 

### 人生の基本的知識について

人間は肉体の制約を受けているため、まずは肉体を生存させるために必要な基本事項が重要です。例えば、食事、睡眠、運動、休息などがそれにあたります。一方で、人は様々な側面から「こうあるべきだ」、「このように生きるべきだ」と主張することがよくあります。

ある人々は、正しく生きることによって死後の楽園に行けると信じています。逆に、過剰に禁欲的に生きることは無意味で、生存している間の幸福感こそが全てだと主張する人もいます。また、他方では宗教的・哲学的な制約は建前に過ぎず、人間は各自の責任で自由に生きるべきだという意見もあります。

それぞれの立場が、他者との関係の中である程度、調整的倫理を主張するものの、人々はそれぞれ異なる生き方をしており、統一されていないことが分かります。何が究極的に正しいのか、どのように生きれば完全に幸福になれるのか、その道筋が明確に見えないことが現実です。つまり、それは不明瞭と言うことであり、人々は手探りで生きているのです。

完全に悟り切ったようなことを言う人々もいますが、そのような人でも全てを知り尽くすことはありません。もし、全てを知っていると主張するなら、それは自分をも欺瞞していることになります。尤も、人間はそもそも全能の存在として作られていないので、自分の領分を弁えるべきです。人間は有限存在であり、自分の能力の限界を理解し、他者と協力するために社会を構築しました。

絶対的正義や完全な秩序のための究極の法というものは、史上未だかつて明示されたことがありません。そうしたことを主張する人々もいますが、人々の納得を得ることはできていないのです。代表的な例が宗教であり、宗教もまた統一されていません。また、哲学においては科学という検証を主体とした考え方を生み出しましたが、この分野でも完全な見解の統一はなされていません。

科学を強く信仰する人々は、科学が思想的に中立で公正な基準であると考えますが、実際には科学という方法論には様々なアドホックな、つまり補助的な考え方が付随しています。価値判断と事実認識を完全に切り分けることは困難であり、パラダイムや思想的バイアスから完全に独立することは困難です。ある程度、科学および哲学が進展して過去の考え方を乗り越えたとしても、人間に不可能な領域は残されるように思われます。

近年ではコンピューターの影響が強くなってきており、今まではあまり考えられていなかったことですが、数学や工学の分野だけではなく、思想の世界にも汎用人工知能の影響、機械学習の影響が及んでくるかもしれません。というのも、人間は記憶容量、思考能力ともに制約がありますが、機械はそれを超えて歴史的データを取り扱い、機械的制約があるものの、それを例えば並列化し拡張することによって人間の能力を遥かに凌ぐことができるからです。少なくとも、これから人間は先行研究をこうした方法論で調べることになるでしょう。




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