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 今日は、平成時代の1998年(平成10)に、明石海峡大橋が完成し、「ブリッジウオーク」等の記念イベントが開催(開通は同年4月5日)された日です。
 明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし)は、兵庫県神戸市垂水区・淡路市とを結ぶ吊り橋で、中央径間が1,991mもあり、現在、世界最長の吊り橋となっています。昭和時代後期の1970年(昭和45)7月に、本州四国連絡橋公団が設立され、1973年(昭和48)10月に、工事実施計画が認可されました。
 その後、1986年(昭和61)4月26日に起工式が行われ、1988年(昭和63)5月に工事が着工、1996年(平成8年)9月に閉合し、平成時代の1998年(平成10)4月5日に開通しました。神戸側の橋桁内に舞子海上プロムナードという遊歩道と展望台が設けられています。橋台内のエレベータで、47mの高さまで上がり、そこから海側まで150mほど歩けるのですが、床が透明になっている部分があって、スリリングで、直接海面を望むことができました。
 また、神戸側の陸上には、「橋の科学館」が開設されており、明石海峡大橋を中心に橋についての技術的・歴史的展示があって、勉強になります。

〇明石海峡大橋関係略年表

・1955年(昭和30)4月 - 国鉄が本四淡路(Aルート)の調査を開始する
・1955年(昭和30)5月11日 - 瀬戸内海を航行する宇高連絡船の紫雲丸が沈没し、修学旅行中の児童など死者168名の惨事(紫雲丸事故)となり、本州四国連絡橋建設の機運を一気に高まる
・1959年(昭和34)4月 - 建設省が道路部分の調査を開始する
・1969年(昭和44)5月 - 新全国総合開発計画が策定される
・1970年(昭和45)7月 - 本州四国連絡橋公団が設立される
・1973年(昭和48)10月 - 工事実施計画が認可される
・1975年(昭和50)8月 - 1ルート3橋(児島-坂出ルート、大鳴門橋、因島大橋、大三島橋)のみ凍結解除とされ、明石海峡大橋は対象からはずれる
・1979年(昭和54)7月 - 武市恭信徳島県知事が、明石海峡大橋について「徳島県としては鉄道併用橋より道路単独の方がいいと思う」と「方向転換」する
・1981年(昭和56)6月 - 建設省、運輸省、国土庁で協議のうえ、建設省は、本州四国連絡橋公団に対し、道路単独橋の可能性について調査を指示する
・1984年(昭和59)10月 - 明石・鳴門架橋促進議員連盟(原健三郎会長)が、政府に対し明石海峡大橋を道路単独橋として早期着工するよう求めた要望を決議する
・1985年(昭和60)8月 - 国土庁長官、運輸大臣、建設大臣により、明石海峡大橋を道路単独橋とする方針が合意される
・1985年(昭和60)12月 - 明石海峡大橋の事業化が決定する
・1986年(昭和61)4月26日 - 起工式が行われる
・1988年(昭和63)5月 - 現地工事に着手する
・1994年(平成6)11月 - ストランド架設が完了する
・1995年(平成7)1月17日 - 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生し、全長が約1 m伸びる
・1996年(平成8)9月18日 - 補剛桁が閉合される
・1998年(平成10)3月21日、22日 - 「ブリッジウオーク」等の記念イベントが開催される
・1998年(平成10)4月5日 - 供用を開始する
・2009年(平成21年)7月5日 - 通行車両が1億台を突破する

☆「吊り橋」とは?

 空間に張り渡したケーブルに沿って橋床をつるした橋のことで、ケーブルを空中高く支持するための塔、ケーブルを地盤に定着させるためのアンカー、つりケーブルでつり下げた補剛桁などから構成されます。古くから、原始的な形態のものが存在したと考えられますが、現在でも山間部に見られ、徳島県祖谷の蔓橋などが残されていました。近代の吊橋では、床の部分をプレートガーダーまたはトラスを組み合わせて剛性を高める構造が用いられています。世界の代表的な吊り橋としては、1937年に完成したサンフランシスコのゴールデン・ゲート橋(中央径間1,280m)が著名です。
 日本においても、太平洋戦争後に計画されるようになり、その長大吊り橋の嚆矢としては、1961年に完成した徳島県の小鳴門橋(中央径間160m)と1962年(昭和37)に完成した北九州市の若戸大橋(中央径間367m)があげられます。
 その後、1973年(昭和48)に関門橋(中央径間712m)、1983年(昭和58)に因島大橋(中央径間770m)、1985年(昭和60)に大鳴門橋(中央径間876m)、1988年(昭和63)に南備讃瀬戸大橋(中央径間1,100m)、1998年(平成10)に明石海峡大橋(中央径間1,991m)と次々に建設されていったのです。

☆日本の長大吊り橋ベスト15(中央径間の長さで比較しています)

1. 明石海峡大橋(兵庫県神戸市垂水区・淡路市)中央径間1,991m…1998年開通
2. 南備讃瀬戸大橋(香川県坂出市)中央径間1,100m…1988年開通
3. 来島海峡第三大橋(愛媛県今治市)中央径間1,030m…1999年開通
4. 来島海峡第二大橋(愛媛県今治市)中央径間1,020m…1999年開通
5. 北備讃瀬戸大橋(香川県坂出市)中央径間990m…1988年開通
6. 下津井瀬戸大橋(岡山県倉敷市・香川県坂出市)中央径間940m…1988年開通
7. 大鳴門橋(徳島県鳴門市・兵庫県南あわじ市)中央径間876m…1985年開通
8. 因島大橋(広島県尾道市)中央径間770m…1983年開通
9. 安芸灘大橋(広島県呉市)中央径間750m…2000年開通
10. 白鳥大橋(北海道室蘭市)中央径間720m…1998年開通
11. 関門橋(福岡県北九州市門司区・山口県下関市)中央径間712m…1973年開通
12. 来島海峡第一大橋(愛媛県今治市)中央径間600m…1999年開通
13. 東京港連絡橋<レインボーブリッジ>(東京都)中央径間570m…1993年開通
14. 大島大橋(広島県尾道市・愛媛県今治市)中央径間560m…1988年開通
15. 豊島大橋(広島県呉市)中央径間540m…2008年開通

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

835年(承和2)真言宗の開祖空海(弘法大師)の命日(新暦4月22日)詳細
850年(嘉祥3)第54代の天皇とされる仁明天皇の命日(新暦5月4日)詳細
1907年(明治40)「小学校令中改正ノ件」(明治40年勅令第52号)が出され、義務教育が6年間となる詳細
1912年(明治45)東京の州崎大火で、全焼1,149戸、半焼11戸の被害を出す詳細
1934年(昭和9)函館大火が起こり、22,667戸焼失、死者2,166名、負傷者9,485名を出す詳細
1942年(昭和17)既存の武徳会が改組され、厚生・文部・陸軍・海軍・内務の5省が共管する新たな大日本武徳会が発足する詳細
1972年(昭和47)奈良県明日香村の高松塚古墳の石室で極彩色壁画を発見する詳細
1994年(平成6)「気候変動枠組条約(UNFCCC)」が発効する詳細

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 今日は、昭和時代後期の1985年(昭和60)に、東北新幹線の上野駅~大宮駅間(27.7 km)が延伸開業した日です。
 東北新幹線(とうほくしんかんせん)は、東京駅~新青森駅(全長713.7km)を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する高速鉄道路線(新幹線)です。昭和時代後期の1970年(昭和45)5月18日に成立した「全国新幹線鉄道整備法」に基づき、1971年(昭和46)には、「昭和46年運輸省告示第17号」により、東北新幹線(東京都~盛岡市)を含む3路線の基本計画が公示され、日本国有鉄道の路線として、工事に着手しました。
 さらに、1973年(昭和48)11月13日に東北新幹線(盛岡市~青森市)を含む整備新幹線5路線の一つとして、建設計画が決定します。その後、1982年(昭和57)6月23日に、東北新幹線初の大宮駅~盛岡駅間 (495.2 km) が開業、1985年(昭和60)3月14日には、上野駅~大宮駅間(27.7 km)が延伸開業しました。
 1987年(昭和62)4月1日に、国鉄分割民営化に伴い、JR各社が発足し、東北新幹線の営業主体および東北新幹線(盛岡市~青森市)の建設主体は東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継されます。1991年(平成3)6月20日に東京駅~上野駅間(3.6 km)が延伸開業、同年に盛岡~青森間の工事実施計画認可され、起工式が行われました。
 1992年(平成4)7月1日に、山形新幹線の福島駅~山形駅間開業、同線との直通列車として「つばさ」が運転開始し、1997年(平成9)3月22日には、秋田新幹線の盛岡駅~秋田駅間が開業、同線との直通列車として「こまち」運転開始されます。1998年(平成10)に八戸~新青森間の工事実施計画(フル規格)が追加認可され、起工式が行われ、2002年(平成14)12月1日には、盛岡駅~八戸駅間 (96.6 km) が延伸開業しました。
 そして、2010年(平成22)12月4日に、八戸駅~新青森駅間(81.8 km)が延伸開業し、東北新幹線は全線開業となります。尚、2016年(平成28)3月26日に、北海道新幹線の新青森駅~新函館北斗駅間開業に伴い、「はやて」「はやぶさ」の一部列車が北海道新幹線と直通運転を開始しました。

〇東北新幹線関係略年表

・1969年(昭和44) 新全国総合開発計画が閣議決定される
・1970年(昭和45) 「全国新幹線鉄道整備法」が公布される
・1971年(昭和46) 「昭和46年運輸省告示第17号」により、東北新幹線(東京都~盛岡市)を含む3路線の基本計画が公示され、工事に着手する
・1972年(昭和47) 「昭和47年運輸省告示第242号」により東北新幹線(東京都~青森市)に基本計画が変更される
・1973年(昭和48) 東北新幹線(盛岡市~青森市)を含む5路線の整備計画決定および建設が指示される
・1977年(昭和52) 小山総合試験線(石橋~鷲宮間42.8 km)のレール敷設が完了、東京~盛岡間の工事実施計画変更(その2)が認可される
・1979年(昭和54) 小山駅付近に建設された東北新幹線総合試験線にて、試作車両の走行試験を開始、仙台試験線管理所が開設される
・1981年(昭和56) 「全国新幹線鉄道整備法」が改正され、建設費の地元負担が可能とされ、列車愛称を「やまびこ」「あおば」と発表される
・1982年(昭和57)6月23日 大宮駅~盛岡駅間 (495.2 km) が開業する
・1985年(昭和60)3月14日 上野駅~大宮駅間(27.7 km)が延伸開業する
・1987年(昭和62)4月1日 国鉄分割民営化に伴い、JR各社が発足し、東北新幹線の営業主体および東北新幹線(盛岡市~青森市)の建設主体は東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継される
・1988年(昭和63) 政府・与党申し合わせ「整備新幹線の取扱について」において整備新幹線着工優先順位を決定し、東北新幹線は運輸省案で第2位となる
・1989年(平成元) 整備新幹線難工事推進事業計画(岩手トンネル)が認可される
・1990年(平成2) 東京駅延伸工事中に第1上野トンネル(通称「御徒町トンネル」)の建設現場で土砂が噴出し、地上の道路が陥没する事故が発生する
・1991年(平成3)6月20日 東京駅~上野駅間(3.6 km)が延伸開業、盛岡~青森間の工事実施計画認可され、起工式が行われる
・1992年(平成4)7月1日 山形新幹線の福島駅~山形駅間開業、同線との直通列車として「つばさ」が運転開始する
・1994年(平成6) E1系"Max"が営業運転を開始、「Maxやまびこ」「Maxあおば」が新設する
・1995年(平成7) 盛岡~沼宮内間の工事実施計画(フル規格)が追加認可される
・1996年(平成8) 八戸~新青森(石江)間のフル規格化および着工が決定する
・1997年(平成9)3月22日 秋田新幹線の盛岡駅~秋田駅間が開業、同線との直通列車として「こまち」運転開始される
・1998年(平成10) 八戸~新青森間の工事実施計画(フル規格)が追加認可され、起工式が行われる
・1999年(平成11)12月4日 山形新幹線の山形駅~新庄駅間が延伸開業する
・2002年(平成14)12月1日 盛岡駅~八戸駅間 (96.6 km) が延伸開業する
・2003年(平成15) 運輸施設整備事業団と日本鉄道建設公団が統合し、鉄道建設・運輸施設整備支援機構設立される
・2010年(平成22)12月4日 八戸駅~新青森駅間(81.8 km)が延伸開業し、東北新幹線は全線開業となる
・2016年(平成28)3月26日 北海道新幹線の新青森駅~新函館北斗駅間開業に伴い、「はやて」「はやぶさ」の一部列車が北海道新幹線と直通運転を開始する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

800年(延暦19)富士山延暦噴火が始まる(新暦4月11日)詳細
1789年(寛政元)哲学者・経済学者・思想家三浦梅園の命日(新暦4月9日)詳細
1868年(慶応4)「五箇条の御誓文」が出される(新暦4月6日)詳細
1885年(明治18)数学者・数学史家・数学教育家・随筆家小倉金之助の誕生日詳細
1899年(明治32)正岡子規が根岸短歌会を創始する詳細
1929年(昭和4)茨城県新治郡石岡町(現在の石岡市)で石岡大火が発生し、606戸・1,700棟を焼失する詳細
1970年(昭和45)大阪で日本万国博覧会(大阪万博)の開会式が行われる詳細
1979年(昭和54)全国の電話で電話自動化が完了し、全国でのダイヤル即時通話ができるようになる詳細

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 今日は、平成時代の2004年(平成16)に、九州新幹線(鹿児島ルート)の新八代駅~鹿児島中央駅間が先行開通した日です。
 九州新幹線の鹿児島ルートは、博多駅~鹿児島中央駅(実距離256.8km)を結ぶ、九州旅客鉄道(JR九州)が運営する高速鉄道路線(新幹線)です。1970年(昭和45)5月18日に成立した「全国新幹線鉄道整備法」に基づき、1973年(昭和48)11月13日に整備新幹線5路線の一つとして、建設計画が決定しました。
 その後財政の悪化等によって凍結されましたが、1987年(昭和62)に凍結が解除され、1991年(平成3)に新八代~鹿児島中央間の建設が本格着工されます。博多~新八代間は、1998年(平成10)から整備が進められ、まず2004年(平成16)3月13日に新八代~鹿児島中央間が先行開通しました。
 残りの博多~新八代間も、2011年(平成23)3月12日に開業し、これによって鹿児島ルートは全線開通となります。このルートは、全区間を独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構(旧日本鉄道建設公団)が建設し、JR九州に貸与されるかたちで運営されました。
 レール幅は、在来線の狭軌(1,067mm)より広い標準軌(1,435mm)、全線にロングレールを採用し、複線交流電化方式で、すべて立体交差にし、車両も工夫して、最高時速260kmの高速運転ができるようにしてあります。開通時には、博多駅~鹿児島中央駅の所要時間は最速で1時間19分に短縮され、また、新大阪―鹿児島中央間の直通運転も実施され、同区間は最短3時間45分で結ばれました。
 尚、長崎ルートは、2022年(令和4)9月23日に、武雄温泉駅~長崎駅間が西九州新幹線として開業しています。

〇九州新幹線関係略年表

・1970年(昭和45)5月18日 「全国新幹線鉄道整備法」が公布される
・1972年(昭和47)6月29日 北海道新幹線(青森市~札幌市)、東北新幹線(盛岡市~青森市)、北陸新幹線(東京都~大阪市)、九州新幹線(福岡市~鹿児島市)4路線の基本計画決定および調査の指示がされる
・1973年(昭和48)11月13日 北海道新幹線(青森市~札幌市)、東北新幹線(盛岡市~青森市)、北陸新幹線(東京都から大阪市)、九州新幹線(福岡市~鹿児島市)、九州新幹線(福岡市~長崎市)5路線の整備計画決定および建設の指示がなされる
・1982年(昭和57)9月24日 臨時行政調査会第三次答申にて、財政赤字の拡大、国鉄の経営悪化を理由に整備新幹線の建設計画の当面見合わせを閣議決定する
・1984年(昭和59)10月12日 環境影響評価報告書案を公表する
・1986年(昭和61)8月29日 博多~西鹿児島間の工事実施計画認可申請する
・1987年(昭和62)1月30日 整備新幹線計画見合わせの閣議決定を変更する
・1987年(昭和62)4月1日 国鉄分割民営化に伴い、JR各社および新幹線鉄道保有機構発足、九州新幹線は九州旅客鉄道(JR九州)の管轄とされる
・1988年(昭和63)8月31日 「整備新幹線の取扱について」政府・与党申合せにおいて整備新幹線着工優先順位決定、九州新幹線は運輸省案で第3位となる
・1989年(平成元)6月2日 整備新幹線難工事推進事業計画(第三紫尾山トンネル)認可される
・1990年(平成2)12月24日 「整備新幹線着工等について政府与党申合せ」により八代~西鹿児島間のスーパー特急方式による着工を決定、並行在来線をJRから経営分離することを明記する
・1991年(平成3)9月7日 八代~西鹿児島間で、スーパー特急方式による起工式がなされる
・1998年(平成10)10月13日 九州新幹線鹿児島ルート 八代~西鹿児島間の工事実施計画変更認可される
・1999年(平成11)5月12日 九州新幹線鹿児島ルート 船小屋信号場~新八代間の工事実施計画変更認可される
・2000年(平成12年)12月18日 「整備新幹線の取扱いについて」政府・与党申し合わせにおいて、博多~船小屋信号場間の着工、全線のフル規格化、交通結節点として、新鳥栖駅の整備を行うことを決定する
・2001年(平成13)4月25日 九州新幹線鹿児島ルート 新八代~西鹿児島間の工事実施計画追加認可(フル規格化)、博多~新八代間の工事実施計画追加認可(フル規格化、博多 - 船小屋信号場間着工)される
・2004年(平成16)3月13日 九州新幹線(鹿児島ルート)新八代駅~鹿児島中央駅間 (126.8 km) が開業する
・2005年(平成17)12月26日 博多~新八代間の工事実施計画(その2)を追加認可する
・2009年(平成21)8月4日 九州新幹線(鹿児島ルート) 博多~新八代間の工事実施計画追加認可(工事予算が8,920億円に増額)がなされる
・2011年(平成23)3月12日 九州新幹線(鹿児島ルート)博多駅~新八代駅間 (130.0 km) が開業、全線開通となる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1192年(建久3)第77代の天皇とされる後白河天皇の命日(新暦4月26日)詳細
1868年(慶応4)江戸開城を巡って、西郷隆盛と勝海舟が江戸で会談を始める(新暦4月5日)詳細
1937年(昭和12)日本初のプラネタリウムが設置された大阪市立電気科学館(のちの大阪市立科学館)が開館する詳細
1945年(昭和20)初めての大阪大空襲で、死者3,987名、行方不明者678名、被災戸数136,107戸を出す詳細
1946年(昭和21)「華族世襲財産法」(明治19年勅令第34号)が廃止される詳細
1988年(昭和63)青函トンネルが開通する詳細
青函連絡船の通常運航が終了する詳細
2018年(平成30)推理作家内田康夫の命日詳細

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 今日は、平成時代の2000年(平成12)に、徳島自動車の井川池田IC~川之江東JCT間が開通し、高知自動車道と接続してエックスハイウェイが完成した日です。
 徳島自動車道(とくしまじどうしゃどう)は、徳島県鳴門市の鳴門JCTを起点とし、愛媛県四国中央市の川之江東JCTに至る高速道路です。1966年(昭和41)7月1日に、「国土開発幹線自動車道建設法」でルートが修正され、四国縦貫道として、徳島と松山・大洲間を直線的に結ぶ形に変更されて予定路線となりましたが、1973年(昭和48)に最初のルート案がが発表されたものの反対運動が起き、1978年(昭和53)に現在のルートに変更して決定されました。
 1994年(平成6)3月17日に、藍住IC~脇町IC間が初めて開通、1995年(平成7)8月9日に徳島IC~藍住IC間、1997年(平成9)12月3日に脇町IC~美馬IC間、1999年(平成11)3月30日に美馬IC~井川池田IC間と延伸開通し、2000年(平成12)3月11日には、井川池田IC~川之江東JCT間が延伸開通し、これにより高知自動車道と接続し、四国四県の県庁所在地をX(エックス)の字に結ぶ、通称エックスハイウェイが完成します。2015年(平成27)3月14日に、鳴門JCT~徳島IC間が開通により、2車線対面通行で全線開通しましたが、2019年(平成31)から4車線化の認可をを受けて、拡幅工事が進められててきました。
 総延長は106.2kmで、徳島・愛媛県境である境目峠を貫く新境目トンネルから、吉野川沿いに徳島平野を貫いています。徳島道沿線地域のみならず、愛媛県・高知県及び神戸淡路鳴門自動車道で繋がる関西地方への経済波及効果も高く、四国と関西の経済を繋ぐ重要な役割を担ってきました。

〇徳島自動車道関係略年表

・1966年(昭和41)7月1日 「国土開発幹線自動車道建設法」でルートが修正され、四国縦貫道は徳島と松山・大洲間を直線的に結ぶ形に変更され、国幹道の予定路線となる
・1973年(昭和48) 最初のルートが発表される
・1978年(昭和53) 現在のルートに変更して決定される
・1994年(平成6)3月17日 : 藍住IC~脇町IC間が開通する
・1995年(平成7)8月9日 : 徳島IC~藍住IC間が開通し上板SAが供用開始する
・1997年(平成9)12月3日 : 脇町IC~美馬IC間が開通し阿波PAが供用開始する
・1999年(平成11)3月30日 : 美馬IC~井川池田IC間が開通する
・2000年(平成12)3月11日 : 井川池田IC~川之江東JCT間が開通し、これにより高知自動車道と接続しエックスハイウェイが完成する
・2004年(平成16)10月31日 : 吉野川SAで吉野川ハイウェイオアシススマートIC社会実験が開始する
・2006年(平成18)10月1日 : 吉野川スマートICが恒久化し本格供用を開始する
・2013年(平成25)6月4日 : 徳島TBを廃止、これにより徳島IC料金所を新設し供用開始する
・2015年(平成27)3月14日 : 鳴門JCT~徳島IC間が開通により全線開通する
・2019年(平成31)3月29日 : 脇町IC~美馬IC間の一部において、国土交通省より4車線化工事の事業許可を受ける
・2019年(令和元)9月4日:国土交通省が徳島道の暫定2車線区間のうち、藍住IC~川之江東JCT間を10~15年後を目処に4車線化する優先整備区間に選定する方針を発表する
・2020年(令和2)3月10日 : 国土交通省が徳島道の4車線化優先整備区間のうち、2020年度に新たに4車線化事業に着手する候補箇所として土成IC~脇町IC間を選定する
・2020年(令和2)3月31日:土成IC~脇町IC間の4車線化工事について国土交通省より事業許可を受ける
・2020年(令和2)12月19日:土成IC~脇町IC間のうち7.5 kmについて、4車線化工事の一環として、上下対面通行から上下分離通行化する
・2021年(令和3)3月31日 : 土成IC~脇町IC間のうち7.5 kmが4車線化する
・2022年(令和4)3月21日 : 徳島JCTにて徳島南部自動車道と接続する
・2024年(令和6)3月1日:国土交通省が4車線化優先整備区間のうち、2024年度に新たに4車線化事業に着手する候補箇所として美馬IC~吉野川SASIC間の一部(延長4.8km)を選定する
・2024年(令和6)3月27日:美馬IC~吉野川SASIC間の一部(延長4.8km)において、国土交通省より4車線化工事の事業許可を受ける

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1160年(永暦元)平治の乱に敗れた源頼朝が伊豆に配流される(新暦4月19日)詳細
1582年(天正10)織田信長・徳川家康連合軍に敗れた武田勝頼が自害し甲斐武田家が滅亡(新暦4月3日)詳細
1643年(寛永20)江戸幕府が「田畑永代売買禁止令」を発布する(新暦4月29日)詳細
1834年(天保5)福井藩士・幕末の志士・思想家橋下佐内の誕生日(新暦4月19日)詳細
1901年(明治33)国木田独歩の初の作品集『武蔵野』が民友社から刊行される詳細
1903年(明治36)小説家・随筆家・登山家深田久弥の誕生日詳細
2010年(平成22)農林水産省により「ため池百選」が選定される詳細
2011年(平成23)東北地方太平洋沖地震が発生し、激しい揺れと大津波によって、東日本大震災と称される大被害を出す詳細

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 今日は、大正時代の1920年(大正8)に、東京市街自動車の乗合自動車[バス]に女性車掌(バスガール)が登場した日です。
 乗合自動車[バス](のりあいじどうしゃ)は、一定の運賃で不特定の旅客を乗せ、定まった路線を運行する大型の自動車のことで、乗合バスとも呼ばれます。日本では、明治時代後期の1903年(明治36)9月20日に、京都府京都市の堀川中立売~七条~祇園で、運行されたのが最初とされてきました。
 この日、京都府京都市の二井商会(福井九兵衛と坪井清兵衛によって創業)が、蒸気自動車を改造した幌なしの6人乗り車両(運転手、助手、乗客4名)によって、運行開始されます。同年11月21日には、京都府自動車取締規則により正式な許可業とされのしたが、翌年1月には、経営破綻によって営業を終えました。
 また、1905年(明治38)2月5日に広島県の横川町~可部町間(約15km)でも、12人乗りで運行開始されましたが、こちらも車両そのものの不備、乗合馬車屋からの反対等により、同年9月に事業を終了しています。明治時代には、ライバルの乗合馬車屋からの妨害や車両の故障が相次ぎ、本格的な営業の継続が難しかったと言われていました。
 大正時代に入ると、車両の信頼性も高まり、全国的にバス事業を取り扱う事業者が増えていきます。特に東京市では、1923年(大正12)9月1日に起こった関東大震災の影響で路面電車が大きな被害を受け、この代替輸送として、乗合バスが活用されて、普及していきました。
 現在日本での乗合バスは、原則として「道路運送法」に基づく一般乗合旅客自動車運送事業の免許を必要とし、運賃改定にあたっては運輸大臣 (陸運局長) の認可を必要としています。また、同法第3条により一般自動車運送事業に分類され、その中の一般乗合旅客自動車運送事業(乗合旅客を運送する一般旅客自動車運送事業)とされてきました。
 尚、1987年(昭和62)に、日本バス協会が9月20日を「バスの日」と定めました。そして、2009年(平成21)からは、それを記念して、日本バス協会が毎年9月ごろに「バスフェスタ」を開催し始めます。また、この日の前後に全国のバス事業者によって、さまざまな催し(試乗会、一日乗車券の販売など)が行われるようになりました。

〇乗合自動車[バス]関係略年表

・1903年(明治36)3月 大阪で開かれた内国勧業博覧会への旅客輸送のために、梅田と天王寺を結ぶ臨時バス路線が開設される
・1903年(明治36)9月20日 京都府京都市の堀川中立売~七条~祇園で、日本初の乗合バスが運行され、「バスの日」とされる
・1905年(明治38)2月5日 広島県の横川町~可部町間(約15km)でも、12人乗りで運行開始される
・1913年(大正2)4月15日 東京府では京王電気軌道(のち京王帝都電鉄を経て京王電鉄バス)が、京王線の開業時に未成区間を補完するため車両5台で乗合バスを開業する
・1920年(大正8)2月2日 東京市街自動車の乗合自動車[バス]に女性車掌(バスガール)が登場する
・1923年(大正12) 関東大震災(大正関東地震)で被災した東京市電の代わりに、応急的な処置として東京市電気局がT型フォードを約800台輸入し、11人乗りに改造してバス事業を開始する(都営バスの起こり)
・1927年(昭和2)2月26日 大阪市電気局が大阪市電の補完として大阪市営バスを営業開始する
・1928年(昭和3)5月10日 京都市電気局(現在の京都市交通局)が京都市電の補完として、京都市バスを営業開始する
・1928年(昭和3)11月10日 横浜市営バスが7路線で営業開始する
・1930年(昭和5)2月1日 名古屋市電気局が名古屋市電の補完として、名古屋市営バスを営業開始する
・1930年(昭和5)9月16日 神戸市電気局が神戸市電の補完として、神戸市バスを営業開始する
・1930年(昭和5)12月20日 岡崎駅~多治見駅間・瀬戸記念橋駅~高蔵寺駅間にて省営自動車(現在のJRバス)岡多線の運行を開始する
・1933年(昭和8) 「自動車交通事業法」が整備され「一路線一事業者」の原則が示される
・1938年(昭和13) 「陸上交通事業調整法」が施行され、バス事業のほぼ強制的な統合が行われる
・1940年(昭和15) 「陸運統制令」が施行され、バス事業のほぼ強制的な統合が行われる
・1940年(昭和15)9月11日 商工省では営業バスの7割を代替燃料にするよう禁令を発す
・1941年(昭和16)9月1日 代用燃料を利用するバスのみに営業許可を出すこととなる
・1948年(昭和23)3月8日 尼崎市交通局が発足する
・1949年(昭和24)1月5日 伊丹市交通局が発足する
・1950年(昭和25)12月15日 川崎市営バスの運行が開始される
・1964年(昭和39)10月5日 日本初の高速バスである名神ハイウェイバス(名古屋~大阪・神戸間)が運行を開始する
・1984年(昭和59) 「東京都区内バス共通回数乗車券」が発売され、首都圏での運賃支払い共通化の端緒となる
・1992年(平成4) 「バス共通カード」が横浜・川崎地区で運用開始される
・2002年(平成14)2月 「改正道路運送法」施行で乗合バス事業の公的な規制が取り払われ、事業参入が路線ごとの免許制から事業者ごとの許可制へ移行する
・2007年(平成19) 交通系ICカード「PASMOが誕生する
・2009年(平成21) 「バスの日」を記念して、日本バス協会が毎年9月ごろに「バスフェスタ」を開催し始める

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

749年(天平21)社会事業に尽力した法相宗の僧行基の命日詳細
1074年(延久6)公卿・歌人藤原頼通の命日(新暦3月2日)詳細
1929年(昭和4)日本プロレタリア映画同盟(プロキノ)が結成される詳細
1940年(昭和15)第75帝国議会の衆議院本会議において、斎藤孝夫の反軍演説が行われる詳細
1942年(昭和17)大日本国防婦人会・愛国婦人会・大日本聯合婦人会を統合し、大日本婦人会が発足詳細
1946年(昭和21)「宗教法人令」が改正され、神道を宗教として扱かい、神社が国家管理から宗教法人に移行される詳細
1954年(昭和29)日本航空が戦後初の国際航空路(東京~ホノルル~サンフランシスコ線)を開設する詳細
1971年(昭和46)湿地の保存に関する「ラムサール条約」が調印される(世界湿地デー)詳細



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