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金刀比羅宮とデザイン

今年1年間、国家公務員が地方自治体の課題解決を支援する「地方創生伴走支援制度」の一環で、香川県琴平町の担当をさせてもらっていた。

 

何度か現地に足を運ぶ中で、たくさんの素敵な出会いがあった。

 

その1人が、池商店の池龍太郎さんだ。

 

金刀比羅宮を守る5つの家(いわゆる五人百姓)のうちの1つである池家の28代目。

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若くして池商店を継ぎ、お土産の飴屋を経営者としての表情と、琴平の面白さや琴平の魅力を語るストーリーテラーとしての表情を持っている。

 

「あなたも琴平町の小さな観光大使」

これをコンセプトに、琴平町だけではなく、あらゆるところに現役の語り部として琴平町の魅力を伝えまくっている人だ。

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その薫陶を受けたうちの1人が、僕だ。

 

 

池さんの「琴平学」講座をみっちり受けて琴平の魅力をたっぷりと吸収した後、池さんの導きで一緒に参拝させてもらったのだが、池さんの話を聞く前と聞いた後では、金刀比羅宮の見える景色が180度、変わった。

 

金刀比羅宮は、ただ「山の上にあるそこそこ歴史の深い神社」ではない。

 

 

一言で言えば、「意味の徹底」

 

 

金刀比羅宮は、ありとあらゆる要素が“デザイン”されている。

 

◎そもそも、金刀比羅宮がなぜここにあるのか?

◎なぜ、石段は「786段(公称)」で、実際はそこから1段マイナスした「785段」なのか。

◎五人百姓とは何者なのか。いつからここにいるのか。

・・・

 

金刀比羅宮が紡いできた全てに意味があり、全てに歴史がある。

 

一方で、何か特殊な要素や技術が発揮されているわけではなく、いずれも、建築物や構造、石段といったそれ自体は至極シンプルなものに、それぞれ意味が宿っているに過ぎない。

 

けれど、それらシンプルなものが、それぞれ完全に意味が徹底されていることを通じて、神社全体がある種の神秘性を帯び、金刀比羅宮が金刀比羅宮たりえる宗教性を有している。

 

デザイナーの原研哉は著書「デザインのデザイン」で、「デザインとは、自己表明であるアートと異なり、人の感情を引き起こす仕組みづくりである」と喝破している。

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そのうえで、「一見無駄で役に立たないようなものこそ、実は豊かである」という荘子の「無何有の郷」という考え方を引用し、そうしたものたちの「たたずまいこそが吸引力を生む」と指摘している。

 

 

池さんは、よそ者には解読できない金刀比羅宮の「ただずまい」をデザインとして翻訳し、我々に分かりやすく魅力を伝えてくれる唯一無二の語り部である。

 

 

しかし、そんな、金刀比羅宮を何でも知っている池さんと一緒に参拝させてもらった中で、池さんが、「うわ、それ僕も気づきませんでした。」ということがあった。ほぼ毎日参拝している池さんでさえ、いまだに気づいていない「デザイン」が、金刀比羅宮には潜んでいる。

 

恐るべし、金刀比羅宮。

 

太古1,000年以上昔から続く歴史に感服するばかりか、だてに「一生に一度はこんぴらさん」って言われ続けているわけじゃないな、、、と、畏れいった金比羅宮参拝だった。




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