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 今日は、江戸時代後期の寛政10年に、戯作者・狂歌師で狂歌三大家の一人とされた朱楽菅江が亡くなった日ですが、新暦では、1799年1月17日となります。
 朱楽菅江(あけら かんこう)は、江戸時代中期の1740年(元文5年10月24日)に、江戸において、幕臣の家に生まれた(元文3年生まれの異説あり)とされますが、本名は山崎景基(後に景貫と改名)と言いました。江戸幕府の与力として市谷(現在の東京都新宿区)に居を構えますが、内山賀邸に学び、和歌と雑俳に親しんだとされます。
 安永年間(1772~1781年)の初め頃に、同門の四方赤良(太田南畝)、唐衣橘洲らに誘われて狂歌を始め、しだいに普及流行するとともに、天明狂歌壇の中心的人物となり、赤良、橘洲と並ぶ狂歌三大家の一人とされるようになりました。その中で、洒落本も出筆し、1777年(安永6年)に『売花新駅(ばいかしんえき)』、1779年(安永8年)に『大抵御覧(たいていごらん)』、『雑文穿袋(ざつもんせんてい)』を刊行しています。
 1780年(安永9年)に、牛込蓬莱連に所属するようになり『川傍柳』の編纂に協力し、1783年(天明3年)には、『万載狂歌集』を大田南畝とともに編纂し、天明狂歌ブームの火付け役となりました。1785年(天明5年)には、狂歌集『故混馬鹿集(ここんばかしゅう)』を刊行、妻の「節松嫁々」(ふしまつのかか)とともに狂歌集団「朱楽連」(しゅらくれん)を結成し、江戸狂歌界の中心的人物として活動します。
 寛政年間(1789~1801年)に入ると、『狂歌大体』を著し、狂歌の作風を和歌に近いものへと変化させました。1791年(寛政3年)には、不忍池のほとりに隠居し、芬陀利華庵と号したものの、1799年(寛政11年12月12日)に、この場所において、数え年59歳で亡くなっています。

<朱楽菅江の代表的な狂歌>

・「立て見し 柱暦も 寝転んで 読めるばかりに 年は暮れにき」(古今狂歌袋)
・「借金も 今はつゝむに つゝまれず やぶれかぶれの ふんどしの暮」(万載狂歌集)
・「執着の 心や娑婆に 残るらん 吉野の桜 さらしなの月」(辞世の句)

〇朱楽菅江の主要な著作

・洒落本『売花新駅』朱楽舘主人作、桃江(1777年)
・洒落本『雑文穿袋』(1779年)
・洒落本『大抵御覧』(1779年)
・狂歌集『万載狂歌集』四方赤良(太田南畝)共撰(1783年)
・『鸚鵡盃』(1788年)
・『八重垣縁結』(1788年)
・狂歌集『故混馬鹿集』(1785年)
・『狂言鶯蛙集』(1785年)
・『絵本江戸爵』朱楽館主人著、蔦唐丸編、喜多川歌麿画(1786年)
・『潮干のつと』あけら菅江編、喜多川歌麿画(1790年)
・『狂歌大体』朱楽菅江編(1791年)

☆朱楽菅江関係略年表

・1740年(元文5年10月24日)? 江戸に生まれる
・1772年(安永5年)頃 四方赤良(太田南畝)、唐衣橘洲らとともに狂歌を始める
・1777年(安永6年) 洒落本『売花新駅(ばいかしんえき)』を刊行する
・1779年(安永8年) 洒落本『大抵御覧(たいていごらん)』、「雑文穿袋(ざつもんせんてい)」を刊行する
・1780年(安永9年) 牛込蓬莱連に所属するようになり、『川傍柳』の編纂に協力する
・1783年(天明3年) 『万載狂歌集』を大田南畝とともに編纂し、天明狂歌ブームの火付け役となる
・1785年(天明5年) 狂歌撰集『故混馬鹿集』を刊行する
・1791年(寛政3年) 不忍池のほとりに隠居し、芬陀利華庵と号する
・1799年(寛政11年12月12日) 江戸・池之端の芬陀利華庵において、数え年59歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1568年(永禄11)武田信玄軍と今川氏真・北条氏政軍との間で薩埵峠の戦いが始まる(新暦12月30日)詳細
1898年(明治31)小説家黒島伝治の誕生日詳細
1908年(明治41)北原白秋、木下杢太郎らが青年文芸・美術家の懇談会「パンの会」を結成する詳細
1947年(昭和22)「児童福祉法」が公布される詳細
1963年(昭和38)映画監督・脚本家小津安二郎の命日詳細
1989年(平成元)漫画家田河水泡の命日詳細
1994年(平成6)小説家・歌人中河与一の命日詳細
2015年(平成27)「気候変動に関する国際連合枠組み条約第21回締約国会議」(COP21)で「パリ協定」を採択する詳細

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 今日は、昭和時代後期の1984年(昭和59)に、野鳥研究家・歌人・詩人・天台宗僧侶中西悟堂が亡くなった日です。
 中西悟堂(なかにし ごどう)は、1895年(明治28)11月16日に、石川県金沢市長町において、生まれましたが、本名は富嗣(とみつぐ)と言いました。幼くして父母と別れ、天台宗の僧侶であった伯父中西悟玄に育てられます。
 1907年(明治40)に、東京府麻布区飯倉町の小暮小学校高等科卒業後、京橋区数寄屋橋の紙問屋に奉公し、1910年(明治43)には、火災保険会社の給仕となり、その給料で築地工手学校夜間部に入学しました。1911年(明治44)に、東京都下深大寺で得度し天台宗僧徒となり、悟堂と改名、翌年には、天台宗学林(後の大正大学)2年に入り、この前後から歌作を始めます。
 1913年(大正2)に、法王教を唱えた高田道見の認可僧堂瑞応寺で禅生活に入り、赤松月船と知り合い、翌年には、曹洞宗学林(後の駒澤大学)に通うようになりました。1915年(大正4)に、内藤鋠作の抒情詩社に入社、詩や小説を手がけ、1917年(大正6)に、曹洞宗学林を修了、1920年(大正9)には、島根県能義郡(現在の安来市)の長楽寺の住職となります。
 1921年(大正10)に、詩作も発表しはじめ、翌年には、島根県松江市の普門院の住職となり、第一詩集『東京市』を出版しました。1926年(大正15)に、千歳烏山(現在の東京都世田谷区烏山)に移り住み、詩壇と決別し本格的作家をめざし田園生活に入り、1929年(昭和4)には、杉並区井荻町の善福寺風致地区に移り、野鳥の他に昆虫や淡水魚などの生態観察に取り組みます。
 1934年(昭和9)に、柳田国男、北原白秋らをさそって、日本野鳥の会を設立し初代会長となり、1936年(昭和11)には、竹野家立、籾山徳太郎らと共に、鷹狩の保存・振興のため、日本放鷹倶楽部の設立に発起人として参加しました。1947年(昭和22)に、戦後も休止状態にあった日本野鳥の会を再開し、1957年(昭和32)に、『野鳥と生きて』で、第5回日本エッセイストクラブ賞を受賞、1961年(昭和36)には、紫綬褒章を受章します。
 1965年(昭和40)に、『定本野鳥記』で、第17回読売文学賞(研究翻訳賞)、1968年(昭和43)に『悟堂詩集』で、第14回日本歌人クラブ推薦歌集を受賞しました。1972年(昭和47)に、勲三等旭日中綬章を受章、1973年(昭和48)正月の宮中歌会始の召人となり、1977年(昭和52)には、文化功労者に選ばれています。
 1980年(昭和55)に法人化した日本野鳥の会の運営に強い不満を表明して会長を辞任しましたが、翌年には、名誉会長として復籍しました。自然保護運動に尽力してきたものの、1984年(昭和59)12月11日に、神奈川県横浜市港南区の病院において、転移性肝臓癌のため、88歳で亡くなっています。

<中西悟堂の主要な著作>

・第一詩集『東京市』(1922年)
・『虫・鳥と生活する』(1932年) 
・『山岳詩集』(1934年)
・『野鳥と生きて』(1957年)第5回日本エッセイストクラブ賞受賞
・『定本野鳥記』(1962~66年)第17回読売文学賞(研究翻訳賞)受賞
・『悟堂詩集』(1968年)第14回日本歌人クラブ推薦歌集受賞
・歌集『唱名』(1916年)
・歌集『安達太良』(1959年)
・詩集『花巡礼』(1924年)

〇中西悟堂関係略年表

・1895年(明治28)11月16日 石川県金沢市長町において、生まれる
・1900年(明治33) 5歳の時、東京府麻布区飯倉町の小暮小学校に入学する
・1907年(明治40) 高等科卒業後、京橋区数寄屋橋の紙問屋に奉公する
・1910年(明治43) 火災保険会社の給仕となり、その給料で築地工手学校夜間部に入学する
・1911年(明治44) 16歳の時、東京都下深大寺で得度し天台宗僧徒となり、悟堂と改名する
・1912年(明治45) 天台宗学林(後の大正大学)2年に入り、この前後から歌作を始める
・1913年(大正2) 法王教を唱えた高田道見の認可僧堂瑞応寺で禅生活に入り、赤松月船と知り合う
・1914年(大正3) 曹洞宗学林(後の駒澤大学)に通う
・1915年(大正4) 内藤鋠作の抒情詩社に入社、詩や小説を手がける
・1917年(大正6) 曹洞宗学林を修了する
・1920年(大正9) 島根県能義郡(現在の安来市)の長楽寺の住職となる
・1921年(大正10) 詩作も発表しはじめる
・1922年(大正11) 島根県松江市の普門院の住職となり、第一詩集『東京市』を出版する
・1926年(大正15) 千歳烏山(現在の東京都世田谷区烏山)に移り住み、詩壇と決別し本格的作家をめざし田園生活に入る
・1929年(昭和4) 杉並区井荻町の善福寺風致地区に移り、野鳥の他に昆虫や淡水魚などの生態観察に取り組む
・1934年(昭和9) 柳田国男、北原白秋らをさそって、日本野鳥の会を設立し初代会長となる
・1936年(昭和11) 竹野家立、籾山徳太郎らとともに、鷹狩の保存・振興のため、日本放鷹倶楽部の設立に発起人として参加する
・1944年(昭和19) 日本野鳥の会の会員数はおよそ1,800名となる
・1947年(昭和22) 戦後も休止状態にあった日本野鳥の会を再開する
・1957年(昭和32) 『野鳥と生きて』で、第5回日本エッセイストクラブ賞を受賞する
・1961年(昭和36) 紫綬褒章を受章する
・1965年(昭和40) 『定本野鳥記』で、第17回読売文学賞(研究翻訳賞)を受賞する
・1968年(昭和43) 『悟堂詩集』で、第14回日本歌人クラブ推薦歌集を受賞する
・1970年(昭和45) 「自然を返せ」という自然保護運動が起こったとき、若い人々とともにデモ行進の先頭を歩く
・1972年(昭和47) 勲三等旭日中綬章を受章する
・1973年(昭和48) 正月の宮中歌会始の召人となる
・1977年(昭和52) 文化功労者となる
・1980年(昭和55) 法人化した日本野鳥の会の運営に強い不満を表明して会長を辞任する
・1981年(昭和56) 日本野鳥の会に名誉会長として復籍する
・1984年(昭和59)12月11日 神奈川県横浜市港南区の病院において、転移性肝臓癌のため、88歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1335年(建武2)箱根・竹ノ下の戦いが起き、南北朝動乱が始まる(新暦1336年1月24日)詳細
1645年(正保元)臨済宗の僧沢庵宗彭の命日で「沢庵忌」とされる(新暦1646年1月27日)詳細
1877年(明治10)薬学者(薬化学)近藤平三郎の誕生日詳細
1959年(昭和34)三井三池炭鉱で指名解雇を通告し、「三井三池争議」が始る詳細
1967年(昭和42)佐藤栄作首相が第57回国会の衆議院予算委員会において、「非核三原則」を表明する詳細
1986年(昭和61)歌人宮柊二の命日 詳細
1993年(平成5)日本で初めて、屋久島・白神山地・法隆寺・姫路城の4ヶ所が世界遺産に登録される詳細
1997年(平成9)地球温暖化防止京都会議(COP3)が閉幕、温室効果ガスの削減目標を定めた「京都議定書」を採択する詳細

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 今日は、明治時代後期の1906年(明治39)に、詩人・文芸評論家・近代文学研究者伊藤信吉の生まれた日です。
 伊藤信吉(いとう しんきち)は、明治時代後期の1906年(明治39)11月30日に、群馬県群馬郡元総社村大字元総社(現在の前橋市元総社町)において、農家だった父・伊藤実太郎、母・みねの長男として生まれました。高等小学校を卒業後、1923年(大正12)に、群馬県庁商工課に勤務するようになり、翌年には、萩原朔太郎を訪ね知遇を得ます。
 1928年(昭和3)に県庁を退職し上京し、草野心平の詩誌「学校」に参加しましたが、いったん帰郷し、翌年に再び上京し、プロレタリア詩人会に参加しました。1931年(昭和6)に、全日本無産者芸術団体協議会(ナップ)に加盟し、雑誌「ナップ」「プロレタリア詩」等に作品を発表したものの、翌年には、「治安維持法」違反容疑で検挙され、プロレタリア文学運動から退きます。
 1933年(昭和8)に第一詩集『故郷』を刊行、1936年(昭和11)に、最初の文芸評論『島崎藤村の文学』を刊行、都新聞宇都宮支局員となり移住し、1939年(昭和14)には、吉田健一らと「批評」を創刊しました。1941年(昭和16)に、都新聞を退社し、報知新聞社に勤務、1942年(昭和17)に、萩原朔太郎が死去すると、小学館版『萩原朔太郎全集』の編集を担当、報知新聞社を退社、財団法人交通協力会へ入社し、『陸輸新報』の編集に携わります。
 大平洋戦争後、1946年(昭和21)に、交通労働研究所を設立し『交通労働』の発行に携わり、1949年(昭和24)には、新日本文学会系の『新日本詩人』の第1号の編集にも関与しました。1964年(昭和39)に、萩原朔太郎研究会が発足すると会長となり、1967年(昭和42)には、日本現代詩人会の会長(~1969年)、中央大学文学部兼任講師(~1975年)となります。
 1974年(昭和49)に『ユートピア紀行』で、第2回平林たい子文学賞を受賞、1976年(昭和51)には、第二詩集『上州』を刊行しました。1977年(昭和52)に『萩原朔太郎』で、第28回読売文学賞(評論・伝記部門)、1978年(昭和53)に、『天下末年 伊藤信吉詩集』で、第9回多喜二・百合子賞、1980年(昭和55)には、『望郷蠻歌・風や天』で、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞しています。
 その後も、1992年(平成4)に高橋元吉文化賞、1993年(平成5)に『上州おたくら 私の方言詩集』で、第2回丸山豊記念現代詩賞を受賞、1996年(平成8) 群馬県立土屋文明記念文学館の初代館長に就任しました。1997年(平成9)に『監獄裏の詩人たち』で、第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)、1999年(平成11)に平成10年度日本芸術院賞、恩賜賞、2002年(平成14)には、『老世紀界隈で』で、第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)を受賞しましたが、同年8月3日に、東京において、肺炎のため、95歳で亡くなっています。

<伊藤信吉の主要な著作>

・第一詩集『故郷(こきょう)』(1933年)
・評論集『島崎藤村(とうそん)の文学』(1936年)
・『現代詩の鑑賞』上下(1952年、1954年)
・『高村光太郎』(1958年)
・『ユートピア紀行』(1974年)第2回平林たい子文学賞受賞
・第二詩集『上州』(1976年)
・『天下末年 伊藤信吉詩集』(1977年)第9回多喜二・百合子賞受賞
・『萩原朔太郎』(1977年)第28回読売文学賞(評論・伝記部門)受賞
・『望郷蠻歌・風や天』(1979年)第30回芸術選奨文部大臣賞受賞
・『上州おたくら 私の方言詩集』(1993年)第2回丸山豊記念現代詩賞受賞
・『監獄裏の詩人たち』(1996年)第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)受賞
・『老世紀界隈で』(2001年)第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)受賞

〇伊藤信吉関係略年表

・1906年(明治39)11月30日 群馬県群馬郡元総社村大字元総社(現在の前橋市元総社町)において、農家だった父・伊藤実太郎、母・みねの長男として生まれる
・1923年(大正12) 群馬県庁商工課に勤務する
・1924年(大正13) 萩原朔太郎を訪ね知遇を得る
・1928年(昭和3) 県庁を退職し上京し、草野心平の詩誌「学校」に参加する
・1929年(昭和4) 再び上京し、プロレタリア詩人会に参加する
・1931年(昭和6) 全日本無産者芸術団体協議会(ナップ)に加盟し、雑誌「ナップ」「プロレタリア詩」等に作品を発表する
・1932年(昭和7) 「治安維持法」違反容疑で検挙され、プロレタリア文学運動から退く
・1933年(昭和8) 第一詩集『故郷』を刊行する
・1936年(昭和11) 最初の文芸評論『島崎藤村の文学』を刊行、都新聞宇都宮支局員となり移住する
・1939年(昭和14) 吉田健一らと「批評」を創刊する
・1941年(昭和16) 都新聞を退社し、報知新聞社に勤務する
・1942年(昭和17) 萩原朔太郎が死去すると、小学館版『萩原朔太郎全集』の編集を担当、報知新聞社を退社する
・1946年(昭和21) 交通労働研究所を設立し『交通労働』の発行に携わる
・1949年(昭和24) 新日本文学会系の『新日本詩人』の第1号の編集にも関与する
・1964年(昭和39) 萩原朔太郎研究会が発足すると会長となる
・1967年(昭和42) 日本現代詩人会の会長となり、中央大学文学部兼任講師となる
・1969年(昭和44) 日本現代詩人会の会長を辞める
・1973年(昭和48) 「小選挙区制に反対する詩人の会」を結成して代表となり、横浜市へ移住する
・1974年(昭和49) 『ユートピア紀行』で、第2回平林たい子文学賞を受賞する
・1975年(昭和50) 中央大学文学部兼任講師を辞める
・1976年(昭和51) 第二詩集『上州』を刊行する
・1977年(昭和52) 『萩原朔太郎』で、第28回読売文学賞(評論・伝記部門)を受賞する
・1978年(昭和53) 『天下末年 伊藤信吉詩集』で、第9回多喜二・百合子賞を受賞する
・1980年(昭和55) 『望郷蠻歌・風や天』で、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞する
・1992年(平成4) 高橋元吉文化賞を受賞する
・1993年(平成5) 『上州おたくら 私の方言詩集』で、第2回丸山豊記念現代詩賞を受賞する
・1996年(平成8) 群馬県立土屋文明記念文学館の初代館長となる
・1997年(平成9) 『監獄裏の詩人たち』で、第48回読売文学賞(随筆・紀行部門)を受賞する
・1999年(平成11) 平成10年度日本芸術院賞、恩賜賞を受賞する
・2002年(平成14) 『老世紀界隈で』で、第17回詩歌文学館賞(現代詩部門)を受賞する
・2002年(平成14)8月3日 東京において、肺炎のため、95歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1204年(元久元)公家・歌人藤原俊成の命日(新暦12月22日)詳細
1888年(明治21)日本とメキシコがアジア以外では初の対等条約となる「日墨修好通商条約」に調印する詳細
1908年(明治41)駐米大使高平小五郎と米国国務長官エルフ・ルートが交換覚書「高平・ルート協定」に調印する詳細
1938年(昭和13)御前会議において、「日支新関係調整方針」が決定される詳細
1945年(昭和20)「ララ物資」第一便としてミルク・衣類など450トンが横浜港に到着する詳細
1947年(昭和22)「職業安定法」が公布(施行は同年12月1日)される詳細
1955年(昭和30)社会運動家・政治学者大山郁夫の命日詳細
1992年(平成4)安芸灘諸島連絡架橋(安芸灘とびしま海道)を構成する豊浜大橋<543m・3径間連続トラス橋>が開通する詳細

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 今日は、昭和時代前期の1937年(昭和12)に、小説家・ドイツ文学者古井由吉の生まれた日です。
 古井由吉(ふるい よしきち)は、昭和時代前期の1937年(昭和12)11月19日に、東京府東京市において生まれ、港区立白金小学校から同高松中学校を経て、1953年(昭和28)に獨協高校に入学しましたが、東京都立日比谷高校に転校しました。1956年(昭和31)に、同校を卒業し、東京大学文科二類へ入学、1960年(昭和35)には、東京大学文学部独文科卒業後、同大学院人文科学研究科独語独文学専攻へ進みます。
 その後、金沢大学助手、同大学講師を経て、立教大学助教授に着任し、1969年(昭和44)に『先導獣の話』が「文學界」同人雑誌評[ベスト5]となります。1970年(昭和45)に、『円陣を組む女たち』、『男たちの円居(まどい)』で評価され、立教大学を退職し、作家生活に入りました。
 1971年(昭和46)に『杳子』で、第64回芥川賞、1980年(昭和55)に『栖』で、第12回日本文学大賞、1983年(昭和58)には、『槿』で、第19回谷崎潤一郎賞を受賞します。1986年(昭和61)に芥川賞選考委員に選出され、1987年(昭和62)に『中山坂』で、第14回川端康成文学賞、1989年(平成元)には、『仮往生伝試文』で、第41回読売文学賞[小説賞]を受賞しました。
 1991年(平成2)に椎間板ヘルニアのため2ヶ月間入院しましたが、1997年(平成9)には、『白髪の唄』で、第38回毎日芸術賞を受賞しています。2005年(平成17)に芥川賞選考委員を「執筆に専念する」として辞任し、既成の日本語文脈を破る独自な文体を試みたものの、2020年(令和2)2月18日に、東京都内の自宅において、肝細胞癌のため、82歳で亡くなりました。

<古井由吉の主要な著作>

・『円陣を組む女たち』(1970年)
・『男たちの円居(まどい)』(1970年)
・『杳子(ようこ)』(1971年)第64回芥川賞受賞
・『行隠(ゆきがく)れ』(1972年)
・『聖(ひじり)』(1976年)
・『栖(すみか)』(1980年)第12回日本文学大賞受賞
・『椋鳥(むくどり)』(1980年)
・『山躁賦(さんそうふ)』(1982年)
・『槿(あさがお)』(1983年)第19回谷崎潤一郎賞受賞
・エッセイ集『東京物語考』(1984年)
・『中山坂』(1987年)第14回川端康成文学賞受賞
・『仮往生伝試文』(1989年)第41回読売文学賞受賞
・『楽天記』(1992年)
・『魂の日』(1993年)
・『陽気な夜まわり』(1994年)
・『白髪(はくはつ)の唄(うた)』(1997年)第38回毎日芸術賞受賞
・『夜明けの家』(1998年)

〇古井由吉関係略年表

・1937年(昭和12)11月19日 東京府東京市において、生まれる
・1953年(昭和28) 獨協高校に入学したが、東京都立日比谷高校に転校する
・1956年(昭和31) 東京都立日比谷高校卒業し、東京大学文科二類へ入学する
・1960年(昭和35) 東京大学文学部独文科卒業後、同大学院人文科学研究科独語独文学専攻へ進む
・1969年(昭和44) 『先導獣の話』が「文學界」同人雑誌評[ベスト5]となる
・1970年(昭和45) 立教大学を退職し、作家生活に入る
・1971年(昭和46) 『杳子』で、第64回芥川賞(昭和45年/1970年下期)を受賞する
・1980年(昭和55) 『栖』で、第12回日本文学大賞を受賞する
・1983年(昭和58) 『槿』で、第19回谷崎潤一郎賞を受賞する
・1986年(昭和61) 芥川賞選考委員に選出される
・1987年(昭和62) 『中山坂』で、第14回川端康成文学賞を受賞する
・1989年(平成元) 『仮往生伝試文』で、第41回読売文学賞[小説賞]を受賞する
・1991年(平成2) 椎間板ヘルニアのため2ヶ月間入院する
・1997年(平成9) 『白髪の唄』で、第38回毎日芸術賞を受賞する
・2005年(平成17) 芥川賞選考委員を「執筆に専念する」として辞任する
・2020年(令和2)2月18日 東京都内の自宅において、肝細胞癌のため、82歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1906年(明治39)京阪電気鉄道株式会社が設立される詳細
1947年(昭和22)「農業協同組合法」が公布される詳細
1956年(昭和31)米原~京都の電化により東海道本線の全線電化が完成する詳細
東京駅~博多駅間の夜行特急あさかぜが運行開始される詳細
1975年(昭和50)MK鋼を発明した冶金学者三島徳七の命日詳細
1982年(昭和57)地球物理学者・随筆家坪井忠二の命日詳細
1993年(平成5)「環境基本法」が公布・施行される詳細
1998年(平成10)気象学者藤田哲也の命日詳細

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 今日は、昭和時代前期の1931年(昭和6)に、小説家白石一郎が生まれた日です。
 白石一郎(しらいし いちろう)は、昭和時代前期の1931年(昭和6)11月9日 朝鮮の釜山で生まれ、太平洋戦争敗戦の1945年(昭和20)までは同地で過ごしました。長崎県立佐世保北高等学校時代に小説家を志し、雑誌の懸賞小説に次々と投稿し、早稲田大学政治経済学部へ進みます。
 1954年(昭和29)に同大学卒業後、一時期サラリーマン生活を送りますが、退職して帰郷、父親の経理事務所を手伝いながら創作に励みました。1955年(昭和30)に『臆病武者』が、九州時事新聞の懸賞小説に一席入選、1957年(昭和32)には、『みかん』で、第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]を受賞します。
 1958年(昭和33)に『雑兵』で、第10回講談倶楽部賞を受賞し、福岡県福岡市で本格的な作家生活に入り、1970年(昭和45)に第1回福岡市文学賞[小説]、1983年(昭和58)には、第8回福岡市文化賞を受賞しました。その間、1970年(昭和45)から度々直木賞候補となりますが、ようやく8回目にして、1987年(昭和62)に『海狼伝』で、第97回直木賞を受賞します。
 1992年(平成4)に『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』で、第5回柴田錬三郎賞、1994年(平成6)には、『十時半睡事件帖』シリーズがNHKでテレビドラマ化されました。1995年(平成7)には、朝日新聞で『異人館』の連載を開始、第54回西日本文化賞社会文化部門を受賞しています。
 九州の海を舞台にした海洋歴史小説を多数発表し、1998年(平成10)には、第2回海洋文学大賞特別賞を受賞しました。1999年(平成11)には、第7回福岡県文化賞[創造部門]、『怒濤のごとく』で、第33回吉川英治文学賞を受賞したものの、2002年(平成14)の冬から食道がんのため久留米市内の病院に入院後、入退院を繰り返し、2004年(平成16)9月20日に、福岡県久留米市の病院において、肺炎により、72歳で亡くなっています。

<白石一郎の主要な著作>

・『みかん』(1957年)第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]受賞
・『雑兵』(1958年)第10回講談倶楽部賞受賞
・『海狼伝』(1987年)第97回直木賞受賞
・『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』(1992年)第5回柴田錬三郎賞受賞
・『異人館』(1995年)
・『怒濤のごとく』(1999年)第33回吉川英治文学賞受賞

〇白石一郎関係略年表

・1931年(昭和6)11月9日 朝鮮の釜山で生まれる
・1945年(昭和20) 大平洋戦争敗戦に伴ない、朝鮮の釜山から長崎県佐世保市へ転居する
・1954年(昭和29) 早稲田大学政治経済学部卒業後、一時期サラリーマン生活を送る
・1955年(昭和30) 『臆病武者』が、九州時事新聞の懸賞小説に一席入選する
・1957年(昭和32) 『みかん』で、第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]を受賞する
・1958年(昭和33) 『雑兵』で、第10回講談倶楽部賞を受賞し、福岡県福岡市で作家生活に入る
・1970年(昭和45) 第1回福岡市文学賞[小説]を受賞する
・1983年(昭和58) 第8回福岡市文化賞を受賞する
・1987年(昭和62) 『海狼伝』で、第97回直木賞を受賞する
・1992年(平成4) 『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』で、第5回柴田錬三郎賞を受賞する
・1994年(平成6) 『十時半睡事件帖』シリーズがNHKでテレビドラマ化される
・1995年(平成7) 朝日新聞で、幕末から明治維新の長崎で活躍した英国商人グラバーの生涯を描いた『異人館』の連載を開始、第54回西日本文化賞社会文化部門を受賞する
・1998年(平成10) 第2回海洋文学大賞特別賞を受賞する
・1999年(平成11) 第7回福岡県文化賞[創造部門]を受賞、『怒濤のごとく』にて第33回吉川英治文学賞を受賞する、
・2002年(平成14) 冬から食道がんのため久留米市内の病院に入院する
・2004年(平成16)9月20日 福岡県久留米市の病院において、肺炎により、72歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1637年(寛永14)江戸幕府が島原の乱の鎮圧に板倉重昌らの派遣を決定する(新暦12月25日)詳細
1872年(明治5)太陽暦導入のため、「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(改暦ノ布告)が布告される(新暦12月9日)詳細
1876年(明治9)医師・細菌学者野口英世の誕生日詳細
1945年(昭和20)GHQが「農業計画に関する覚書」(SCAPIN-257)を出す詳細
1963年(昭和38)三井三池炭鉱三川鉱(福岡県大牟田市)で粉塵爆発が起き、死者458人を出す詳細
鶴見事故で列車の三重衝突が起こり、死者161人・負傷者120人を出す詳細
1962年(昭和37)廖承志と高碕達之助が「日中LT貿易覚書」に調印する詳細
1988年(昭和63)物理学者・第17代東京大学総長茅誠司の命日詳細



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