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シリーズ手すさび 「中庸」…正しさを振りかざすと嫌われるが、悪くて良い訳ではない

以前、こんな記事を書きました。gomiblog.hateblo.jp

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人に正しさを振りかざす人は嫌われる傾向にありますね。

こんな言葉もちらほら聞きます。

「自分が絶対に正しいと思ったら間違いだ」

「正論(だけ)では人は動かない」

「人は正しさより楽しさで動く」

などなど。しかし、世の中では別に悪くても許されるとか、悪人でも幸せになれるという風に考えられている訳ではないようです。

人聞きの悪い言い方をすれば、騙されていけません、という事になります。

「自分(だけ)が絶対に正しいと思ったら間違い」とか言われますし、世の中の全ての人が間違っていて己だけが正しいと思ったら妄想の可能性が強いですが、自分が正しいという局面はあるでしょう。正確には自分の主張が何らかの根拠を持っていて正当であるという事です。これを正論と呼ぶ事もできるかも知れません。こういう時、変に自分は間違っているとか、譲らなければいけないという事はありません。

私はあんまり自信を持つという言葉を使いませんが、自信を持っても良いと思います。

自分の主張の根拠が確かならば、それは取り下げる必要がありません。尤も、根拠の真偽判定を間違っていれば話は別ですが。ケースバイケースです。人は全ての事柄に、絶対的な見識を持つ事は難しいというか不可能なので、この意味では上述の言葉は正しいですね。

「正論(だけ)では人は動かない」という時には、多くの場合、正論よりももっと何か別の根回しが必要であるという事を暗に言っている訳ですね。例えば、正しい事を言っていても何かの理由で嫌われていれば人はついて来ないかも知れませんね。感情の問題を論述の正当性だけで解決しようというのは無理であって、その場合、信頼関係を構築し直す必要があります。

「正しさより楽しさで人は動く」とか言いますし、確かに「タダシサ」を振りかざして人を動かそうとする人は不愉快です。実際、楽しい事が人を巻き込んでいく可能性もあります。しかし、悪い事をしても良い訳ではなく、正しさがない人が楽しそうにしていても嫌われたり、不謹慎だと言われたり、先ず、やるべき事があるだろうと言われたりします。楽しさで人は動くというのがある程度「正しい」としても、楽しささえあれば、何でもありではないし、一定の「正しさ」が必要です。

 

こういう正しすぎても悪すぎてもいけない、人間はある程度のレベルで絶対に正しくはないにせよ、一定の節度は持たなければいけないという事を「中庸」と言います。これはアリストテレスなどに主張されましたし、概念としては、もっと古く聖書のコヘレトの言葉・伝道者の書に現れる表現です。

人間は神のように全てを俯瞰して、絶対に正しい存在にはなれませんが、やってはならない事はあるというのが基本的には多くの人の認識のようです。

実際、悪い事をしたと見做されれば、多くの人に非難されますし、ここぞとばかりに人を叩く「正義マン」と揶揄されるような私刑・リンチをする人達も現れます。

若い人に特に言っておきたい事ですが、悪い事はしない方が良いです。何が悪いかは難しいですが、基本的には法律違反と人を傷つける行為を避ける必要があると思った方が良いです。人間は、完全に人を傷付けない生き方はできないかも知れませんが、一定の配慮をした方が無難です。自分も配慮して貰いやすくなります。押しつけとかではなく、自分の為だと思って程度「正しく」生きた方が良いでしょう。

 

正しさを追求しすぎると、自分勝手、独善になってしまう可能性があります。

ことわざで言えば、過ぎたるは及ばざるが如しという事ですね。

ことわざもケースバイケースで、場合によっては矛盾したことわざを使う人もいます。ことわざ自体も真逆の事を言っている場合があります。

例えば「君子危うきに近寄らず」というリスクを避けろという言明と「虎穴には入らずば虎児を得ず」というリスクを負わなければ欲しいものは手に入らないという主張がそれぞれにことわざに存在します。これもケースバイケースだと思います。

別の言葉で言えば是々非々ですね。

政治の世界でも、立場によって自分の陣営を絶対視する人がいますが、実際にはそんな事はなく、政策の是非を個々に見ていく必要があるでしょう。

 

なかなか難しいと思いますが、気をつけていきたいと思います。

一つアドバイスをするとすれば、自分が判断できかねる問題は一旦、保留しておくのが良いと思います。自分が関係する出来事に関しては判断にスピードが求められる場合もありますが、世界情勢について、いちいち全ての事実を検討して、局面局面で絶対的に正しい判断をするというのは生活人には不可能です。

個々の分野は専門家に任せるというのも手だと思います。もちろん、専門家がもし道を間違えていれば(自分の判断の方が間違えている可能性もある訳ですが)軌道を修正する必要がある場合もあるでしょう。

しかし、その際も、独断専行せず、熟議を重ねて物事を決めた方が間違いが少ないと思います。そうした合意形成、判断における多様性の重要性や意思決定プロセスについて、また機会があれば書きたいと思います。




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