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 今日は、大正時代の1921年(大正8)に、改正「度量衡法」が公布され、尺貫法・ヤード・ポンド法との併用からメートル法への一本化(勅令により尺貫法およびヤード・ポンド法が当分の間使用できるとされる)がされた日です。
 「度量衡法(どりょうこうほう)」は、1886年(明治19)の「メートル条約」加盟に伴い、日本の長さ・体積・質量の単位をそれに基づいて定め、商取引や公的証明のために用いるとしたもので、1893年(明治26)1月1日に施行されました。日本には、「度量衡取締条例」(明治8年8月5日太政官達第135号)によって尺貫法が整備されていたのですが、1886年(明治19)の「メートル条約」加盟により、1890年(明治23)にメートル原器、キログラム原器が到着したのに伴い、度(長さ)・量(体積)・衡(質量)の計測を精密に定めたものです。
 その内容は、まず基本単位として尺および貫をメートルおよびキログラム原器によって定義し、これに基づいて度、地積、量、衡の単位を定め、布帛(織物等)用に限るとして鯨尺を定め、第5条で、これら尺貫法の単位とメートル法の換算値を掲げ、メートル法度量衡を適法のものとし、尺貫法を基本にメートル法を併用するものとなりました。しかし、 1909年(明治42)の改正によりメートル法を基準として尺貫法、ヤード・ポンド法の3法が併用されることとなります。
 その後、1919年(大正8)に圧力・温度・比重単位の規定が追加され、1921年(大正10)には、メートル法に一本化する改正法が公布されましたが、従来慣用の度量衡(尺貫法およびヤード・ポンド法)は勅令により当分の間使用できると定められました。太平洋戦争後、1951年(昭和26)にこの法律は廃止され、代わって「計量法」(昭和26年法律第207号)が制定されています。
 以下に、「度量衡法」(明治24年3月24日法律第3号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「度量衡法」(明治24年3月24日法律第3号)

第一條 度量ハ尺、衡ハ貫ヲ以テ基本トス 

第二條 度量衡ノ原器ハ白金、「イリヂウム」合金製ノ棒及分銅トス其ノ棒ノ面ニ記シタル標線間ノ攝氏〇、一五度ニ於ケル長サ三十三分ノ十ヲ尺トシ分銅ノ質量四分ノ十五ヲ貫トス 

第三條 度量衡ノ名稱命位ヲ定ムルコト左ノ如シ 

度 

毛 尺ノ萬分ノ一 

厘 尺ノ千分ノ一 

分 尺ノ百分ノ一 

寸 尺ノ十分ノ一 

尺 

丈 十尺 

間 六尺 

町 三百六十尺(六十間) 

里 一萬二千九百六十尺(三十六町) 

地積 

勺 歩ノ百分ノ一 

合 歩ノ十分ノ一 

歩 或ハ坪六尺平方 

畝 三十歩 

段 三百歩 

町 三千歩 

量 

勺 升ノ百分ノ一 

合 升ノ十分ノ一 

升 六萬四千八百二十七立方分 

斗 十升 

石 百升 

衡 

毛 貫ノ百萬分ノ一 

厘 貫ノ十萬分ノ一 

分 貫ノ萬分ノ一 

匁 貫ノ千分ノ一 

貫 

斤 百六十匁 

第四條 從來慣用ノ鯨尺ハ布帛ヲ度ルトキニ限リ之ヲ用ヰルコトヲ得 

鯨尺一尺ハ一尺二寸五分トシ其ノ十倍ヲ鯨尺一丈、十分ノ一ヲ鯨尺一寸、百分ノ一ヲ鯨尺一分トス 

第五條 「メートル」法度量衡ハ左ニ掲クル比較ニ依リ之ヲ適法ノモノトシ本條以下ノ規定ヲ適用ス 

度 

    「メートル」     「ミリメートル」   〇「尺」、〇〇三三〇
 毛  〇、〇〇〇〇三
   (三萬三千分ノ一)       
 厘   〇、〇〇〇三〇
   (三萬三千分ノ十)     「センチメートル」  〇、〇三三〇〇  
 分   〇、〇〇三〇三
   (三萬三千分ノ一百)   「デシメートル」   〇、三三〇〇〇  
 寸   〇、〇三〇三〇
   (三萬三千分ノ一千)   「メートル」     三、三〇〇〇〇  
 尺  〇、三〇三〇三
   (三萬三千分ノ一萬)   「デカメートル」   三三、〇〇〇〇〇  
 丈  三、〇三〇三〇
   (三萬三千分ノ十萬)   「ヘクトメートル」  三三〇、〇〇〇〇〇  
 間  一、八一八一八
   (十一分ノ二十)      「キロメートル」   三三〇〇、〇〇〇〇〇  
 町  一〇九、〇九〇九一
   (十一分ノ一千二百)  
 里  三九二七、二七二七三
   (十一分ノ四萬三千二百)  

  地積  

    「アール」
 勺  〇、〇〇〇三三
   (三千〇二十五分ノ一)    「センチアール」  〇「歩」、三〇二五〇  
 合  〇、〇〇三三一
   (三千〇二十五分ノ十)    「アール」     三〇、二五〇〇〇  
 歩或ハ坪 〇、〇三三〇六
   (三千〇二十五分ノ一百)  「ヘクタール」   三〇二五、〇〇〇〇〇  
 畝  〇、九九一七四
   (三千〇二十五分ノ三千)  
 段  九、九一七三六
   (三千〇二十五分ノ三萬)  
 町  九九、一七三五五
   (三千〇二十五分ノ三十萬)  

量  

   「リットル」
 勺  〇、〇一八〇四
   (十三萬三千一百分ノ二千四百〇一)  「センチリットル」 〇「升」、〇〇五五四
                              (二十四萬〇一百分ノ一千三百三十一)  
 合  〇、一八〇三九
   (十三萬三千一百分ノ二萬四千〇十)  「デシリットル」  〇、〇五五四四
                              (二十四萬〇一百分ノ一萬三千三百十)  
 升  一、八〇三九一
   (十三萬三千一百分ノ二十四萬〇一百)「リットル」    〇、五五四三五
                              (二十四萬〇一百分ノ十三萬三千一百)  
 斗  一八、〇三九〇七
   (十三萬三千一百分ノ二百四十萬一千)「デカリットル」  五、五四三五二
                              (二十四萬〇一百分ノ一百三十三萬一千)  
 石  一八〇、三九〇六八
   (十三萬三千一百分ノ二千四百〇一萬)「ヘクトリットル」 五五、四三五二四
                              (二十四萬〇一百分ノ一千三百三十一萬)  
衡  

     「グラム」
 毛    〇、〇〇三七五       「ミリグラム」  〇「匁」、〇〇〇二七
                        (一萬五千分ノ四)  
 厘    〇、〇三七五〇      「センチグラム」〇、〇〇二六七
                      (一萬五千分ノ四十)  
 分    〇、三七五〇〇      「デシグラム」 〇、〇二六六七
                      (一萬五千分ノ四百)  
 匁    三、七五〇〇〇      「グラム」   〇、二六六六七
                      (一萬五千分ノ四千)  
 貫    三七五〇、〇〇〇〇〇  「デカグラム」 二、六六六六七
                      (一萬五千分ノ四萬)  
                  「ヘクトグラム」二六、六六六六七
                                         (一萬五千分ノ四十萬)  
 斤    六〇〇、〇〇〇〇〇    「キログラム」  二六六、六六六六七
                                            (一萬五千分ノ四百萬)  

第六條 度量衡ノ原器ハ農商務大臣之ヲ保管ス 

農商務大臣ハ度量衡ノ原器ニ依リ副原器二組ヲ製作セシメ原器ノ代用ニ供ス 

副原器ノ一組ハ農商務大臣之ヲ保管シ他ノ一組ハ文部大臣之ヲ保管ス 

第七條 農商務大臣ハ副原器ニ依リ地方原器ヲ製作セシムヘシ 

地方原器ハ地方長官之ヲ保管シ度量衡器檢定ノ標準ニ供スルモノトス 

第八條 度量衡器ヲ製作シ修覆シ若ハ販賣セント欲スル者ハ地方長官ヲ經由シ農商務大臣ニ願出免許ヲ受クヘシ 

製作ノ免許ヲ得タル者ハ修覆及販賣ヲナスコトヲ得 

免許ニ關スル年限、身元保證金其ノ他必要ナル制限ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム 

第九條 度量衡器ヲ製作シ修覆シ若ハ輸入シテ販賣シ又ハ營業ノ目的ニ使用スル者ハ豫メ其ノ檢定ヲ受クヘシ 

營業ノ目的ニ使用スル度量衡器ハ前項檢定ノ外之ヲ修覆シタルトキ及定期間ニ於テ檢定ヲ受クヘシ 

官廳、公署、官立、公立ノ諸建設場又ハ貧院、病院其他之ニ類スル建設場ニ於テ賣買、授受及證明ノ爲ニ使用スル度量衡器ハ營業ノ目的ニ使用スルモノニ準ス 

第十條 度量衡器ノ種類、形状、物質、檢定ノ定期及公差、檢定スヘキ目盛及分銅ノ最小定限ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム 

第十一條 度量衡器ノ檢定及取締ハ地方長官之ヲ管理ス 

地方長官ハ市長、町村長ヲシテ其ノ市町村内ニ於ケル度量衡器ノ取締ヲ行ハシメ及其ノ檢定ニ關スル事務ヲ補助セシムルコトヲ得 

第十二條 度量衡器ノ製作者、修覆者、販賣者及使用者ハ取締ノ爲ニ行フ當該吏員ノ臨檢ヲ拒ムコトヲ得ス但シ吏員ハ主任タルノ證票ヲ携帯シテ之ヲ示スヘシ 

第十三條 度量衡器ノ製作、修覆及販賣ノ免許ヲ受クル者ハ免許料ヲ、檢定ヲ受クル者ハ檢定料ヲ納ムルヘシ 

免許料及檢定料ノ金額ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム 

第十四條 度量衡器ノ製作者、修覆者若ハ販賣者ニシテ度量衡ニ關スル法律命令ニ違背シタルトキハ農商務大臣ハ其ノ營業免許ヲ取消スコトヲ得 

第十五條 免許ヲ受ケスシテ度量衡器ヲ製作シ若ハ修覆シテ販賣シタル者ハ二十圓以上三百圓以下ノ罰金ニ處ス 

免許ヲ受ケスシテ度量衡器ヲ販賣シ又ハ檢定ヲ受ケサル度量衡器ヲ販賣シ若ハ之ヲ營業ノ目的ニ使用シ及吏員ノ臨檢ヲ拒ミタル者ハ十圓以上二百圓以下ノ罰金ニ處ス 

差狂アル度量衡器ナルコトヲ知テ之ヲ販賣シ又ハ營業ノ目的ニ使用シタル者亦前項ニ同シ 

第十六條 本法施行ノ細則ハ農商務大臣之ヲ定ム 

附則 

第十七條 本法ハ明治二十六年一月一日ヨリ之ヲ施行ス 

第十八條 度量衡器ノ製作ニ限リ本法施行前六箇月以内ニ之ヲ免許スルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ本法中製作ニ關スル條項ハ之ヲ適用ス 

第十九條 從來度量衡製作及賣捌ノ免許ヲ受ケタル者ハ更ニ免許ヲ受クルコトヲ要セス本法ノ規定ニ從ヒ其ノ營業ヲ繼績スルコトヲ得 

第二十條 從來ノ度量衡器ハ本法施行ノ日ヨリ七箇年以内ニ本法ノ規定ニ依リ其ノ檢定ヲ受クヘシ檢定ヲ經サルモノハ其ノ期限ヲ過クル後之ヲ販賣シ若ハ營業ノ目的ニ使用スルコトヲ得ス 

第二十一條 從來ノ度量衡器ニシテ修覆シタルモノ丶檢定ハ本法施行ノ日ヨリ七箇年ヲ限リ從來ノ檢査規則ニ依ル 

第二十二條 明治八年太政官第百三十五號逹度量衡取締條例竝檢査規則同九年第十七號布告度量衡改定規則及西洋形權衡ニ係ル從來ノ法令ハ本法施行ノ日ヨリ之ヲ廢止ス但シ度量衡取締條例附屬檢査規則ハ前條ノ場合ニ限リ明治三十二年十二月三十一日マテ其ノ効力ヲ有ス 

           「ウイキソース」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1782年(天明2)儒学者・教育者・漢詩人広瀬淡窓の誕生日(新暦5月22日)詳細
1868年(慶応4)[閏]会津藩・庄内藩赦免を求めるため、奥羽25藩の代表による白石列藩会議が始まる(新暦5月3日)詳細
1919年(大正8)「ベルサイユ条約」によって、国際連盟に国際労働機関(ILO)が設立される詳細
1922年(大正11)「改正鉄道敷設法」が公布・施行され、別表で、149項目、178線に及ぶ建設予定線が決定される詳細
1925年(大正14)「陸軍現役将校学校配属令」が発せられ、中学校以上の公立学校で軍事教練開始詳細
1952年(昭和27)「夏時刻法を廃止する法律」(昭和27年法律第84号)が公布・施行され、夏時間が廃止される詳細
「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」が公布・施行される詳細
1967年(昭和42)「日本近代文学館」が開館する詳細

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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、島村抱月と松井須磨子が起こした劇団芸術座が、トルストイの『復活』を帝国劇場で初演した日です。
 帝国劇場(ていこくげきじょう)は、東京都千代田区丸の内3丁目にある劇場で、通称「帝劇(ていげき)」と呼ばれています。明治時代後期の1906年(明治39)に、劇場新設のための委員会(委員長は渋沢栄一)が発足し、1907年(明治40)3月9日には、帝国劇場株式会社が正式に成立して、建設が始まりました。
 1911年(明治44)2月10日に落成しましたが、ルネサンス風のフランス様式を模した劇場で、建坪約2,000㎡、観客席は4階まですべて椅子席(1,700席)で、オーケストラ・ボックスを持つ新しい劇場機構、観劇制度が評判を呼びます。同年3月1日に開館し、6世尾上梅幸、7世松本幸四郎が専属となり歌舞伎を上演する一方、翻訳劇や創作劇を並行して取り上げ、帝国劇場付属技芸学校を設立して女優の養成にも乗り出しました。
 大正時代には、エルマン、クライスラー、パブロワら海外の一流音楽家、舞踊家を招くなど文化交流にも尽くします。しかし、1923年(大正12)9月1日の関東大震災で、隣接する警視庁から出た火災により外郭を残して焼け落ちたものの、翌年には、横河民輔により改修されて再開しました。
 1930年(昭和5)に松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転用、SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となりましたが、1939年(昭和14)には、運営会社を東宝が合併します。翌年に、松竹の賃借期限が切れると共に、東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻されたものの、内閣情報部が庁舎として利用することとなり、9月15日の新国劇の上演をもって休演となりました。
 1945年(昭和20)の太平洋戦争敗戦後、初公演として、六世尾上菊五郎一座の「銀座復興」が行われ、て復活します。1955年(昭和30)には、舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じました。
 1964年(昭和39)に映画「アラビアのロレンス」が上映されましたが、翌年には、都市高層化の波で建物が取り壊され、解体されています。しかし、1966年(昭和41)に敷地内(丸の内3丁目)に新築されたビルの中の1,900の客席をもつ大劇場となり、廻り舞台は大小4つの迫りが内部に設置されており、直径16.4m・高さ22mあって、地上1階から地下6階までを貫く構造となりました。
 開場記念公演の「風と共に去りぬ」は6ヶ月のロングランでヒットし、その後ミュージカルや大型娯楽劇を柱に東宝演劇の中心的劇場となります。1969年(昭和44)に「日本レコード大賞」の発表会会場として使用開始(~1984年)され、1989年(平成元)には、「レ・ミゼラブル」が初演され、以後の看板公演になりました。
 2022年(令和4)9月27日に、竣工から約56年を経過したことなどにより、一体的に建て替えることが発表され、2025年(令和7)には、建て替えのために、一時休館の予定(2030年度の開館見込)となっています。

〇帝国劇場関係略年表

・1906年(明治39) 劇場新設のための委員会(委員長は渋沢栄一)が発足する
・1907年(明治40)3月9日 帝国劇場株式会社が正式に成立する
・1911年(明治44) 2月10日に落成し、3月1日に開館する
・1912年(大正元) イタリア人のジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーを招いて歌劇・バレエを上演する
・1914年(大正3)3月26日 劇団芸術座が、トルストイの『復活』を初演する
・1915年(大正4) ローシー振付 「夢幻的バレエ」が上演される
・1916年(大正5) ロシアの舞踊が上演される
・1922年(大正11) パヴロワ婦人露国舞踊劇一座の上演が行われる
・1923年(大正12) 関東大震災では隣接する警視庁から出た火災により外郭を残して焼け落ちる
・1924年(大正13) 横河民輔により改修されて再開する
・1929年(昭和4) スペイン舞踏家ラ・アルヘンティーナの来日公演が行われる
・1930年(昭和5) 松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転用、SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となる
・1938年(昭和13) 「江口・宮舞踊研究所」旗揚げ公演「麦と兵隊」が行われる
・1939年(昭和14) 運営会社を東宝が合併する
・1940年(昭和15) 松竹の賃借期限が切れると共に、東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻されたものの、内閣情報部が庁舎として利用することとなり、9月15日の新国劇の上演をもって休演となる
・1944年(昭和19) 地下食堂が一般人でも利用できる雑炊食堂として供される
・1945年(昭和20) 太平洋戦争敗戦後の初公演として、六世尾上菊五郎一座の「銀座復興」が行われる
・1946年(昭和21) 東京バレエ団の白鳥の湖(8月9日〜30日、日本初演)が行われる
・1947年(昭和21) 「江口・宮舞踊研究所」伊福部昭作曲「イゴザイダー」が上演される
・1948年(昭和21) 貝谷八百子振付「サロメ」伊福部昭作曲が上演される
・1948年(昭和21) 石井漠振付『さまよえる群像』 伊福部昭作曲が上演される
・1949年(昭和21) 貝谷八百子振付「パスカーナ(憑かれたる城)」伊福部昭作曲が上演される
・1950年(昭和21) 「江口・宮舞踊研究所」 伊福部昭作曲「プロメテの火」が上演される
・1955年(昭和30) 舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じる
・1964年(昭和39) 映画「アラビアのロレンス」が上映される
・1965年(昭和40) 都市高層化の波で建物が取り壊され、解体される
・1966年(昭和41) 敷地内(丸の内3丁目)に新築されたビルの中の1,900の客席をもつ大劇場となり、「風と共に去りぬ」が上演される
・1967年(昭和42) 「屋根の上のバイオリン弾き」が上演される
・1969年(昭和44) 「日本レコード大賞」の発表会会場として使用開始される(~1984年)
・1989年(平成元) 「レ・ミゼラブル」が初演され、以後帝劇の看板公演になる
・1992年(平成4) 「ミス・サイゴン」が上演される
・1999年(平成11) オリジナル・ミュージカル「ローマの休日」を上演する
・2022年(令和4)9月27日 竣工から約56年を経過したことなどにより、一体的に建て替えることが発表される
・2025年(令和7) 建て替えのために、一時休館の予定(2030年度の開館見込)となっている

☆島村抱月(しまむら ほうげつ)とは?

 明治時代後期から大正時代に活躍した文芸評論家・演出家・劇作家・小説家・詩人です。明治時代前期の1871年(明治4)1月10日に、島根県那賀郡小国村(現在の浜田市)で、佐々山一平の長男として生まれましたが、幼名は佐々山瀧太郎と言いました。
 小学校卒業後、苦学して浜田町裁判所書記となり、上京遊学後、1891年(明治24)に島村文耕の養子となります。東京専門学校(現在の早稲田大学)文学科へ入学し、在学中は坪内逍遙、大西祝の指導を受けました。
 1894年(明治27)に卒業後、卒業論文『審美的意識の性質を論ず』や『西鶴の理想』を『早稲田文学』(第1次)誌上に発表、同誌の記者ともなります。1898年(明治31)に読売新聞社会部主任となり、その後母校の文学部講師に迎えられました。
 1902年(明治35)から、早稲田の海外留学生として、イギリス、ドイツで学び、1905年(明治38)に帰国します。早稲田大学文学部教授となり、『早稲田文学』を復刊(第2次)して、同誌上に『囚はれたる文芸』(1906年)、『文芸上の自然主義』、『自然主義の価値』(共に1908年)を掲載して自然主義を論じました。
 一方で、坪内逍遙と文化革新運動をもくろんで、1906年(明治39)に文芸協会を設立し、本格的に新劇運動をはじめます。しかし、坪内逍遙との間で意見が対立、女優松井須磨子との恋愛問題も表面化し、協会幹事を辞任、1913年(大正2)には早稲田大学を去ることにもなりました。
 そして、松井須磨子と共に芸術座を旗揚げし、イプセン作『人形の家』、トルストイ作『復活』などを翻訳・脚色して上演し、評判となります。新劇の大衆化に貢献しましたが、1918年(大正7)11月5日、全世界で大流行していたスペイン風邪が原因で、東京において、48歳で亡くなりました。尚、須磨子もあとを追って、2ヶ月後に自殺しました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1205年(元久2)『新古今和歌集』が一応成立し、竟宴が開かれる(新暦4月16日)詳細
1489年(長享3)室町幕府第9代将軍足利義尚の命日(新暦4月26日)詳細
1867年(慶応3)江戸幕府がオランダに発注していた蒸気軍艦「開陽」が横浜港に到着する(新暦4月30日)詳細
1925年(大正14)「衆議院議員選挙法」の全面改正(通称:普通選挙法)が貴族院を通過成立する詳細
1935年(昭和10)小説家与謝野寛(鉄幹)の命日詳細
1962年(昭和37)小説家・詩人室生犀星の命日詳細
1971年(昭和46)東京都南西部の多摩ニュータウンで第一次入居が開始される詳細
1975年(昭和50)「生物兵器禁止条約(BWC)」が発効する詳細

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 今日は、大正時代の1922年(大正11)に、上野公園(現在の上野恩賜公園)等で平和記念東京博覧会が開幕し、文化住宅の展示などが開始された日です。
 平和記念東京博覧会(へいわきねんとうきょうはくらんかい)は、大正時代の1922年(大正11年)3月10日~7月31日に、東京の上野公園等で行われた博覧会です。第一次世界大戦終結後の平和を記念し、日本産業の発展に資するため開催され、第1会場は上野公園(4万4925坪)、第2会場は不忍池畔(6万9650坪)とされました。
 5ヶ月弱の期間中に訪れた人は、約1,100万人(入場料1人60銭)で、英国皇太子も会場を訪れるなど、大反響を呼んでいます。展示された内容には、日本の最新の技術や文化が取り入れられ、機械館、航空館、林業館など、日本の産業の発達ぶりをアピールするパビリオンをはじめ、樺太館、満蒙館、台湾館など、大陸や南方への進出を積極的に推し進めていた当時の日本を物語る建物も多く、人々に感動を与えました。
 不忍池には水上飛行機までもが浮かび、池の両岸には「平和塔」と名づけられた塔(高さ42m余)が建てられています。「文化村」では、あめりか屋などによる中流階層向けの住宅14棟が展示され、ここから文化住宅という言葉が広まったとされてきました。
 尚、作家宮本百合子は、「博覧会見物の印象」という文章を書いています。

〇「博覧会見物の印象」宮本百合子著

 まだ第二会場を一遍通り抜けただけなのでよく分りません。建物から云っては、決して感じよい建築とは思えません。モダーンなのはよいが、もう少し、外国雑誌の写真の、皮相的模倣以外に出られなかったものでしょうか。一目見てごたごたし、雑駁な印象を強く与えられたから、しんから愛らしい心持で欲しいなと思うようなものは見つかりませんでした。

☆上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)とは?

 東京都台東区にある都立公園で、面積は53.2万㎡あり、通称は上野公園と言います。恩賜上野動物園、東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、東京文化会館、東京芸術大学など多くの文化施設があり、都内随一のサクラの名所としても知られてきました。
 江戸時代は寛永寺の境内でしたが、1868年(慶応4)の彰義隊の戦いで寛永寺の建物が焼失し、その跡地が1873年(明治6)1月15日の公園開設の「明治6年太政官布達第16号」により、同年3月25日には、芝、飛鳥山、深川、浅草と共に最初の5公園の一つとして正式指定されて東京府公園となります。1875年(明治8)に不忍池(しのばずのいけ)周辺も編入され、翌年1月には、東京府から内務省博物局に移管、博物館所属の公園地となりました。
 その後、造営が進められ完成に伴って、同年5月9日に明治天皇行幸で開園式が行われています。1877年(明治10)に第1回内国勧業博覧会がこの公園で開催され、以後第3回まで続きました。
 1882年(明治15)に上野動物園、寛永寺本堂跡に現在の東京国立博物館、1887年(明治20)に美術学校・音楽学校(現在の東京芸術大学)などが開設、移築されています。1924年(大正13)には、昭和天皇御成婚記念として不忍池とともに東京市に下賜され、一般に開放されて上野恩賜公園と命名されました。

☆上野公園関係略年表

・1868年(明治元)7月4日 上野戦争により寛永寺伽藍の大部分を焼失する
・1873年(明治6)3月 太政官布達第16号により東京府公園に指定される
・1875年(明治8) 上野山内に加え不忍池も公園地として併合され、府下一の公園となる
・1876年(明治9)1月 東京府から内務省博物局に移管され、上野公園は博物館所属の公園地となる
・1877年(明治10) 国立科学博物館の前身である教育博物館竣工(のちの東京芸大の地)、寛永寺本坊跡地にて第1回内国勧業博覧会を開催する
・1879年(明治12)8月 島津忠義公が、訪日中のグラント将軍と明治天皇のため、天覧犬追物を開催。タイサンボクとローソンヒノキが植樹される
・1881年(明治14) 第2回内国勧業博覧会を開催、閉会後に博物館が使用する前提で煉瓦造の建物を建設する
・1882年(明治15)3月20日 国立博物館および付属動物園(元寒松院跡の清水谷に)が開館する
・1887年(明治20)12月 図面取調掛は東京美術学校と改称し、現在の地に移転する
・1890年(明治23) 公園地は帝室御料地となり宮内省の管轄に置かれる
・1898年(明治31) 西郷隆盛像除幕式が行われる
・1902年(明治35)3月 帝室博物館開館式が行われる
・1909年(明治42)2月 東京帝室博物館表慶館が開館する
・1914年(大正3) 園内で東京大正博覧会が開催される(3月20日~7月31日)
・1922年(大正11) 園内で平和記念東京博覧会が開催され、文化住宅の展示などが行われる
・1924年(大正13) 宮内省から東京市に下賜され(払い下げられ)、この経緯から「上野恩賜公園」という名称となる
・1926年(大正15)5月 東京府美術館が開館する
・1928年(昭和3) 御大礼記念国産振興博覧会が開催される(3月24日~5月27日)
・1930年(昭和5)3月 上野図書館新館が落成する
・1931年(昭和6)11月 東京科学博物館が開館する
・1946年(昭和21) 戦災者救済会により不忍池(蓮池)の水を落として水田とし、上野田圃と呼ばれる
・1948年(昭和23)3月 上野鐘声会が花咲き匂う上野の山の復興を願って1250本のサクラを植樹する
・1952年(昭和27) 上野動物園拡張整備、東京科学博物館が廃止となり、国立科学博物館が設置される
・1953年(昭和28) 竹の台周辺整備開始され、水上音楽堂が竣工する
・1959年(昭和34)6月 国立西洋美術館が開館する
・1961年(昭和36)4月 東京文化会館が開館する
・1962年(昭和37)5月 竹の台噴水テラス沈床芝生が完成する
・1965年(昭和40) 東照宮が国の重要文化財に指定される
・1968年(昭和43)4月 明治100年記念サクラ植樹が行われる
・1972年(昭和47) 上野の森美術館が開館、上野動物園にジャイアントパンダが到着する
・1973年(昭和48) 公園指定100周年を記念して、アントニウス・ボードウィンの銅像を建立する
・1975年(昭和50)9月 東京都美術館新館が開館する
・1979年(昭和54)11月 国立西洋美術館新館が開館する
・1980年(昭和55)10月 下町風俗資料館が開館する
・1987年(昭和62)3月 東京芸術大学旧奏楽堂が移築復元される
・1988年(昭和63)6月 水上音楽堂改築が竣工する
・1997年(平成9)12月 国立西洋美術館企画展示館が竣工する
・1998年(平成10)3月 東京芸術大学奏楽堂が竣工する
・1999年(平成11) 東京芸術大学美術館、東京国立博物館平成館が開館する
・2000年(平成12)10月 「パンダ橋」が竣工する
・2008年(平成20)9月 水上音楽堂改築竣工、野外ステージに改名される
・2012年(平成24) 「上野恩賜公園再生整備事業」における「竹の台・文化施設エリア」の再整備工事(噴水・オープンカフェ・園路の再整備と樹木伐採)が完了する
・2020年(令和2)3月 JR上野駅公園口周辺の再整備により、公園敷地と公園口改札の歩行者空間が一体化される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

710年(和銅3)元明天皇が藤原京から平城京に都を遷す(新暦4月13日)詳細
1276年(建治2)鎌倉幕府が蒙古再来(再度の元寇)に備えて築前の海岸に元寇防塁を築くよう指示する(新暦3月26日)詳細
1742年(寛保2)医者・俳人井上士朗の誕生日(新暦4月14日)詳細
1771年(明和8)八重山地震(推定M7.4)による大津波(明和の大津波)で、先島諸島に大被害が出る(新暦4月24日)詳細
1900年(明治33)「治安警察法」が公布される詳細
1923年(大正12)中国が「対華二十一箇条要求」の廃棄を日本に要求したものの、日本が拒絶する詳細
1945年(昭和20)東京大空襲か行われ、死傷10万人以上、焼失27万余戸、罹災100余万人が出る詳細
1975年(昭和50)山陽新幹線の岡山駅~博多駅間が延伸開業し、全線開業する詳細

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 今日は、大正時代の1920年(大正9)に、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が、初めて開催された日です。
 箱根駅伝(はこねえきでん)は、東京~箱根間の往復約200kmを大学別に各10人の走者でリレーを行う駅伝競走で、正式名称は東京箱根間往復大学駅伝競走と言います。関東地方で開催される大学駅伝競技会の一つで、主催は関東学生陸上競技連盟、共催は読売新聞社とされてきました。
 大正時代の1920年(大正9)に、報知新聞社によって開始されましたが、1941年(昭和16)、1942年(昭和17)および1944年(昭和19)~1946年(昭和21)までは、戦争による中止があったものの、1947年(昭和22)に復活し、1956年(昭和31)に、1月2日に往路、3日に復路の開催に変更されて、今日まで続いています。関東学生陸上競技連盟に加盟する1都7県の学校に出場資格があり、新春のスポーツ行事として人気が高くなりました。

〇箱根駅伝の歴代総合優勝校一覧

・第1回(1920年)総合優勝東京高等師範学校
・第2回(1921年)総合優勝明治大学
・第3回(1922年)総合優勝早稲田大学
・第4回(1923年)総合優勝早稲田大学
・第5回(1924年)総合優勝明治大学
・第6回(1925年)総合優勝明治大学
・第7回(1926年)総合優勝中央大学
・第8回(1927年)総合優勝早稲田大学
・第9回(1928年)総合優勝明治大学
・第10回(1929年)総合優勝明治大学
・第11回(1930年)総合優勝早稲田大学
・第12回(1931年)総合優勝早稲田大学
・第13回(1932年)総合優勝慶應義塾大学
・第14回(1933年)総合優勝早稲田大学
・第15回(1934年)総合優勝早稲田大学
・第16回(1935年)総合優勝日本大学
・第17回(1936年)総合優勝日本大学
・第18回(1937年)総合優勝日本大学
・第19回(1938年)総合優勝日本大学
・第20回(1939年)総合優勝専修大学
・第21回(1940年)総合優勝日本大学
・第22回(1943年)総合優勝日本大学
・第23回(1947年)総合優勝明治大学
・第24回(1948年)総合優勝中央大学
・第25回(1949年)総合優勝明治大学
・第26回(1950年)総合優勝中央大学
・第27回(1951年)総合優勝中央大学
・第28回(1952年)総合優勝早稲田大学
・第29回(1953年)総合優勝中央大学
・第30回(1954年)総合優勝早稲田大学
・第31回(1955年)総合優勝中央大学
・第32回(1956年)総合優勝中央大学
・第33回(1957年)総合優勝日本大学
・第34回(1958年)総合優勝日本大学
・第35回(1959年)総合優勝中央大学
・第36回(1960年)総合優勝中央大学
・第37回(1961年)総合優勝中央大学
・第38回(1962年)総合優勝中央大学
・第39回(1963年)総合優勝中央大学
・第40回(1964年)総合優勝中央大学
・第41回(1965年)総合優勝日本大学
・第42回(1966年)総合優勝順天堂大学
・第43回(1967年)総合優勝日本大学
・第44回(1968年)総合優勝日本大学
・第45回(1969年)総合優勝日本体育大学
・第46回(1970年)総合優勝日本体育大学
・第47回(1971年)総合優勝日本体育大学
・第48回(1972年)総合優勝日本体育大学
・第49回(1973年)総合優勝日本体育大学
・第50回(1974年)総合優勝日本大学
・第51回(1975年)総合優勝大東文化大学
・第52回(1976年)総合優勝大東文化大学
・第53回(1977年)総合優勝日本体育大学
・第54回(1978年)総合優勝日本体育大学
・第55回(1979年)総合優勝順天堂大学
・第56回(1980年)総合優勝日本体育大学
・第57回(1981年)総合優勝順天堂大学
・第58回(1982年)総合優勝順天堂大学
・第59回(1983年)総合優勝日本体育大学
・第60回(1984年)総合優勝早稲田大学
・第61回(1985年)総合優勝早稲田大学
・第62回(1986年)総合優勝順天堂大学
・第63回(1987年)総合優勝順天堂大学
・第64回(1988年)総合優勝順天堂大学
・第65回(1989年)総合優勝順天堂大学
・第66回(1990年)総合優勝大東文化大学
・第67回(1991年)総合優勝大東文化大学
・第68回(1992年)総合優勝山梨学院大学
・第69回(1993年)総合優勝早稲田大学
・第70回(1994年)総合優勝山梨学院大学
・第71回(1995年)総合優勝山梨学院大学
・第72回(1996年)総合優勝中央大学
・第73回(1997年)総合優勝神奈川大学
・第74回(1998年)総合優勝神奈川大学
・第75回(1999年)総合優勝順天堂大学
・第76回(2000年)総合優勝駒澤大学
・第77回(2001年)総合優勝順天堂大学
・第78回(2002年)総合優勝駒澤大学
・第79回(2003年)総合優勝駒澤大学
・第80回(2004年)総合優勝駒澤大学
・第81回(2005年)総合優勝駒澤大学
・第82回(2006年)総合優勝亜細亜大学
・第83回(2007年)総合優勝順天堂大学
・第84回(2008年)総合優勝駒澤大学
・第85回(2009年)総合優勝東洋大学
・第86回(2010年)総合優勝東洋大学
・第87回(2011年)総合優勝早稲田大学
・第88回(2012年)総合優勝東洋大学
・第89回(2013年)総合優勝日本体育大学
・第90回(2014年)総合優勝東洋大学
・第91回(2015年)総合優勝青山学院大学
・第92回(2016年)総合優勝青山学院大学
・第93回(2017年)総合優勝青山学院大学
・第94回(2018年)総合優勝青山学院大学
・第95回(2019年)総合優勝東海大学
・第96回(2020年)総合優勝青山学院大学
・第97回(2021年)総合優勝駒澤大学
・第98回(2022年)総合優勝青山学院大学
・第99回(2023年)総合優勝駒澤大学
・第100回(2024年)総合優勝青山学院大学
・第101回(2025年)総合優勝青山学院大学
・第102回(2026年)総合優勝青山学院大学

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

741年(天平13)聖武天皇が「国分寺建立の詔」を出す(新暦3月5日)詳細
940年(天慶3)平将門が下野の豪族藤原秀郷と平貞盛らの軍勢により、猿島の北山で討たれる(新暦3月25日)詳細
1880年(明治13)太政官布達に基づき奈良公園が開設される詳細
1893年(明治26)洋画家・歌人・詩人・随筆家中川一政の誕生日詳細
1896年(明治29)日本画家徳岡神泉の誕生日詳細
1945年(昭和20)近衛文麿が昭和天皇に対して、上奏文(近衛上奏文)を出す詳細
1951年(昭和26)奄美大島日本復帰協議会(議長:泉芳朗)が結成される詳細
1967年(昭和42)小説家山本周五郎の命日詳細

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 今日は、大正時代の1920年(大正8)に、東京市街自動車の乗合自動車[バス]に女性車掌(バスガール)が登場した日です。
 乗合自動車[バス](のりあいじどうしゃ)は、一定の運賃で不特定の旅客を乗せ、定まった路線を運行する大型の自動車のことで、乗合バスとも呼ばれます。日本では、明治時代後期の1903年(明治36)9月20日に、京都府京都市の堀川中立売~七条~祇園で、運行されたのが最初とされてきました。
 この日、京都府京都市の二井商会(福井九兵衛と坪井清兵衛によって創業)が、蒸気自動車を改造した幌なしの6人乗り車両(運転手、助手、乗客4名)によって、運行開始されます。同年11月21日には、京都府自動車取締規則により正式な許可業とされのしたが、翌年1月には、経営破綻によって営業を終えました。
 また、1905年(明治38)2月5日に広島県の横川町~可部町間(約15km)でも、12人乗りで運行開始されましたが、こちらも車両そのものの不備、乗合馬車屋からの反対等により、同年9月に事業を終了しています。明治時代には、ライバルの乗合馬車屋からの妨害や車両の故障が相次ぎ、本格的な営業の継続が難しかったと言われていました。
 大正時代に入ると、車両の信頼性も高まり、全国的にバス事業を取り扱う事業者が増えていきます。特に東京市では、1923年(大正12)9月1日に起こった関東大震災の影響で路面電車が大きな被害を受け、この代替輸送として、乗合バスが活用されて、普及していきました。
 現在日本での乗合バスは、原則として「道路運送法」に基づく一般乗合旅客自動車運送事業の免許を必要とし、運賃改定にあたっては運輸大臣 (陸運局長) の認可を必要としています。また、同法第3条により一般自動車運送事業に分類され、その中の一般乗合旅客自動車運送事業(乗合旅客を運送する一般旅客自動車運送事業)とされてきました。
 尚、1987年(昭和62)に、日本バス協会が9月20日を「バスの日」と定めました。そして、2009年(平成21)からは、それを記念して、日本バス協会が毎年9月ごろに「バスフェスタ」を開催し始めます。また、この日の前後に全国のバス事業者によって、さまざまな催し(試乗会、一日乗車券の販売など)が行われるようになりました。

〇乗合自動車[バス]関係略年表

・1903年(明治36)3月 大阪で開かれた内国勧業博覧会への旅客輸送のために、梅田と天王寺を結ぶ臨時バス路線が開設される
・1903年(明治36)9月20日 京都府京都市の堀川中立売~七条~祇園で、日本初の乗合バスが運行され、「バスの日」とされる
・1905年(明治38)2月5日 広島県の横川町~可部町間(約15km)でも、12人乗りで運行開始される
・1913年(大正2)4月15日 東京府では京王電気軌道(のち京王帝都電鉄を経て京王電鉄バス)が、京王線の開業時に未成区間を補完するため車両5台で乗合バスを開業する
・1920年(大正8)2月2日 東京市街自動車の乗合自動車[バス]に女性車掌(バスガール)が登場する
・1923年(大正12) 関東大震災(大正関東地震)で被災した東京市電の代わりに、応急的な処置として東京市電気局がT型フォードを約800台輸入し、11人乗りに改造してバス事業を開始する(都営バスの起こり)
・1927年(昭和2)2月26日 大阪市電気局が大阪市電の補完として大阪市営バスを営業開始する
・1928年(昭和3)5月10日 京都市電気局(現在の京都市交通局)が京都市電の補完として、京都市バスを営業開始する
・1928年(昭和3)11月10日 横浜市営バスが7路線で営業開始する
・1930年(昭和5)2月1日 名古屋市電気局が名古屋市電の補完として、名古屋市営バスを営業開始する
・1930年(昭和5)9月16日 神戸市電気局が神戸市電の補完として、神戸市バスを営業開始する
・1930年(昭和5)12月20日 岡崎駅~多治見駅間・瀬戸記念橋駅~高蔵寺駅間にて省営自動車(現在のJRバス)岡多線の運行を開始する
・1933年(昭和8) 「自動車交通事業法」が整備され「一路線一事業者」の原則が示される
・1938年(昭和13) 「陸上交通事業調整法」が施行され、バス事業のほぼ強制的な統合が行われる
・1940年(昭和15) 「陸運統制令」が施行され、バス事業のほぼ強制的な統合が行われる
・1940年(昭和15)9月11日 商工省では営業バスの7割を代替燃料にするよう禁令を発す
・1941年(昭和16)9月1日 代用燃料を利用するバスのみに営業許可を出すこととなる
・1948年(昭和23)3月8日 尼崎市交通局が発足する
・1949年(昭和24)1月5日 伊丹市交通局が発足する
・1950年(昭和25)12月15日 川崎市営バスの運行が開始される
・1964年(昭和39)10月5日 日本初の高速バスである名神ハイウェイバス(名古屋~大阪・神戸間)が運行を開始する
・1984年(昭和59) 「東京都区内バス共通回数乗車券」が発売され、首都圏での運賃支払い共通化の端緒となる
・1992年(平成4) 「バス共通カード」が横浜・川崎地区で運用開始される
・2002年(平成14)2月 「改正道路運送法」施行で乗合バス事業の公的な規制が取り払われ、事業参入が路線ごとの免許制から事業者ごとの許可制へ移行する
・2007年(平成19) 交通系ICカード「PASMOが誕生する
・2009年(平成21) 「バスの日」を記念して、日本バス協会が毎年9月ごろに「バスフェスタ」を開催し始める

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

749年(天平21)社会事業に尽力した法相宗の僧行基の命日詳細
1074年(延久6)公卿・歌人藤原頼通の命日(新暦3月2日)詳細
1929年(昭和4)日本プロレタリア映画同盟(プロキノ)が結成される詳細
1940年(昭和15)第75帝国議会の衆議院本会議において、斎藤孝夫の反軍演説が行われる詳細
1942年(昭和17)大日本国防婦人会・愛国婦人会・大日本聯合婦人会を統合し、大日本婦人会が発足詳細
1946年(昭和21)「宗教法人令」が改正され、神道を宗教として扱かい、神社が国家管理から宗教法人に移行される詳細
1954年(昭和29)日本航空が戦後初の国際航空路(東京~ホノルル~サンフランシスコ線)を開設する詳細
1971年(昭和46)湿地の保存に関する「ラムサール条約」が調印される(世界湿地デー)詳細



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