人間は平等ではない。富、容姿、健康。その他の環境も人によって異なる。
生まれつき恵まれている人もいれば、そうでない人もいる。
社会は、それを是正して、全ての人が幸せに暮らせるように配慮しているか?
否である。
世界中で戦争が起こっている。大きな戦争がない国にも犯罪があり、争いがある。
政治も混迷を極め、フェイクニュースが蔓延り、デマを撒く人間がいる。
それを批判する人間もデマを撒いている。陰謀論者が真実を主張する。
偽科学、偽医療、詐欺…世界には誤情報が溢れている。
ただ、生きていくというだけの事が難しい。
正しく生きていくなんて、どうすれば良いのだろう。
知るべき事が膨大で、全てを網羅できない。
間違いを犯さない人間なんているのだろうか。
綺麗な経歴の人間も、幼い時には様々な間違いをしているだろう。それを寛容に許してくれる環境があって、親に愛情深く育てて貰っただけではないのか。
過酷な環境の中で、正しい情報を教えて貰えず、手探りで生きている人も大勢いるだろう。そんな人々を社会は優しく手を差し伸べて助けているだろうか。
経済競争が激化している。仕事で使えない人間はいじめられるという。
そんな風に大人でもお互いを評価して好き嫌いだのやっているのだから、子供も同じ事をするだろう。共同体にとって価値が低い個体は攻撃され排除される。
誰も、自分の意志で生まれてきた人なんていないのに。
好き好んで、生まれてきたかった訳ではないと反出生主義の人々は言う。
この点は、私も完全に同意できる。人は生まれを選べない。
社会は不条理である。
だから本当は、社会の側が、不条理を少しでも減らそうとしていかなければいけないのではないか。学問は、政治は、宗教は。あるいは、人々の経済活動は。仕事は。
本当は全ての人が人を傷付けないように正しく生きていれば幸せになれるという理想の為にあるのではないだろうか。
正しく生きていても、酷い目に遭う事がある。これが現実だ。
しかし、本当は、正しく生きていれば報われる社会であるべきではないだろうか。
正しさとは、何か、人をがちがちの決まりに押し込める事ではなく、人々が互いに尊重し合い、幸せに暮らせる状態、その維持の為の法を守る事、許し合う事ではないだろうか。
どこかで誰かを傷付ける加害者も、最初は被害者だったかも知れない。
誰が最初の加害者なのか、もう分からない。
でも、できるだけ、自分の番で負の連鎖を止めようとして、傷付けられても人を傷付けないという決意をする人を、私は応援したい。
私自身もそうでありたい。
人間は間違いやすい生き物だ。
だけれども、少しでも前に進もうとして努力する。
努力で全てを解決できないかも知れない。
それでも、ささやかでも。
前を向こうとする。
そういう生き方をしていきたい。