
戸塚洋二(とつか ようじ)は、昭和時代前期の1942年(昭和17)3月6日に、静岡県富士郡吉永村(後の吉原市、現在の富士市)富士岡において生まれました。吉原市立穆清中学校、静岡県立富士高等学校を経て、東京大学理学部物理学科で学び、1965年(昭和40)に卒業します。
理学部教授(当時)小柴昌俊氏門下の2期生として、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了し、理学博士の学位を取得しました。その後、ハンブルクのドイツ電子シンクロトロン研究所で加速器実験について学び、1981年(昭和56)にカミオカンデ建設のために帰国します。
1987年(昭和62)には、小柴氏らとともに、超新星から飛来するニュートリノを世界で初めて観測、この功績により、仁科記念賞を受賞、東京大学理学部教授に就任しました。1989年(平成2)にブルーノ・ロッシ賞(アメリカ天文学会)、1990年(平成3)には、井上学術賞を受賞します。
1995年(平成7)に「グルーオン存在の確立」で、ヨーロッパ物理学会特別賞を受賞、東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設長に就任、1997年(平成9)には、東京大学宇宙線研究所長に就任しました。1999年(平成11)に「ニュートリノに質量があることの発見」で、朝日賞を受賞、2001年(平成13)には、「宇宙線物理学・素粒子物理学研究」で、紫綬褒章を受章しましたが、スーパーカミオカンデの光電子増倍管の70%を損失する大規模破損事故の責任をとり、東京大学を辞職しています。
2002年(平成14)に「太陽ニュートリノによるニュートリノ振動の賞賛すべき実験的検証」で、アメリカ物理学会パノフスキー賞、藤原賞(藤原科学財団)を受賞、文化功労者となり、2003年(平成15)には、富士市名誉市民となり、ブルーノ・ポンテコルボ賞(ドゥブナ合同原子核研究所)を受賞、高エネルギー加速器研究機構長に就任しました。2004年(平成16)に文化勲章を受章、翌年に東京大学特別栄誉教授となり、2006年(平成18)には、日本学術振興会学術システム研究センター所長に就任しています。
2007年(平成19)に「ニュートリノ振動現象及び質量発見」で、ベンジャミン・フランクリン・メダル、トムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞したものの、2008年(平成20)7月10日に、多臓器不全のため、66歳で亡くなり、従三位が追贈されました。尚、翌年には、功績を記念して、平成基礎科学財団が「戸塚洋二賞」を創設しています。
理学部教授(当時)小柴昌俊氏門下の2期生として、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了し、理学博士の学位を取得しました。その後、ハンブルクのドイツ電子シンクロトロン研究所で加速器実験について学び、1981年(昭和56)にカミオカンデ建設のために帰国します。
1987年(昭和62)には、小柴氏らとともに、超新星から飛来するニュートリノを世界で初めて観測、この功績により、仁科記念賞を受賞、東京大学理学部教授に就任しました。1989年(平成2)にブルーノ・ロッシ賞(アメリカ天文学会)、1990年(平成3)には、井上学術賞を受賞します。
1995年(平成7)に「グルーオン存在の確立」で、ヨーロッパ物理学会特別賞を受賞、東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設長に就任、1997年(平成9)には、東京大学宇宙線研究所長に就任しました。1999年(平成11)に「ニュートリノに質量があることの発見」で、朝日賞を受賞、2001年(平成13)には、「宇宙線物理学・素粒子物理学研究」で、紫綬褒章を受章しましたが、スーパーカミオカンデの光電子増倍管の70%を損失する大規模破損事故の責任をとり、東京大学を辞職しています。
2002年(平成14)に「太陽ニュートリノによるニュートリノ振動の賞賛すべき実験的検証」で、アメリカ物理学会パノフスキー賞、藤原賞(藤原科学財団)を受賞、文化功労者となり、2003年(平成15)には、富士市名誉市民となり、ブルーノ・ポンテコルボ賞(ドゥブナ合同原子核研究所)を受賞、高エネルギー加速器研究機構長に就任しました。2004年(平成16)に文化勲章を受章、翌年に東京大学特別栄誉教授となり、2006年(平成18)には、日本学術振興会学術システム研究センター所長に就任しています。
2007年(平成19)に「ニュートリノ振動現象及び質量発見」で、ベンジャミン・フランクリン・メダル、トムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞したものの、2008年(平成20)7月10日に、多臓器不全のため、66歳で亡くなり、従三位が追贈されました。尚、翌年には、功績を記念して、平成基礎科学財団が「戸塚洋二賞」を創設しています。
<戸塚洋二の主要な著作>
・『陽子はこわれるか』(1986年)
・共著『新しい宇宙の探求』 (1990年)
・『現代の宇宙像・我が太陽と太陽からのニュートリノ』(1991年)
・『岩波講座 現代の物理学1 素粒子物理』(1992年)
・『がんと闘った科学者の記録』(2009年)
〇戸塚洋二関係略年表
・1942年(昭和17)3月6日 静岡県富士郡吉永村(後の吉原市、現在の富士市)富士岡において生まれる
・1954年(昭和29) 吉永村立吉永第一小学校を卒業する
・1957年(昭和32) 吉原市立穆清中学校を卒業、静岡県立富士高等学校へ入学する
・1960年(昭和35) 静岡県立富士高等学校を卒業する
・1965年(昭和40) 東京大学理学部物理学科を卒業する
・1972年(昭和47) DESY(ドイツ電子シンクロトロン)研究所へ長期出張、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了し、理学博士の学位を取得する
・1981年(昭和56) カミオカンデ建設のために帰国する
・1987年(昭和62) 「超新星爆発にともなうニュートリノの検出の功績」で、仁科記念賞を受賞、東京大学理学部教授に就任する
・1989年(平成2) ブルーノ・ロッシ賞(アメリカ天文学会)を受賞する
・1990年(平成3) 井上学術賞を受賞する
・1995年(平成7) 「グルーオン存在の確立」で、ヨーロッパ物理学会特別賞を受賞、東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設長に就任する
・1997年(平成9) 東京大学宇宙線研究所長に就任する
・1999年(平成11) 「ニュートリノに質量があることの発見」で、朝日賞を受賞する
・2001年(平成13) 「宇宙線物理学・素粒子物理学研究」で、紫綬褒章を受章する
・2002年(平成14) 「太陽ニュートリノによるニュートリノ振動の賞賛すべき実験的検証」で、アメリカ物理学会パノフスキー賞、藤原賞(藤原科学財団)を受賞、文化功労者となる
・2003年(平成15) 富士市名誉市民となり、ブルーノ・ポンテコルボ賞(ドゥブナ合同原子核研究所)を受賞、高エネルギー加速器研究機構長に就任する
・2004年(平成16) 文化勲章を受章する
・2005年(平成17) 東京大学特別栄誉教授となる
・2006年(平成18) 日本学術振興会学術システム研究センター所長に就任する
・2007年(平成19) 「ニュートリノ振動現象及び質量発見」で、ベンジャミン・フランクリン・メダル、トムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞する
・2008年(平成20)7月10日 多臓器不全のため、66歳で亡くなり、従三位が追贈される
・2009年(平成21) 平成基礎科学財団が功績を記念して「戸塚洋二賞」を創設する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 803年(延暦22) | 征夷大将軍・坂上田村麻呂に志波城の築城が命令される(新暦4月1日) | 詳細 |
| 1297年(永仁5) | 鎌倉幕府により「永仁の徳政令」が出される(新暦3月30日) | 詳細 |
| 1337年(延元2/建武4) | 金ヶ崎の戦いで金ヶ崎城が落城、恒良親王が捕われ尊良親王が自害、新田義貞が敗走する(新暦4月7日) | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 「国民徴用令」等5勅令を廃止・統合し、新たに「国民勤労動員令」が公布される | 詳細 |
| 1946年(昭和21) | 憲法改正過程において、日本政府より「憲法改正草案要綱」 が発表される | 詳細 |
| 1967年(昭和42) | 日本航空が西回り世界一周路線の営業を開始する(世界一周記念日) | 詳細 |
| 1998年(平成10) | 奈良県のキトラ古墳で上下左右に向きを変えるCCDカメラの探査で、青龍、白虎、天文図が発見される | 詳細 |
| 2005年(平成17) | 新交通システムの一つで、日本初の実用磁気浮上式鉄道である、愛知高速交通東部丘陵線が開業する | 詳細 |



