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ハンナ・ライチュ自伝『私は大空に生きる』を読む

 「生きれば?」という感じ。というと投げやりだが、なんというか、うわ、この人おれの苦手なタイプの人やわ、みたいな思いが強かった。書ける内容に時代ならではの縛りがあったのかもしれないが、人に認められるようになる健康優良おてんば少女の絵に描いたようなやつであって、どうも。むろん、彼女の空を飛ぶことへの思いや、戦争で家族を失ったことなど勘案すべきかもしらんのだが。
 それで、興味の方は自分の知ってる人名が出てくるかなとかいうあたりになって。

 レーゲンスブルク近郊のオーベルトラウプリンクで最初の163bの量産機の飛行を、仲間のオーピッツとシュペーテと私が行った。このロケット機のテストはハイニー・ディトマーの担当であったが、彼はちょうどそのころ、テスト飛行の事故で脊柱を負傷して、入院していたのである。

 はい、ここに出てくる「シュペーテ」の手記は読んだことがある。ライチュについてこう語っていた。

実際、パイロットとしての彼女は分析的知性に欠けていて、彼女の提出する飛行試験報告が全く役に立っていないという指摘には充分な根拠があった。その意味で、総統や軍首脳にとって、ルフトバッフェのあらゆる航空機を自由に操縦する許可を貰っていると言われた彼女の存在は私にとって厄介なものだった。

 しかしまあ、なんだろうか、彼女も根っからの飛行機乗りではあるものの、軍用機パイロットじゃないんだし、などと思わなくもなく。事故の詳細は本書に本人が書いておりました。まあ、ロケット戦闘機に乗りに来た中でなんかすげえのはゴロプということで。
 あとは1944年にベルリンに負傷者輸送もしくは特別任務のためにどう飛行機を飛ばしてくるかというところ。

 私はこの問題を、私と同じときに、脚を切断して防空壕の病院に入れられていたルーデル空軍大佐と話し合った。その際、私はヘリコプターの利用について考えていたのであった。

 と、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルの名前が見える。そんで、一緒に目印になるであろう動物園の防空壕の塔を一緒に見に行ったとある。まあ、そんだけだけど。
 というか、読んでいてあまり気乗りしない感じがあって、もっとじっくり読めばいろいろあるかもしれないが、どうもそのあたりは好みの問題で。あと、『私はクワメ・エンクルマのために飛んだ』という著書もあるらしいが(邦訳書があるかはしらん)、まあそれも興味なくといったあたりでおしまい。

>゜))彡>゜))彡>゜))彡

……ライチュ女史は特攻にノリノリな感じでした。




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