
執権(しっけん)は、元々は、権力を握ることで、政務を執行する者という意味でしたが、鎌倉時代には、鎌倉幕府で将軍を補佐し、幕政を統轄した職名となります。幕府成立期には政所の別当大江広元のことを執権といっていましたが、3代将軍源実朝の時代には、北条時政も政所別当の地位について2人となり、時政の権力が勝ると共に、執権と称して幕府の実権を掌握するようになります。
時政の後、北条義時がその地位を継承しますが、1213年(建保元)に侍所別当であった和田義盛を滅亡させ、政所と侍所の両別当を兼ねて幕政を統轄するようになり、事実上幕政の最高権力者となりました。これによって、将軍はまったく名目的な存在となり、以後北条氏が独占的に執権の地位を世襲し、権力を掌握します。
連署、評定衆、引付衆らを率いて幕政を統轄し、1333年(元弘3/正慶2)の鎌倉幕府滅亡まで続きました。
時政の後、北条義時がその地位を継承しますが、1213年(建保元)に侍所別当であった和田義盛を滅亡させ、政所と侍所の両別当を兼ねて幕政を統轄するようになり、事実上幕政の最高権力者となりました。これによって、将軍はまったく名目的な存在となり、以後北条氏が独占的に執権の地位を世襲し、権力を掌握します。
連署、評定衆、引付衆らを率いて幕政を統轄し、1333年(元弘3/正慶2)の鎌倉幕府滅亡まで続きました。
〇鎌倉幕府の歴代執権(北条家)一覧
【初代】時政(ときまさ)1203年~1205年(建仁3~元久2)
・1203年(建仁32) 源実朝が第3代将軍となる
・1205年(元久2) 藤原定家らが「新古今和歌集」を編さんする
【2代】義時(よしとき)1205年~1224年(元久2~貞応3)
・1219年(承久元) 鶴岡八幡宮で源実朝が甥の公暁に暗殺され、源氏が3代で絶える
・このころ、「保元物語」、「平治物語」ができる
・1221年(承久3) 承久の乱が起きる
・1221年(承久3) 京都に六波羅探題をおく
・1224年(貞応3) 親鸞が浄土真宗を広める
【3代】泰時(やすとき)1224年~1242年(貞応3~仁治3)
・1225年(嘉禄元) 評定衆が設置される
・1227年(安貞元) 道元が宋より帰り、曹洞宗を伝える
・1232年(貞永元) 御成敗式目(貞永式目)がつくられる
・このころ、「平家物語」「小倉百人一首」「源平盛衰記」などが著される
【4代】経時(つねとき)1242年~1246年(仁治3~寛元4)
【5代】時頼(ときより)1246年~1256年(寛元4~康元元)
・1247年(宝治元) 宝治合戦が起きる
・1249年(建長元) 引付衆が設置される
・1252年(建長4) 鎌倉に大仏ができる
・1253年(建長5) 南宋より蘭渓道隆を招いて鎌倉に建長寺を建てる
・このころ、日蓮が法華経(日蓮宗)を広める
【6代】長時(ながとき)1256年~1264年(康元元~文永元)
・1260年(文応元) 日蓮が「立正安国論」を著す
・1261年(弘長元) 日蓮が伊豆に流される
【7代】政村(まさむら)1264年~1268年(文永元~文永5)
【8代】時宗(ときむね)1268年~1284年(文永5~弘安7)
・1268年(文永5) 元の使者を追い返す
・1274年(文永11) 第1回元寇(文永の役)が起きる
・1275年(文永12) 異国警固番役が設置される
・1279年(弘安2) 一遍が踊念仏を始める
・1281年(弘安4) 第2回元寇(弘安の役)が起きる
・1282年(弘安5) このころ、阿仏尼が「十六夜日記」を著す
【9代】貞時(さだとき)1284年~1301年(弘安7~正安3)
・1285年(弘安8) 霜月騒動が起きる
・1293年(永仁元) 鎮西探題が設置される
・1297年(永仁5) 幕府が徳政令を出し、御家人の困苦を救う(永仁の徳政令)
【10代】師時(もろとき)1301年~1311年(正安3~応長元)
【11代】宗宣(むねのぶ)1311年~1312年(応長元~応長2)
【12代】煕時(ひろとき)1312年~1315年(応長2~正和4)
【13代】基時(もととき)1315年~1316年(正和4~正和5)
【14代】高時(たかとき)1316年~1326年(正和5~正中3)
・1317年(文保元) 文保の和談が行われる
・1318年(文保2) 後醍醐天皇が即位する
・1324年(正中元) 正中の変が起きる
【15代】貞顕(さだあき)1326年(正中3)
【16代】守時(もりとき)1326年~1333年(正中3~元弘3)
・1331年(元弘元) 元弘の変が起きる
・1332年(元弘2) 後醍醐天皇が隠岐に流される
・1333年(元弘3) 鎌倉幕府が滅びる
☆北条時頼(ほうじょう ときより)とは?
鎌倉幕府第5代執権です。鎌倉時代の1227年(安貞元年5月14日)に、鎌倉において、六波羅探題北方に任じられた父・北条時氏(鎌倉幕府3代執権・北条泰時の長男)の次男(母は安達景盛の娘)として生まれましたが、幼名は戒寿と言いました。
1230年(寛喜2)に3歳で父が亡くなったため、祖父・北条泰時に養育されることになります。1237年(嘉禎3)に11歳で元服して、五郎時頼を名乗り、左兵衛少尉に任官しました。
1243年(寛元元)に左近将監従五位下となり、1246年(寛元4)には兄経時の病気隠退のあとを受け、第5代執権に就任しました。その直後、同族名越光時らの陰謀を押えて一味を追放、翌年には、安達氏と協力して、光時と意を通じた三浦一族を挑発してこれを滅ぼします(宝治合戦)。
さらに、1252年(建長4)に第5代将軍藤原頼嗣を廃して宗尊親王を迎える(親王将軍の始まり)など、北条氏の権力確立に努めました。1249年(建長元)に相模守となり、引付衆を置き裁判の迅速公平を図るなど、幕政の刷新を図ります。
一方、1253年(建長5)には、13ヶ条の新制で撫民のことを定め農民の保護に努めるなど善政を敷いたとされてきました。また、禅宗にも深い関心を抱き、同年に宋僧蘭渓道隆を招いて、鎌倉に建長寺を建てています。
1256年(康元元)に病により、家督を6歳の時宗に譲り、最明寺で出家、法名を覚了房道崇としたものの、出家後も幕政に参与しました。その後、諸国を回り民政を視察したという伝説が生じましたが、1263年(弘長3年11月22日)に、鎌倉の最明寺北亭において、数え年37歳で亡くなっています。
1230年(寛喜2)に3歳で父が亡くなったため、祖父・北条泰時に養育されることになります。1237年(嘉禎3)に11歳で元服して、五郎時頼を名乗り、左兵衛少尉に任官しました。
1243年(寛元元)に左近将監従五位下となり、1246年(寛元4)には兄経時の病気隠退のあとを受け、第5代執権に就任しました。その直後、同族名越光時らの陰謀を押えて一味を追放、翌年には、安達氏と協力して、光時と意を通じた三浦一族を挑発してこれを滅ぼします(宝治合戦)。
さらに、1252年(建長4)に第5代将軍藤原頼嗣を廃して宗尊親王を迎える(親王将軍の始まり)など、北条氏の権力確立に努めました。1249年(建長元)に相模守となり、引付衆を置き裁判の迅速公平を図るなど、幕政の刷新を図ります。
一方、1253年(建長5)には、13ヶ条の新制で撫民のことを定め農民の保護に努めるなど善政を敷いたとされてきました。また、禅宗にも深い関心を抱き、同年に宋僧蘭渓道隆を招いて、鎌倉に建長寺を建てています。
1256年(康元元)に病により、家督を6歳の時宗に譲り、最明寺で出家、法名を覚了房道崇としたものの、出家後も幕政に参与しました。その後、諸国を回り民政を視察したという伝説が生じましたが、1263年(弘長3年11月22日)に、鎌倉の最明寺北亭において、数え年37歳で亡くなっています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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| 1898年(明治31) | 東京市本郷区で本郷大火があり、1,478戸を焼失する | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 小磯国昭内閣が「国民義勇隊」結成を閣議決定する | 詳細 |
| 1950年(昭和25) | 世界気象機関(WMO)が設立される(世界気象デー) | 詳細 |
| 1979年(昭和54) | 漫画家近藤日出造の命日 | 詳細 |
| 1981年(昭和56) | 国語審議会が当用漢字表に代わる「常用漢字表」を答申する | 詳細 |
| 2013年(平成25) | 全国10種類の交通系ICカードで、交通系ICカード全国相互利用サービスが開始される | 詳細 |



