・無いものはないで、なんとかしろと、いわば破産した人が過去の栄華を続けようとするなよと。(マンガ『僕はムコ養子』)
・たかが豊かな暮らしのためだけに、原発ドカン爆弾を懐に抱えたままくらすなんてばかげている…国も、子孫全員も、へたすれば人類ごと、消えて無くなるぞ…フクシマ事故はかなりあれでもラッキーで軽かった
おれはそういう持論。
実際、国家レベルでもドイツにスイスに…『全廃』へとっとと転換した国が出ているのだ。オレだけのばかげた結論ではない。
・原発はどんどんコスト上昇、リスクも上昇
・太陽光と風力はコストダウン
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120504/1336090319
以下、オールウェイズ三丁目の夕日。過去は過去。今は今。
http://mainichi.jp/select/news/20120505k0000m040093000c2.html
原発稼働ゼロ:老技術者、自負と失意「生き方再考の日に」
毎日新聞 2012年05月04日
北海道電力泊原発3号機が5日に定期検査入りすると、日本の稼働原発は42年ぶりにゼロとなる。1970年に日本初の商業用軽水炉、敦賀原発1号機(福井県)に「原子力の灯」をともした老技術者は「日本人の生き方を考える重大な日」と受け止めている。
「日本の経済発展を支えるんだと思うと感動的で、疲れなんてなかったよ」。日本原子力発電の元副社長、浜崎一成さん(80)は1枚の写真を手に述懐する。撮影は70年3月14日。この日午前4時、1号機は100時間の全出力試運転を完了。中央制御室が万歳三唱で沸く中、発電課長として現場を仕切った浜崎さんは、原発を納入した米ゼネラル・エレクトリック(GE)が用意した鍵形の記念品を手に充実感に浸った。
中央制御室から夜気が残る屋外へ。敦賀湾は朝日に輝いていた。その数時間後、発電された電気はその日開幕した大阪万博会場へ送られた。「原子力の灯が届いた」。アナウンスが会場に響いた。
浜崎さんは大学を卒業し、54年に中部電力に入社した。やがて高度経済成長が始まる。ある日、欧米や旧ソ連の原発動向を伝える雑誌を目にした。「エネルギー資源の少ない日本にも絶対必要になる」。英国留学も経験し、59年に国の第1回原子炉主任技術者試験に合格。63年には原電に移り、敦賀原発の操業を目指した。
「プルーブン(実証済み)技術」との触れ込みで引き渡された敦賀1号機は稼働直後からトラブルを重ねた。放射性廃棄物を処理・貯蔵する仕組みが不十分で、配管溶接の仕方も悪い。トラブルのたびに対策に奔走した。「一人前の原発になるまで10年はかかった。試行錯誤を重ねながら、日本の原発は信頼されるまでに育った」
それから約30年。福島第1原発の建屋が吹き飛ぶ映像に、浜崎さんは色を失った。「絶対」と信じた多重防護を大津波はあっさり打ち破った。「どん底に突き落とされた感覚だった」。
浜崎さんは「代替電力がない限り原発再稼働は不可欠」との立場だが、こうも続けた。
「日本のエネルギーをどうするのか。ライフスタイルも含めて国民全員が考え直す日になることは間違いない」【阿部周一】