以下の内容はhttps://gomiblog.hateblo.jp/entry/2024/11/10/225014より取得しました。


綺麗な差別(暫定版)

センシティブな話題なので、なかなか書き上げられませんでしたが、情勢も変わり改めて取り組んでみようと思いました。

 

差別について調べると、全ての差別に反対と言っている人を良く見かけます。これ自体には反対しません。私もそうありたいです。

しかし、そういう人の周辺を調べると実際には誰かを差別しているという事が良くあるように思います。

例えば、宗教や政治について良く発信しているアカウントを見てみると、ある特定の政治思想を正しいと思っているがあまりに、別の属性の人を馬鹿にしているのを良く見かけます。

例えば、万人を愛すると主張しているキリスト教徒が同性愛について差別的であったり、逆にリベラリズムを標榜している人達が、特定の宗教について強く糾弾していたりします。この問題についてもっと解像度を上げてみましょう。

同性愛に関しては聖書に根拠があるとされ、レビ記パウロの書簡における記述によって罪とされたりします。この解釈は保守的な人に見られ、同性愛は他の罪と同じように天国に行けないとされます。しかし、最近は性別の二分法が疑われつつあり、性的な指向が生まれつきであるか変えられないのではないかと疑われています。この事から、同性愛者を差別してはいけないという風に変化してきています。日本は元々、キリスト教圏ではないので、西欧ほどこの問題は根強くありませんが、そんなこんなで、正しいとされている事が変遷してきていると言えます。

又、そもそも神の存在が疑われています。それによって宗教はファッションのようなものであるという考えが強くなり、特定宗教を尊重する意識が下がっていると思います。逆に宗教を理由にした差別も良くないという話もあり、この問題は非常に複雑化してきています。例えば、宗教における差別は良くないと言いながら、カルトと見なした宗教には徹底的に攻撃を加えて良いと考える人がしばしばいます。宗教はそもそも、自分の教えを至高とするので、それに反した教えには厳しい傾向にあります。

 

卑近な所だと、オタク差別というものもありました。アニメや漫画やゲームを楽しんでいるとオタクだと言っていじめられるような事です。広義のオタクはあらゆるエンタメが含まれる概念で、狭義のオタクは宅八郎みたいな外見の引きこもりでアダルト系ビデオゲームを好む人みたいな意味の相違があるものの、広くいじめがあったのは事実です。

それが、世の中に外で遊べる場所が減ったせいか、エンタメが多様で豊かになったからか、オタクは「市民権」を獲得し、自分からオタクを名乗る人も増えて、今に至ります。

代わりに台頭しだした言葉がチー牛です。これは三種のチーズ牛丼特盛温玉付きを注文するメガネをかけたアデノイドっぽい相貌の人を揶揄するネットミームで、初めは自虐ネタだったのがTwitterで夜職やフェミニストを名乗るアカウントに使われ始め、単なる罵倒語になったもので、オタクと殆ど同じ様な陰キャに対して使われる言葉です。

ただ、オタクは趣味を楽しむ人として市民権を獲得したので、チー牛はモテないイケてない奴を対象にする揶揄として入れ替わりが起こったのです。

 

フェミニストマルクス主義フェミニズム、マッキノン・ドゥオーキン主義を背景にし、非対称性を主張する事が多いのも問題ですね。

これによれば権力勾配があり、強いものが敵であれば、相手を罵倒する事が許されるそうです。造反有理にも考えが似ていますね。

巨悪に立ち向かうには多少の暴力暴言は見逃せという訳です。しかし、フェミニズムの場合、これが男性全体や、男性に肩入れする「名誉男性」全体に対して行われます。

一応言っておきますが、私はフェミニズムは程度必要だと思っています。また、マスキュリズムも必要で、男女が互いに助け合うのが理想です。

 

好みと差別は異なるとされていますが、定義としては差別とは、まさに正当な理由なく選り好みし、扱いに差を設ける事なので、他人に対し、好みで罵倒語を浴びせる事は差別です。

https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/discrimination/

差別には宗教、人種、性的指向、性別などを理由に扱いに差を設ける事が含まれますが、思想もここに含まれるという見解もあります。

間違った思想と正しい思想を判定し区別する事は困難ですし、多様性の観点からも「オタク」である事を理由にいじめる事は間違いだと言えるでしょう。

オタクがロリコン、あるいはペドフィリアを含むという考えもあります。これは悪い趣味嗜好であるから非難し断罪すべきだという訳です。

確かに実際に犯罪をするペドフィリアは危険ですし、怖いですが、心で感じるだけでも犯罪なのでしょうか。(私はペドフィリアではありません。念の為)ペドフィリアとチャイルド・マレスターを区別した方が良いという意見もありますね。

差別に反対というと聞こえは良いですが、実際に差別されるべきでない属性と差別すべき悪を区別する事はなかなかに難しいです。

 

殆ど全ての人が、してはいけない差別があるという事に同意するでしょう。しかし、一方で無自覚に差別をし、人を傷つけている可能性が高い、と私は感じています。

 

これを私は便宜的に綺麗な差別と呼んでいます。殆ど全ての人が自分の差別を綺麗だと思っているのではないでしょうか。

人が最も残酷になるのは己を正義だと確信する時だという言いまわしがありますが、さもありなん。地獄への道は善意で舗装されているのかも知れません。




以上の内容はhttps://gomiblog.hateblo.jp/entry/2024/11/10/225014より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14