おはようございます。
最近、仕事も少しだけ落ち着いてきて、余裕が出てきたのでブログを書く事にします。
余裕が出てきたとは言え、相変わらず残暑が続きますし、まあまあ忙しくすごしてはいます。ただ、ちょっとだけ前向きになったのと、睡眠をきちんと取るようになった為に何かに取り組もうという意欲が湧いてきました。
昨日もブログを書いたのですが、少し内容が尖りすぎていたので反省しています。
まあ、書いた内容に大筋で嘘はないですし、過激ではあるけれども科学的な根拠もある話なので撤回するつもりはありません。
しかし、表現方法はもうちょっとやりようがあったかも知れません。書き方、伝え方が丁寧なだけで、読者の受け止め方が全然変わってくるというのはあると思います。
昨日は、AIで校正するという作業をしなかったので、その辺りをもうちょっと慎重になれば良かったですね。気をつけたいと思います。
最近、二つの事に気をつけています。
それは主語を出来るだけ小さくする事とルールをシンプルにする事です。
以前、書きましたが炎上する人は大体「バカデカ」主語で雑語りをします。
例
「男(女)はろくでもないし皆クソ」
「○○ができてないなんて、欧米に比べるとヘルジャパン」
「肉体労働者は底辺職。勉強ができない人間の末路」
こういう表現は燃えますよね。まあ、納得して貰えると思います。これを修正するとこうなります。
例
「私の出会った○○という男性は××という行為をした。なので、少なくとも彼は良くない人物である。私は男性全体がそうではないと思いつつも、男性に対して不信感を抱いた」
「私は日本の○○という点について、不満がある。ヨーロッパのある地域ではこのような政策を採用している。日本も取り入れて欲しいので、政治家に陳情してみよう」
「肉体労働者は、エッセンシャルワーカーであり社会に欠かせない人材である。しかし、ブルーカラーの多くの人達が低学歴であるという傾向は統計データからある程度明らかであり、その為、低賃金に甘んじている。こうした問題について社会的に考えていく必要があるのではないか」(社会インフラを支えるタイプの仕事はむしろ専門技術、知識が必要であり、こうした専門職は低賃金ではないという事も付言しておきます)
こういう表現に変えると可燃性が減りますよね。Twitterは少ない文字しか使えない縛りがありました。有料なら文字数制限はないですが、今でも無料で1投稿に収めようとすると制限があります。そこで、上記のような雑語りが発生します。
それを回避する為に、私は引用投稿をしないという事と、自分の個人ブログで文章を発表するスタイルになりました。X・旧Twitterも「ミニブログ」ですが、はてなブログのような場所や、個人で立ち上げたブログに書いた方が燃えにくいです。
人はわざわざ、そういう文章を自分から読みに来て、いちいちコメントをしないので炎上しにくいのだと思います。気に入らない内容は無視される可能性はありますが、それは仕方ないですね。
ルールをシンプルにする事も大事です。
左派的な人に良く見られるのですが、複雑で難解なルールを他人に要求する人が大勢います。良く揶揄されるポリティカルコレクトネスにもこの傾向がありますね。ですが、当たり前のように知的に優秀な人は全人類の中では少ないので、多くの人は煩瑣なルールを遵守する余裕はありません。
自分にも他人にもルールはできるだけシンプルで理解しやすいものであるべきだと私は思っています。尤も、特殊な分野では気をつけなければならない点は増えますが、それはそれで専門分野として、その分野に取り組む人が修めれば良い内容ですよね。
ざっくり言えば、自分がされたくない事は人にもしないという事と、他人に危害を加えない。他人を不快にさせないように注意しようという事だと思います。
何かを表現すると、たとえ表現内容に配慮して、科学的根拠を明示したとしてもその表現の正確さが鋭利さとなって人を傷つける場合もあります。気をつけていきたいと思います。
話は変わりますが、私は運送業で働いています。自分の属性はブルーカラーだと思っていますし、高学歴かと言われるとそんな事は全くなく、どちらかと言えば低賃金ですし、賢い人間だという自負もありません。なので、昨日の記事で書いた内容は私自身も含む話です。
自分の所業を棚上げし、自分を高み、あるいは社会の外において、社会全体を批判する内容、馬鹿にする内容ではないという事は一応、断っておきたいと思います。
又、私は優生思想を支持している訳でも、選民を支持している訳でもありません。
たとえ、障害者を「淘汰」したとしても健常者の中から一定の割合で障害を持つ人は生まれてきますし、能力のムラというのは個性なので無くなる事は絶対にないでしょう。これは医学や生物学を学べばある程度すぐに分かる事です。優秀な人間だけを選抜し、劣った人間を排除していけば世の中は良くなるという考え、要するに「いい人だけの国を作りたいな」というような発想は幼稚であると私は思っています。
どちらかと言えば、人間は愚かさや、劣っているという属性を何らかの形で包摂していけなければならないと思っていますし、それが古来は宗教だったのではないかと思っていますし、福祉は必要であり、私の貧困についてのブログもそうした活動の一つであると位置付けています。
まだまだ未熟ですがもっと勉強して知見を深めていきたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。