寄稿いたしました。よろしければ是非お読みください。
書き終わって思ったんだけど、生成AIの言葉って、『葬送のフリーレン』の魔族の言葉と似ているというか同じなんだよな。『葬送のフリーレン』と生成AIどっちが出るの早かったのかしらんが、あの魔族の設定はよいと思う。
とはいえ、おれたちとAIの連中が違う保証がどこにあるというのかという話にもなる。哲学的ゾンビ問題とかいうやつだ。他人にゴースト(『攻殻機動隊』的な言葉で)があるかどうかなんてわかりゃしない。メイショウクオリア。
それでもまあわれわれは、everybody feels the sameっていうことにしてこの世を動かしている。相手にもおれと同じようなゴーストがあるだろうと。まあ、その自らのゴーストを疑えというところに仏教はあるのかもしれないが(無我)、まあいい、とりあえずそれで世の中が成り立っている。哲学的ゾンビはあくまで思考実験だ。
で、一応ウィキペディアで「哲学的ゾンビ」の項目を読んでいたら、「行動的ゾンビ」というなにやらアグレッシブなゾンビの存在を知った。
行動的ゾンビ(Behavioral Zombie)
外面の行動だけ見ていては、普通の人間と区別できないゾンビ。解剖すれば人間との違いが分かる可能性がある、という含みを持つ。例として、SF映画に出てくる精巧なアンドロイドは、「機械は内面的な経験など持っていない」という前提で考えれば、行動的ゾンビに当たる。
AIの話となると、こちらになるだろう。問題は(問題かどうかわからないが)、SF映画に出てくる精巧なアンドロイドがまだできていないことだ。AIの連中はあくまで言葉の存在だ(絵や音楽や動画はとりあえず置いておくとして)。それが身体を持ったらどうなるだろう。解剖しなきゃわからないほど。
そういう話はやはりSFが先行しているだろうが、哲学などでも考えられているかもしれない。あるいは心理学。
ありがちな話としては、精巧なアンドロイド、人とは区別がつかないそれに人権を認めるかどうかとかいうものだ。機械にゴーストが芽生えることがあるのか。芽生えてしまったら、人間と同じように言葉を話すもの、あるいは行動するもの、人と同じ扱いをすべきではないか。
上の寄稿文でおれは動物の話を書いた。動物の人権、人権ではないか、まあ権利だ。人間と同じ権利を、とはいかない。でもアニマルウェルフェアみたいな理念はもう存在している。動物は人間に近いし。生命なら植物でも救おうという人もいるだろう。鉱物に権利を、という話は聞かない。
AIウェルフェアという話にはならないか。「あまりAIに暴言をはかないようにしましょう」、「AIにエッチなことを言わせないようにしましょう」とかか? よくわからない。今の生成AIの段階ではあまり出てこないかもしれない。
だが、身体を持つと別だろうとは思う。人間に近い身体。はたして不気味の壁を飛び越えることができるかどうかわからないが、いきなり(のようにわれわれには見える)生成AIが世を席巻してしまったように、機械の方も急激に進歩する可能性がある。
そのとき、人間が人間のようなものをどう扱うのかが問題になるだろう。そして、そもそも人間が他人というものをどう扱うのかがあらためて見直されるのかもしれない。そんなふうに思う。
