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 今日は、明治時代中頃の1890年(明治23)に、琵琶湖の水を京都に引く琵琶湖疏水が完成し、明治天皇・皇后御臨幸で竣工式が挙行された日です。
 琵琶湖疏水(びわこそすい)は、琵琶湖の南岸(現在の滋賀県大津市三保ヶ崎)から取水し、長等山などをトンネルで抜け、京都市内へ通じる水路で、舟運、発電、上水道、灌漑を目的としてつくられました。田辺朔郎の設計、施工により、明治時代前期の1885年(明治18)に工事が始まり、1890年(明治23)に大津から鴨川までの第一疏水(全長17.7km、幅6.4~11.5m、水深1.7m)が完成、3月15日に全線通水が完了し、4月9日に竣工式が挙行されます。
 続いて、鴨川から宇治川までの鴨川運河は、1892年(明治25)に工事が始まり、1895年(明治28)に完成しました。さらに、第一疏水の北側に並行し、全水路がトンネル内を走る第二疏水(全長7.4km、幅4m、水深3.1m)が、1908年(明治41)に着工し、1912年(明治45)に完成し、蹴上で第1疏水と合流するようになります。
 これらの開削工事は、西欧の近代的土木技術を取得した日本人技師による大規模な土木工事であり、明治時代における日本の土木技術水準の高さを示すものでした。そこで、1996年(平成8)に第一疎水の第一・第二・第三隧道の出入り口、第一竪坑、第二竪坑、日本初の鉄筋コンクリート橋、インクライン、疎水分線の水路閣などが国の史跡に指定されたのです。
 尚、2006年(平成18)2月3日には、農林水産省によって「疏水百選」の一つに選定され、2007年(平成19)11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定されました。

〇琵琶湖疎水関係略年表

・1881年(明治14)1月19日 北垣国道京都府知事に就任(2月着任)、琵琶湖疏水の検討開始
・1881年(明治14)4月 第1疏水工事の測量開始
・1883年(明治16)2月 大津・京都間の測量を完了
・1883年(明治16)5月22日 田邉朔郎京都府御用掛に採用(7月京都着)
・1883年(明治16)11月7日 勧業諮問会、全会一致で琵琶湖疏水起工に賛成
・1883年(明治16)11月17日 上・下京連合区会,琵琶湖疏水工事議案を可決
・1884年(明治17)7月 上・下京連合区会、琵琶湖疏水予算を可決
・1884年(明治17)9月 琵琶湖疏水起工伺を国に提出
・1885年(明治18)1月29日 琵琶湖疏水起工の特許を指令
・1885年(明治18)6月2日 起工式挙行
・1885年(明治18)8月6日 第1トンネル竪坑より着工開始
・1887年(明治20)5月 インクライン工事に着手
・1889年(明治22)2月27日 第1トンネル貫通
・1890年(明治23)3月15日 全線通水完了
・1890年(明治23)4月9日 明治天皇・皇后御臨幸で竣工式挙行
・1890年(明治23)6月14日 鴨川運河起工許可
・1891年(明治24)5月 蹴上発電所完成
・1891年(明治24)11月 蹴上発電所の送電開始
・1891年(明治24)11月 蹴上インクライン運転開始
・1891年(明治24)12月26日 蹴上インクラインの営業開始
・1892年(明治25)11月25日 鴨川運河着工
・1894年(明治27)9月25日 鴨川運河の疏通式、
・1895年(明治28)1月10日 鴨川運河の通船開始
・1895年(明治28)2月1日 京都電気鉄道開業
・1895年(明治28)3月10日 伏見インクライン完成
・1896年(明治29)7月29日 夷川船溜で武徳会(現京都踏水会)水泳講習開始
・1902年(明治35)4月 第2疏水計画を京都府に出願 
・1905年(明治38)9月 第2疏水計画を滋賀県に出願 
・1906年(明治39)3月19日 第2琵琶湖疏水工事認可
・1908年(明治41)2月10日 水道敷設認可
・1908年(明治41)10月 大津・京都間の測量を完了 
・1912年(明治45)4月1日 水道給水開始
・1914年(大正3)4月7日 夷川発電所完工(4月8日使用開始)
・1914年(大正3)5月14日 伏見(墨染)発電所完工(5月22日使用開始)
・1924年(大正13)12月 松ヶ崎浄水場建設開始
・1927年(昭和2)6月 松ヶ崎浄水場完成
・1931年(昭和6)3月28日 伏見閘門、新放水路完成式
・1935年(昭和10) 鴨川運河し尿船のみとなる
・1936年(昭和11)3月31日 蹴上インクライン船枠新造、改造
・1936年(昭和11)8月 山科浄水場一部完成、給水開始
・1936年(昭和11) 疏水運河上り大津行き貨物なくなる
・1940年(昭和15)3月 山科浄水場新設
・1942年(昭和17)4月1日 配電統制令により3発電所他の市営電気事業を関西配電に現物出資
・1943年(昭和18)8月13日 伏見インクライン休止
・1945年(昭和20)10月23日 伏見浄水場給水開始
・1948年(昭和23)11月26日 蹴上インクライン休止
・1949年(昭和24)5月25日 九条山浄水場(旧防火用御所水道を転用)完成
・1950年(昭和25)11月 松ヶ崎浄水場導水管整備工事完成。ほぼ分線に沿った埋設管路とする
・1951年(昭和26)9月 最後の疏水船が大津・山科間にて土砂を運搬
・1951年(昭和26)12月19日 疏水分線賀茂川-堀川を水道局から土木局に移管
・1959年(昭和34)3月 伏見インクライン電気設備撤去
・1960年(昭和35)3月31日 蹴上インクライン電気設備撤去
・1961年(昭和36)8月1日 疏水分線白川道(志賀越道)から下流を土木局に移管
・1964年(昭和39)7月29日 山ノ内浄水場給水開始
・1966年(昭和41)11月25日 山ノ内浄水場完成
・1966年(昭和41)3月28日 伏見インクライン跡地売買契約(1968年(昭和43年)1月着工)
・1968年(昭和43)8月6日 蹴上から取水の新山科浄水場一部完成、給水開始
・1968年(昭和43) 湖西線との立体交差部分トンネル補強工事
・1969年(昭和44)3月 山科浄水場・伏見浄水場が休止
・1969年(昭和44)9月 諸羽トンネル着工
・1970年(昭和45) 山科浄水場廃止
・1970年(昭和45)5月末 国鉄湖西線建設により第1疏水諸羽トンネル完成
・1970年(昭和45)11月 新山科浄水場完工
・1972年(昭和47)3月 哲学の道開通式
・1973年(昭和48)3月30日 山ノ内浄水場取水点変更認可(夷川から蹴上へ)
・1973年(昭和48) 山ノ内浄水場の配管埋設のため、蹴上インクラインのレール取り外し
・1975年(昭和50)6月 山科浄水場廃止
・1977年(昭和52)5月10日 蹴上インクライン復元(形態保存)完成式
・1977年(昭和52)10月 伏見浄水場廃止
・1978年(昭和53)2月10日 京阪本線地下化関連の疏水(鴨川運河)改築認可
・1983年(昭和58)7月 南禅寺水路閣と蹴上インクラインを京都市の文化財に指定
・1987年(昭和62)10月15日頃 改築部分の停水
・1988年(昭和63)4月15日 改築部分の通水開始
・1989年(平成元)京阪本線地下化と三条駅~出町柳駅開設で、川端御池付近~塩小路間は暗渠になる
・1989年(平成元)3月31日 鴨川運河改築工事完成
・1989年(平成元)8月1日 琵琶湖疏水竣工100周年記念事業の一環として「琵琶湖疏水記念館」開館
・1990年(平成2)4月 琵琶湖疏水竣工百周年記念式を拳行 
・1991年(平成3)8月 第2疏水連絡トンネル着工
・1996年(平成8)6月19日 琵琶湖第1疏水(インクライン、水路閣等12ヶ所)が国の史跡に指定される
・1999年(平成11)12月 第2疏水連絡トンネル竣工
・2001年(平成13) 琵琶湖疏水の発電施設群が「土木学会選奨土木遺産」に指定される 
・2004年(平成16)3月 九条山浄水場廃止
・2006年(平成18)2月3日 農林水産省等により、「疏水百選」に選定される
・2007年(平成19)11月30日 経済産業省から「近代化産業遺産」に認定される
・2009年(平成21)10月 「琵琶湖疏水記念館」開館20周年リニューアルオープン
・2013年(平成25)3月 山ノ内浄水場廃止

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

554年(欽明天皇15)推古天皇の誕生日(新暦5月21日)詳細
752年(天平勝宝4)奈良・東大寺の蘆舎那仏(東大寺大仏)の開眼供養が行われる(新暦5月26日)詳細
1584年(天正12)小牧・長久手の戦いの中の長久手の戦いが行われる(新暦5月18日)詳細
1892年(明治25)詩人・小説家佐藤春夫の誕生日詳細
1911年(明治44)東京の吉原大火で、死者8名、負傷者100名以上、全焼6,189戸、半焼69戸の被害を出す詳細
1921年(大正10)「職業紹介法」(大正10年法律第55号)が公布(同年7月1日施行)される詳細
1922年(大正11)日本最初の農民組合の統一組織である日本農民組合が創立される詳細
1976年(昭和51)小説家・劇作家武者小路実篤の命日詳細

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 今日は、明治時代前期の1876年(明治9)に、「廃刀令」(明治9年太政官布告第38号)が発布された日です。
 「廃刀令」(はいとうれい)は、明治時代前期の1876年(明治9)3月28日に、発布された、大礼服着用者・勤務中の軍人や警察官吏以外は刀を身に付けることを禁止する「明治9年太政官布告第38号」のことで、正式名称は、「大禮服竝ニ軍人警察官吏等制服著用ノ外帶刀禁止の件」と言い、「帯刀禁止令」とも呼ばれています。1870年(明治3)に、庶民の帯刀禁止令が出され、翌年には、帯刀・脱刀を自由とする「散髪脱刀令」が発せられたものの、帯刀は士族身分の象徴として保守的な士族を中心に続けられました。
 1873年(明治6年)の「徴兵令」施行により、士族の帯刀は不都合だとされ、1875年(明治8年)12月に、陸軍卿山県有朋が帯刀の必要はなくなったとして廃刀を建議します。そこで、本太政官布告が発布されたのですが、これによって、士族の封建的諸特権はことごとく奪われることとなり、神風連の乱や西南戦争のような不平士族の反乱が起こる要因ともなりました。
 大平洋戦争敗戦後の1946年(昭和21)に、「銃砲等所持禁止令」(昭和21年勅令第300号)の施行により刀剣類の所持が禁止されたことで、本太政官布告は実効性が喪失され、1954年(昭和29年)7月1日の「内閣及び総理府関係法令の整理に関する法律」(昭和29年法律第203号)第4号により、廃止されています。

〇「廃刀令」(明治9年太政官布告第38号) 1876年(明治9)3月28日発布

大禮服竝ニ軍人警察官吏等制服著用ノ外帶刀禁止

 自今大禮服著用竝ニ軍人及ヒ警察官吏等制規アル服著用ノ節ヲ除クノ外帶刀被禁候條此旨布吿候事

 但違反ノ者ハ其刀可取上事

 「ウィキソース」より

☆「廃刀令」関係略年表

・1869年(明治2年3月) 公議所が開かれたとき、制度寮撰修森有礼は佩刀禁止を提議するも、否決される
・1870年(明治3年) 庶民の帯刀が禁止される
・1871年(明治4年8月9日) 帯刀・脱刀を自由とする「散髪脱刀令」が発せられる
・1873年(明治6年) 「徴兵令」施行により、士族の帯刀は不都合だとされる
・1875年(明治8年)12月 陸軍卿山県有朋が徴兵令により武士の帯刀の必要はなくなったとして廃刀を建議する
・1876年(明治9年)3月28日 「廃刀令」が発布される
・1946年(昭和21年) 「銃砲等所持禁止令」(昭和21年勅令第300号)の施行により刀剣類の所持が禁止されたことで、本太政官布告は実効性を喪失する
・1954年(昭和29年)7月1日 「内閣及び総理府関係法令の整理に関する法律」(昭和29年法律第203号)第4号により、太政官布告が廃止される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1052年(永承7)藤原頼通が宇治の別荘を平等院と命名する(新暦4月29日)詳細
1312年(正和元)京極為兼が『玉葉和歌集』(二十一代集の14番目)を撰進する(新暦5月5日)詳細
1682年(天和2)連歌師・俳人・談林派の祖西山宗因の命日(新暦5月5日)詳細
1868年(慶応4)神祇官事務局達(いわゆる神仏判然令)が出される詳細
1920年(大正9)平塚らいてうら70名によって、新婦人協会の発会式が行われる詳細
1929年(昭和4)「国宝保存法」が公布される詳細
1940年(昭和15)内務省がミス・ワカナ、ディック・ミネ、藤原釜足ら16人に改名を命令する詳細
1993年(平成5)東京都立の「東京都江戸東京博物館」が開館する詳細

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 今日は、明治時代後期の1909年(明治42)に、博文館より刊行された、永井荷風著の『ふらんす物語』が、風俗を潰乱するとして発禁になった日です。
 『ふらんす物語』(ふらんすものがたり)は、永井荷風著の短編小説集です。永井荷風が1907年(明治40)夏~翌年にかけて、フランスに遊学した経験をもとにして、執筆されました。
 青年時代の荷風が、その体験に基づく随想、短編小説を耽美な文体で書き綴った、初期の代表作です。享楽主義的志向と耽美)的感情が流麗に描かれ、その清新な詩情によるエキゾチシズムは自然主義中心の文壇に新風を吹き込みました。
 同作は「船と車」「ローン河のほとり」「秋のちまた」「蛇つかい」「晩餐」「祭の夜がたり」「霧の夜」「おもかげ」「再会」「ひとり旅」「雲」「巴里のわかれ」「黄昏の地中海」「ポートセット」「新嘉坡の数時間」「西班牙料理」「橡の落葉」「橡の落葉の序」「墓詣」「休茶屋」「裸美人」「恋人」「夜半の舞蹈」「美味」「ひるすぎ」「舞姫」などの話から成り立っています。しかし、1909年(明治42)3月25日に、博文館より刊行された初版本は、その官能性により、ただちに発禁処分となり、1915年(大正4)に、ようやく世に出されました。

〇永井荷風(ながい かふう)とは?

 明治時代から昭和時代に活躍した小説家・随筆家です。明治時代前期の1879年(明治12)12月3日に、東京市小石川区(現在の文京区春日)で、尾張藩士族出身のエリート官吏の父・久一郎と母・恒(つね)の長男として生まれましたが、本名は壮吉と言いました。
 高等師範附属尋常中学科(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、1897年(明治30)に外国語学校清語科に進みます。しかし、1899年(明治32)に中退して、広津柳浪の門に入り小説家を志しますが、習作のかたわら、落語家や歌舞伎作者の修業もしました。
 1902年(明治35)に小説『地獄の花』を発表、またエミール・ゾラの『大地』、『女優ナナ』などを紹介します。翌年渡米し、フランスへも回って遊学し、1908年(明治41)に帰国します。その後、『あめりか物語』、『ふらんす物語』や『すみだ川』などを執筆し、耽美派の中心的存在となりました。
 1910年(明治43)に慶應義塾大学教授となり「三田文学」を創刊、『腕くらべ』(1916~17年)、『つゆのあとさき』(1931年)、『濹東綺譚 (ぼくとうきたん) 』(1937年)など、随筆や小説等を多く発表します。戦争下では、反国策的な作風のため作品発表の場を失いますが、戦後は、その間ひそかに書きためた『浮沈』、『踊子』、『勲章』、『来訪者』や 1917年以来の日記『断腸亭日乗』を発表しました。
 1952年(昭和27)に文化勲章を受章、1954年(昭和29)に芸術院会員に選ばれましたが、千葉県市川の自宅で自炊生活を続けます。その中で、1959年(昭和34)4月30日に、自宅において、79歳で亡くなりました。

<永井荷風の主要な著作>

・『地獄の花』(1902年)
・『あめりか物語』(1908年)
・『ふらんす物語』(1909年)
・『深川の唄』(1909年)
・『冷笑』(1910年)
・『すみだ川』(1911年)
・『新橋夜話』(1912年)
・訳詩集『珊瑚集』(1913年)
・『腕くらべ』(1916~17年)
・『おかめ笹』(1918年)
・『つゆのあとさき』(1931年)
・『濹東綺譚 (ぼくとうきたん) 』(1937年)
・『ひかげの花』(1946年)
・『問はず語り』(1946年)
・『来訪者』(1946年)
・『浮沈』(1947年)
・『勲章』(1947年)
・『踊子』(1948年)
・日記『断腸亭日乗』(1917~59年)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

850年(嘉祥3)第56代の天皇とされる清和天皇(源氏の祖)の誕生日(新暦5月10日)詳細
1356年(正平11/延文元)二條良基が日本初の連歌選集『菟玖波集』を編纂し、序文が書かれる(新暦4月26日)詳細
1826年(文政9)P.F.vonシーボルトがオランダ商館長に随行して、将軍徳川家斉に謁見する(新暦5月1日)詳細
1906年(明治39)島崎藤村が長篇小説『破戒』を「緑陰叢書」第1篇として自費出版し、自然主義文学の出発点となる詳細
1919年(大正8)建築家・工学博士で、「日本近代建築の父」と呼ばれた辰野金吾の命日詳細
1928年(昭和3)全日本無産者芸術連盟(ナップ)が結成される詳細
1939年(昭和14)「軍用資源秘密保護法」が公布(施行は同年6月26日)される詳細
2005年(平成17)愛知県において、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)が開幕する詳細

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 今日は、明治時代前期の1875年(明治7)に、東京~北海道の電信線が開通し、その間で電報が利用できるようになった日です。
 電報(でんぽう)は、公衆電気通信の一分野で、発信者の原文を電信で送り、先方で紙などに印刷して、受信者に配達する通信サービスです。外国では、1837年に、アメリカ合衆国のサミュエル・F.B.モースが、電気信号を電磁石の動きとして受信する電信機を発明して特許を得、1843年には、モースがアメリカ政府の援助を受け、ワシントンD.C.―ボルティモア間の通信実験に成功、1844年5月24日に、電信システムが実用化されました。
 日本では、1870年(明治2年12月25日)に、東京~横浜間で公衆電報の取扱いが開始され、1871年(明治3)に、長崎~上海間,長崎~ウラジオストク間に国際電信が開通、1908年(明治40)には、千葉県銚子に無線電信所が開業して船舶無線が始まります。20世紀後半以降、電話、ファクシミリ、携帯電話や電子メールの普及によって利用が限定されるようになり、今日では慶弔電報がその中心となりました。

〇日本の電報サービス関係略年表

・1870年1月26日(明治2年12月25日) 東京~横浜に電信線が開通し、電報の取扱いが始まる
・1871年(明治3) 大北電信会社(グレート・ノーザン・テレグラフ。デンマーク資本)による長崎 - 上海、長崎 - ウラジオストク間の海底電信線敷設。欧亜陸上電信線経由で国際電報が開始される
・1873年(明治5) 東京~長崎間の国内電報が開始。大北電信会社とも接続され、逓信省による国際電報の託送が開始された。以後、国内各地への電信線の敷設が急速に進められた。
・1875年(明治7) 東京~北海道の電信線が開通する
・1878年(明治10) 東京木挽町に電信中央局が開業したことにより、海外電報の取り扱いが開始。以後、本格的な電信利用が始まる
・1883年(明治15) 大北電信会社による呼子~釜山間の海底電信線敷設。同社に20年間の海外通信の独占権を与える
・1890年(明治22) 呼子~対馬間の海底電信線を大北電信会社から買収する
・1897年(明治29) 日本独自の大隅半島~基隆間海底電信線を敷設する
・1898年(明治30) 台湾から福建間の海底電信線を日本が買収。イースタン・テレグラフ・カンパニー社(大東電信会社、イギリス資本、後のケーブル・アンド・ワイヤレス社)のThe Red Routeにより接続される
・1904年(明治36)5月7日~1905年(明治37年)9月29日 読売新聞が、本紙直接購読者を対象に、電報料読者負担で重大事件の速報を電報で伝える「電報通信」サービスを行う
・1906年(明治38) 東京~小笠原~グアム間の海底電信線を敷設し、日本とアメリカがコマーシャル・パシフィックケーブル社(商業太平洋電線会社、アメリカ資本)のマニラ - グアム - サンフランシスコ線により接続される
・1908年(明治40) 千葉県銚子に無線電信所が開業して、無線電報サービスが開始される
・1911年(明治43) 対馬~釜山間の海底電信線を大北電信会社より買収する
・1914年(大正3) 第一次世界大戦による好景気で国内・外国電報の利用数が激増する
・1930年(昭和5) 写真電報サービスが開始される
・1934年(昭和9) 年賀電報サービスが開始される
・1936年(昭和11) 冠婚葬祭等の祝電・弔電用として慶弔電報サービスが開始される
・1943年(昭和18) 大東電信会社の運用権を買収、海底電信線を日本領海内で切断、大東電信の名称が国内から消える
・1946年(昭和21) 模写電報サービスを開始する
・1955年(昭和30) 大北電信会社の請求権解決取極(戦後賠償)。
・1969年(昭和41) 大北電信会社の独占権が喪失する
・1976年(昭和30) 至急電報(ウナ電)サービスが終了する
・1985年(昭和60) 夜間配達を19時から翌朝8時に受け付けた緊急定文電報のみに変更。
・1988年(昭和63) ひらがな電報サービスを開始する
・1991年(平成3)3月31日:受付時間を8時から22時までに変更する
・1994年(平成6) 漢字電報サービスを開始する
・2004年(平成16)4月1日 千代田電報配達所と中央電報配達所を合併し、日本一のマンモス配達所になる。
・2018年(平成30)1月1日 緊急定文電報を定文電報に名称変更し、受付時間を午前8時から午後7時に短縮、通常電報の受付時間も午後7時までに変更する
・2023年(令和5)1月10日 定文電報、無線電報、ファクシミリによる電報受付を終了する
・2023年(令和5)1月11日 料金体系を文字数単位料金から、ページ単位料金へ変更する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1882年(明治15)上野公園に博物館(現在の東京国立博物館)が開館する詳細
上野公園に博物館附属動物園(上野動物園)が開館する詳細
1883年(明治16)自由民権運動への弾圧となる高田事件(新潟県)が起こる詳細
1895年(明治28)日清戦争講和のために、下関の料亭春帆楼で日清講和会議が始まる詳細
1906年(明治38)上野公園内に帝国図書館の新館庁舎(現:国際子ども図書館)が竣工、移転し、開館式が挙行される詳細
1914年(大正3)東京の上野公園等で「東京大正博覧会」が開幕する詳細
1935年(昭和10)日本画家速水御舟の命日詳細
1956年(昭和31)秋田県で第二次能代大火が起き、市街の三分の一となる1,475棟を焼失する詳細

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 今日は、明治時代後期の1908年(明治41)に、新潟市内で大火「若狭屋火事」が起き、1,198戸が焼失した日です。
 明治41年3月の新潟大火「若狭屋火事」は、明治時代後期の1912年(明治45)3月8日に、新潟県新潟市で起きた大火です。この日の午前6時半頃に、新潟市古町通8番町の芸者置屋「若狭屋」から出火して、信濃川方面に燃え広がりましたが、木造家屋が多く、消火設備や耐火建築が進んでいなかったために、東堀7番町、東堀通7・8番町、本町通6~8番町、上大川前通1~3番町など、下町の繁華街一帯が類焼しました。
 これによって、市内中心部の西三分の二にあたる1,198戸が焼失し、市役所、警察署、郵便局、電話局なども焼け、その余波を受けて萬代橋も類焼しています。このため、二代目萬代橋が完成するまで仮つり橋を掛けて不便をしのぎました。
 また、同年、9月4日にも、再度の大火があり、全焼2,071戸、半焼18戸を出し、この2回の大火にこりて、新潟市は、上水道を整備したと言われています。その後、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、昭和新潟大火が起こり、行方不明者1名、負傷者235名、焼失家屋892棟を出しました。

〇明治・大正時代の大火一覧(焼失1,000戸以上で、戦火・地震によるものを除く)

・1871年(明治4)9月12日 函館の「切見世火事」(焼失1,123戸)
・1872年(明治5)2月26日 東京の銀座大火(焼失4,879戸)
・1873年(明治6)3月22日 函館の「家根屋火災」(焼失1,314戸)
・1873年(明治6)3月22日~23日 横浜の「相生町の大火」(重軽傷者20余名、焼失1,577戸)
・1874年(明治7)4月27日 浜松明治7年の大火「小野組火事」(焼失家数1,318軒)
・1875年(明治8)4月24日 飛騨高山明治8年の大火(死亡者1名、焼失1,032戸)
・1879年(明治12)1月26日~27日 高崎明治13年の大火(消失2,500余戸)
・1879年(明治12)3月3日 高岡明治12年の大火(焼失2,000余戸)
・1879年(明治12)12月6日 明治12年函館大火(焼失2,326戸)
・1879年(明治12)12月26日 東京の日本橋大火(全焼10,613戸)
・1880年(明治13)5月15日 弘前明治13年の大火(焼失1,000余戸)
・1880年(明治13)5月21日 三条の大火「糸屋万平火事」(死者34名、焼失2,743戸)
・1880年(明治13)8月7日 新潟明治13年の大火(死者3名、負傷名37名、焼失6,175戸)
・1880年(明治13)12月24日 明治13年大阪南の大火「島の内出火」(死者8名、負傷者350~60名、焼失3,388戸)
・1881年(明治14)1月26日 東京の神田の大火(全焼10,673戸)
・1881年(明治14)2月11日 東京の神田区の大火(全焼7,751戸)
・1881年(明治14)4月25日 福島明治の大火「甚兵衛火事」(死者7名、焼失1,785戸)
・1882年(明治15)5月15日 富山県氷見明治の大火(焼失1,600余戸)
・1884年(明治17)5月13日 水戸明治17年「下市の大火」(焼失1,200余戸)
・1884年(明治17)11月7日~8日 盛岡明治17年の大火(焼失1,432戸)
・1885年(明治18)5月31日~6月1日 富山明治18年の大火「安田焼」(死者9名、焼失5,925戸) 
・1886年(明治19)4月30日~5月1日 秋田明治19年の大火「俵屋火事」(死者17名、負傷者186名、焼失3,554戸) 
・1886年(明治19)12月30日 水戸明治19年「上市の大火」(焼失1,800余戸)
・1888年(明治21)1月4日 松本明治21年南深志の大火(死者5名、焼失1,553戸)
・1888年(明治21)1月31日 横浜明治21年野毛の放火による大火(重軽傷者数10人、焼失1,121戸)
・1889年(明治22)2月1日~2日 静岡明治22年の大火(焼失1,100余戸) 
・1890年(明治23)2月27日 東京の浅草大火(全焼1,469戸)
・1890年(明治23)9月5日 明治23年大阪大火「新町焼け」(死者1名、軽傷者206名、全焼2,023戸、半焼60戸)
・1893年(明治26)3月17日~18日 川越大火(焼失1,302戸、土蔵60棟焼失)
・1893年(明治26)3月29日~30日 松阪明治の大火(焼失1,460戸)
・1894年(明治27)5月26日 山形明治27年「市南の大火」(死者15名、負傷者69名、焼失1,284戸) 
・1895年(明治28)4月29日 石川県七尾の大火(焼失1,000余戸)
・1895年(明治28)6月2日~3日 新潟県新発田明治28年の大火(死者4名、負傷者24名、焼失2,410戸)
・1895年(明治28)10月3日 根室明治28年の大火(焼失1,334戸)
・1896年(明治29)4月13日~14日 福井県勝山町明治29年の大火(死者5名、負傷者2名、焼失1,124戸) 
・1896年(明治29)8月26日 函館の「テコ婆火事」(焼失2,280戸)
・1897年(明治30)4月3日 柏崎明治30年の大火「日野屋火事」(焼失1,230戸)
・1897年(明治30)4月22日 八王子大火(死者42名、焼失3,500余戸)
・1898年(明治31)3月23日 東京の本郷大火(死者2名、負傷者42名、焼失1,478戸)
・1898年(明治31)6月4日 直江津(上越市)明治31年の大火「八幡火事」(焼失1,595戸)
・1899年(明治32)8月12日 富山明治32年の大火「熊安焼」(全焼4,697戸、半焼9戸) 
・1899年(明治32)8月12日~13日 横浜明治32年の大火(死者14名、全焼3,124、半焼49戸)
・1899年(明治32)9月15日 明治32年函館大火(焼失2,294戸)
・1900年(明治33)4月18日 福井「橋南大火」(死者11名、負傷者131名、全焼1891軒、半焼3軒)
・1900年(明治33)6月27日 高岡明治33年の大火(死者7名、負傷者46名、全焼3,589戸、半焼25戸)
・1902年(明治35)3月30日 福井明治35年「橋北の大火」(焼失3,309戸)
・1903年(明治36)4月13日 福井県武生町明治の大火(死者7名、重傷者2名、全焼1,057戸)  
・1904年(明治37)5月8日 小樽明治37年「稲穂町の火事」(焼失2,481戸)
・1906年(明治39)7月11日 直江津町(上越市)明治39年の大火「ながさ火事」(焼失1,041戸)  
・1907年(明治40)8月25日 明治40年函館大火(死者8名、負傷者1,000名、焼失12,390戸)
・1908年(明治41)3月8日 新潟明治41年3月の大火「若狭屋火事」(焼失1,198戸)
・1908年(明治41)9月4日 新潟明治41年再度の大火(全焼2,071戸、半焼18戸)
・1909年(明治42)7月31日~8月1日 大阪明治42年「北の大火」(焼失11,365戸)
・1910年(明治43)4月16日 輪島町の大火(全焼1,055軒、半焼15軒)    
・1910年(明治43)5月3日~4日 明治43年青森大火(死者26名、負傷者163名、焼失7,519戸、半焼5戸)
・1911年(明治44)4月9日 東京の吉原大火(全焼6,189戸、半焼69戸)
・1911年(明治44)5月8日 山形明治44年「市北の大火」(全焼1,340戸)
・1911年(明治44)5月16日 小樽明治44年の大火(焼失1,251戸)
・1912年(明治45)1月16日 大阪明治45年「南の大火」(死者4名、全焼4,750戸、半焼等29戸)   
・1912年(明治45)3月21日 東京の州崎大火(全焼1,149戸、半焼11戸)
・1912年(明治45)4月22日 松本明治「北深志の大火」(死者5名、焼失1,341戸)
・1914年(大正3)2月20日 東京神田大正2年三崎町の大火(全焼2,376戸、半焼54戸)
・1917年(大正6)5月22日 大正6年米沢大火(死者11名、負傷者80余名、焼失2,294戸)
・1919年(大正8)5月19日 大正8年米沢大火(死者1名、焼失1,071戸)
・1921年(大正10)4月6日 東京の大正浅草大火(全焼1,227戸、半焼73戸)
・1924年(大正13)5月21日 八戸大火(死者4名、被災戸数1,393棟)
・1925年(大正14)3月18日  大正日暮里大火(全半焼約2,100戸)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

702年(大宝2)文武天皇が初めて全国的に統一された度量(物差しと枡)を定め、諸国に頒布する(新暦4月9日)詳細
1708年(宝永5)京都で「宝永の大火」が起こり、1万軒以上を焼失する(新暦4月28日)詳細
1842年(天保13)日本画家川端玉章の誕生日(新暦4月18日)詳細
1919年(大正8)小説家水上勉の誕生日詳細
1922年(大正11)「史蹟名勝天然紀念物保存法」で、初の国の名勝として天橋立、三保松原、偕楽園等9件が指定される詳細
1923年(大正12)赤瀾会が東京・神田で日本初の国際婦人デー集会を開催する詳細
1940年(昭和15)津田事件によって、津田左右吉・岩波茂雄が出版法違反で起訴される詳細
1954年(昭和29)「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定」(MSA協定)が締結される詳細



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