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ストーマ(人工肛門)閉鎖手術のための入院をするのこと(大腸NETの終わりに)

入院した。

ストーマ閉鎖手術だ。

病院は前回入院した市大病院ではない。市大病院の先生方がこちらにも勤めている(こういうの医者の世界でなんというのかしらない)、そういう病院だ。手術、入院設備はあるが、市大病院より小さい。そして、古い。病院自体、全国規模でも起源は古いのだが、単純に建物が古い。市大病院が現代最先端かといえばぜんぜんそんなことなく、「デジタル化もされているけど、ちょっと古いな」という印象があるのに比べて、こちらは「支払いも現金のみだし、完全に古いな」という感じだ。ちなみに、市大病院では不払い対策としてクレジットカードの番号を書いたが、こちらでは入院日に現金十万円を保証金として差し出すシステム。

 

入院の説明を受けるときも、べつべつの看護師さんから「こんなんですから」と天井を指さして説明を受けた。こんなんですからWi-Fiないです。こんなんですから狭い六人部屋です、と。

 

とはいえ、この病院、新築移転の噂がある。いきなり市大病院をぶち抜いて最新の病院になるのかもしれない。その日のために、今はもうちょっとしたアップデートもせず耐え忍んでいるのかもしれない。

 

そういう病院に入院する。手術する。「ストーマ閉鎖はここで」というのは、わりと早い段階から出ていたと思う。手術の日程にこだわっていたので、てっきり、主治医がこっちでも執刀するのかと思ってたが、そういうことではなかった。

 

まあいい、自分は三月後半かと思っていた入院が、大腸のバルーン拡張が思いの外うまくいったので二月後半となった。おれは予定変更に弱い人間なのでこういうのには参ってしまう。

 

参ってしまうといえば手術当日だ。入院翌日が手術。前日に受けた説明によると、手術が行われるのは「午後」。時間未定なのである。前に行われる手術次第でオンコールとかいう、なんともドキドキなスケジューリングじゃあないか。

 

が、これが当日よ。当日の十一時のちょっと前に、「予定が早まって午後になるかもしれません」ときた。「え?」と思う。思って、会社のSlackとXにそう書いたら、「十一時五分からになりました」ときた。それはもうほぼいきなり連れ去られるタイミングに近かった。気持ちの準備もなにもない。まあもっとも、もうおれは治療に関してすべてを無になって受け入れる方向性にしていたので、「はあ、そうですか」という具合だ。

 

手術室までは徒歩。手術室前の部屋で名前、生年月日、受ける手術の確認。こないだやったばかりだ。そして手術室へ。入ってみたら、さらにいくつかの部屋に分かれていた。そのうちの一つへ。光に照らされた手術台が一つあった。

 

まず、背中への麻酔だ。硬膜外麻酔。そこに現れたのが、入院前の通院時に面談をした麻酔医だった。おれより年上の女性で、年季の入った個人部屋みたいなところで話をした。全身麻酔の手術はこの前うけたばかりだ。なにかご希望はありますか? というようなことを聞かれたので、「とにかく痛いのはいやです」と言っておいた。

 

で、その麻酔医がなにかよくわからないが手こずっている。手こずっている理由は見えないしわからない。見たところでわからない。「血が出ちゃったよ」とか言ってる。やけに長い。麻酔のための麻酔もバンバン打つ。前の手術のときは、背中にこんな時間かからなかったのだが。なにやらもう、最初からやり直しか? みたいに聞こえるやりとりのあと、ようやく終了。

 

「痛がりさんなのにごめんね。でもこれで明日は痛くなくなるから」。麻酔医はそういった。

 

そのあとは秒で意識が落ちる全身麻酔。起きたところは移動中のベッドの上だったかどうか。「どこか痛いところはありますか?」というので、正直に「股間の管に違和感が……」と答えた。尿道カテーテルを最初に口にしたのは前回の手術と同じだ。とはいえ、この手術の説明で一番にあげられた「痛い」は感じなかった。

 

そのまま、一人部屋の手術後部屋へ。私物などなにもないので、手術終わりました報告もできない。そのうえ、時計がまったくない。最初に来た看護師さんに聞いたら「一時半です」とのことだったか。それから何回も様子を見に来ますからとのことだった。

 

で、おれは寝ていた? 完全に寝込んでいたわけでもない。看護師さんが来る気配を察知して備えるようなことはしていたと思う。時計もなにもない。なかなかに苦痛だ。こういうときFMラジオでも適当に流したほうがいいとかいう研究はないのだろうか。そのまま夜が来て、朝になったのか。手術から一日経ったのか。たまに医師も来たように思う。傷跡とか見ていった。とくに手術に問題があるとかそういう話はなかった。

 

それにしても痛くない。傷口だ。気になるのは尿道の方だ。これはもうあの麻酔科医が完全にうまくやってくれたということだろうか。魔法のようだ。あれは魔女だったのか。言った通り、「次の日は痛くない」ぞ。でも、麻酔切れたら「痛い」になるのか、それは不安だった。

 

しかしなんだ、世の中の男性は尿道カテーテルそんなに気にならないのだろうか。なにか打開策はないのか、来る看護師に「なにか痛いところはありますか?」と聞かれて、律儀に答えていたが、これといった対策はなかった。男性の看護師すら、だ。「若いと感覚が敏感らしいですから。腫れ上がったり、血が出ない分には普通の違和感のほうだと思います」と。

 

まあいい、その部屋から出たのはいつだろうか。なんかおれの感覚では、窓から入る光で午後っぽさすら感じていたな。術日の翌日午後。でも、部屋を出て、六人部屋に帰ったのは昼の十二時くらいだった。長く感じた。一昨日入院したときには、おれのほかにバイクで脚をやってしまった人が二人入っていたのだが、二人ともいなくなっていた。六人部屋に一人状態がしばらく続いた。

 

さて、最初のころはまあちょっといい気分だ。なにせストーマがない。腹の上でずっとうんこを出し続けている器官がない。そもそも人間にはそんな器官ないのだ。それがないというだけで、じっとしていても苦ではないというところはあった。永久ストーマの人などには悪い表現かもしれないが、おれにとっては喜ばしいことに違いなかった。

 

おまけに、まだLARS、排便障害じゃない。栄養は点滴からだ。「ん? これはストーマでもLARSでもない最後のチャンスでは?」などと思う。などと思ってなにをしたのか。競馬である。その日は土曜日だった。手術の翌日が土曜だったので、「これは競馬ができない」と思っていたが「できる!」になった。おれはノートパソコンを広げ、iPhoneでpovoの使い放題トッピングを買い、競馬をした。また、有馬記念のときみたいに入院代を馬券で稼げないだろうかと思った。それは無理だった。

 

競馬に熱中したので熱が出た。術後はいきなり平熱くらいだったのだが。そういえば前回は術後すぐに高熱を出して、身体は痛いわ痒いわでたいへんだった。

 

翌日の日曜日も競馬をした。そのくらいしか覚えていない。身体からは腕から点滴の管、股間から尿道カテーテル、背中から硬膜外麻酔の管が出ている。競馬狂の末路といった姿だろう。だが、自分としては人生最後の健康体で競馬をやっているつもりなのを……理解してもらわなくてもいい。

 

月曜日。どうしたんだっけ。レントゲンとかあったような気がする。血も採ったかな。そうだ、それで背中の管と股間の管が抜けたのだ。やはり股間の管を抜くのは気持ち的に「あひゃん」だな。栄養がまだなので腕への点滴は継続。ところで、点滴棒ってちょっと便利だと思わない? 地面を引きずるあたり、なんか浮いたりしたら街を行く人が荷物を引っ掛けるのに連れ歩くんじゃないかとかSF的妄想をしてしまう。看護師さんから腹帯を買ったほうがいいというセールストークをされたので、売店で買う。午後から仕事をちょっとだけ。でも、硬膜外麻酔がなくなって傷跡が痛くなってきたりしたんだっけ。

 

 

火曜日。いよいよ食事のはじまり。もちろんオムツ着用でのぞむ。なにがどうなるかわからない。食べた瞬間にずどんときてもおかしくはない。あるいは、まったく感覚なしにくるものなのかもわからない。最初は重湯とポテトポタージュ。AIに聞いたら、「そんなのはほぼ水だから固形になってたくさん出るようなことはない」とかなんとか。

 

この日、シャワーも浴びたのだっけ。今まで「ちょっと傷を確認します」と何回も医師や看護師に見られてきた傷。自分で見るのは初めてだ。だが、鏡をつかってじっくり確認したわけでもないのでよく覚えていない。ただ、たしかに縫い付けられてはいなかった。

 

昼から五分粥でおかずも固形物に。これはいよいよ勝負だと思う。そして、深夜、そろそろ出るころではないのかとトイレへ。いや、便意はあった。便意はあったが出なかった。「もう出る!」と思ってトイレへ駆け込んでも、出てくれない。が、四回目にして初めて出た。便らしい便というと言い過ぎだが、便ではあろう。量も僅かだ。ただ、腹の張っていた感じはおさまった。

 

水曜日。昼から全粥。ここまで書いてなかったが、もちろん毎日医師の回診はあった。傷口問題なし、ガスが出ているの問題なし、排便があったの問題なし、食事できているの問題なし。つまり、まわりから見たら問題なしで最速退院コースなのだ。退院できるのはいい。ただ、だが、ちょっとまってほしいという気持ちもある。便についてはあまり体験のない便秘気味、あるいは前回入院時のイレウスっぽさがあって、まだLARSの洗礼を受けていない。が、よく考えてみよう。もしもLARSの便失禁、便意切迫などが起こるなら、病院より家のほうがましではないか。ここはなにごともないうちに退院できるのがラッキーなのではないか、と。なにせ、レントゲンでも閉塞のような詰まりはないというのだ。うーん。

 

ただ、便意切迫というか、そういうものは出てきている。「もう出る!」と思ってトイレへ行く、行くけど出ない。この繰り返しだ。これで水曜日の午前中は消耗した。が、午後になって、「どうせ出ないまやかしなのだ」と思い込むことによって、「もう出る!」を肛門の力で押し返し、霧散させることができるようになったのである。むろんこれはまだ少量の病院食しか食べていない状況での技なので、実用はできないだろう……。

 

でも、まあ、決まってしまったのだ。

 

「では、予定通り明日退院ということで」。

 

木曜日に入院して木曜日に退院する。一週間。事前の話では「短ければ一週間ですけれど、だいたい十日という人が多いですね。木曜入院ですから、一週間とその次の土日で月曜退院くらいですかね」とのことだった(だれに聞いたかは忘れた)。腹に爆弾を抱えたまま最短で出ることになった。

 

まあいい、ガスは通っている、便も少量ながら出ている。閉塞はしていない。あとは大腸が機能を取りもどすだけだ。とりもどした末にLARSのこわさが待っている。それがくるのが退院の日なのかもしれないし、いつなのかはわからない。いつまでも便秘というわけにもいかないだろう。いつまでも便秘で、「やっぱり吻合部狭すぎたわ。またバルーンやります」とかになっても嫌だ。

 

まあいい、おれはとても嫌だったストーマを閉鎖できた。これで、大腸NETの一連の手術は終わりだ。終わりだと言っても、これを書いているのは退院前夜の食事後だ。この一晩ですらオムツが活躍する可能性はある……。

 

しかし、思えば、ただの痔だろうと思って受けた大腸内視鏡検査から希少がんであるNET(神経内分泌腫瘍)がわかり、大腸を切除して、あんなに嫌だった人工肛門をつけ、それを閉鎖し、よくここまできたものだ。しかも、希少がん確定が昨年10月のはじめ。展開が早すぎた。そのなかでいろいろな体験をし、入院によっていろいろなものことを見聞きしたりもした。ストーマを造り身体障害者になる、という経験もした。が、絶対によい面もあったとはいえない。金も飛んでいったし、食いたいものは食えないし、行きたいところにも行けない。もっと重病の人のことは考えない。比べだせばきりがない。早逝した人相手には何も言えなくなる。なのでおれはおれ自身の弱音を、愚痴をさんざん書いてきた。そして、これからも、食いたいものは食えない、行きたいところにも行けない。そういうことになる。それはそれで章を変える。

 

というわけで、とりあえず、【大腸NET】の話、終わり。

 

 

 

 

 

 

こっそりなんかください……と、言いたいところだが、次になにをそなえていいのかわからない。おむつなのかナプキンなのかパッドなのか。なので、ギフトカードください(超ストレート)。

 




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