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 今日は、令和時代の2025年(令和7)に、東京の帝国劇場が再開発のために一時休館した日です。
 帝国劇場(ていこくげきじょう)は、東京都千代田区丸の内3丁目にある劇場で、通称「帝劇(ていげき)」と呼ばれています。1906年(明治39)に、劇場新設のための委員会(委員長は渋沢栄一)が発足し、1907年(明治40)3月9日には、帝国劇場株式会社が正式に成立して、建設が始まりました。
 1911年(明治44)2月10日に落成しましたが、ルネサンス風のフランス様式を模した劇場で、建坪約2,000㎡、観客席は4階まですべて椅子席(1,700席)で、オーケストラ・ボックスを持つ新しい劇場機構、観劇制度が評判を呼びます。同年3月1日に開館し、6世尾上梅幸、7世松本幸四郎が専属となり歌舞伎を上演する一方、翻訳劇や創作劇を並行して取り上げ、帝国劇場付属技芸学校を設立して女優の養成にも乗り出しました。
 大正時代には、エルマン、クライスラー、パブロワら海外の一流音楽家、舞踊家を招くなど文化交流にも尽くします。しかし、1923年(大正12)9月1日の関東大震災で、隣接する警視庁から出た火災により外郭を残して焼け落ちたものの、翌年には、横河民輔により改修されて再開しました。
 1930年(昭和5)に松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転用、SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となりましたが、1939年(昭和14)には、運営会社を東宝が合併します。翌年に、松竹の賃借期限が切れると共に、東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻されたものの、内閣情報部が庁舎として利用することとなり、9月15日の新国劇の上演をもって休演となりました。
 1945年(昭和20)の太平洋戦争敗戦後、初公演として、六世尾上菊五郎一座の「銀座復興」が行われ、て復活します。1955年(昭和30)には、舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じました。1964年(昭和39)に映画「アラビアのロレンス」が上映されましたが、翌年には、都市高層化の波で建物が取り壊され、解体されています。しかし、1966年(昭和41)に敷地内(丸の内3丁目)に新築されたビルの中の1,900の客席をもつ、2代目の大劇場となり、廻り舞台は大小4つの迫りが内部に設置されており、直径16.4m・高さ22mあって、地上1階から地下6階までを貫く構造となりました。
 開場記念公演の「風と共に去りぬ」は6ヶ月のロングランでヒットし、その後ミュージカルや大型娯楽劇を柱に東宝演劇の中心的劇場となります。1969年(昭和44)に「日本レコード大賞」の発表会会場として使用開始(~1984年)され、1989年(平成元)には、「レ・ミゼラブル」が初演され、以後の看板公演になりました。
 2022年(令和4)9月27日に、竣工から約56年を経過したことなどにより、一体的に建て替えることが発表され、2025年(令和7)には、建て替えのために、一時休館(2030年度の開館見込)となっています。

〇帝国劇場関係略年表

・1906年(明治39) 劇場新設のための委員会(委員長は渋沢栄一)が発足する
・1907年(明治40)3月9日 帝国劇場株式会社が正式に成立する
・1911年(明治44) 2月10日に落成し、3月1日に開館する
・1912年(大正元) イタリア人のジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーを招いて歌劇・バレエを上演する
・1915年(大正4) ローシー振付 「夢幻的バレエ」が上演される
・1916年(大正5) ロシアの舞踊が上演される
・1922年(大正11) パヴロワ婦人露国舞踊劇一座の上演が行われる
・1923年(大正12) 関東大震災では隣接する警視庁から出た火災により外郭を残して焼け落ちる
・1924年(大正13) 横河民輔により改修されて再開する
・1929年(昭和4) スペイン舞踏家ラ・アルヘンティーナの来日公演が行われる
・1930年(昭和5) 松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転用、SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となる
・1938年(昭和13) 「江口・宮舞踊研究所」旗揚げ公演「麦と兵隊」が行われる
・1939年(昭和14) 運営会社を東宝が合併する
・1940年(昭和15) 松竹の賃借期限が切れると共に、東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻されたものの、内閣情報部が庁舎として利用することとなり、9月15日の新国劇の上演をもって休演となる
・1944年(昭和19) 地下食堂が一般人でも利用できる雑炊食堂として供される
・1945年(昭和20) 太平洋戦争敗戦後の初公演として、六世尾上菊五郎一座の「銀座復興」が行われる
・1946年(昭和21) 東京バレエ団の白鳥の湖(8月9日〜30日、日本初演)が行われる
・1947年(昭和21) 「江口・宮舞踊研究所」伊福部昭作曲「イゴザイダー」が上演される
・1948年(昭和21) 貝谷八百子振付「サロメ」伊福部昭作曲が上演される
・1948年(昭和21) 石井漠振付『さまよえる群像』 伊福部昭作曲が上演される
・1949年(昭和21) 貝谷八百子振付「パスカーナ(憑かれたる城)」伊福部昭作曲が上演される
・1950年(昭和21) 「江口・宮舞踊研究所」 伊福部昭作曲「プロメテの火」が上演される
・1955年(昭和30) 舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じる
・1964年(昭和39) 映画「アラビアのロレンス」が上映される
・1965年(昭和40) 都市高層化の波で建物が取り壊され、解体される
・1966年(昭和41) 敷地内(丸の内3丁目)に新築されたビルの中の1,900の客席をもつ大劇場となり、「風と共に去りぬ」が上演される
・1967年(昭和42) 「屋根の上のバイオリン弾き」が上演される
・1969年(昭和44) 「日本レコード大賞」の発表会会場として使用開始される(~1984年)
・1989年(平成元) 「レ・ミゼラブル」が初演され、以後帝劇の看板公演になる
・1992年(平成4) 「ミス・サイゴン」が上演される
・1999年(平成11) オリジナル・ミュージカル「ローマの休日」を上演する
・2022年(令和4)9月27日 竣工から約56年を経過したことなどにより、一体的に建て替えることが発表される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1591年(天正19)商人・茶人千利休の命日(新暦4月21日)詳細
1633年(寛永10)江戸幕府により「寛永十年二月令」(第一次鎖国令)が出される詳細
1638年(寛永15)島原・原城が落城し、島原の乱終結、蘢城していた一揆勢が皆殺しなる(新暦4月12日)詳細
1864年(元治元)小説家二葉亭四迷の誕生日(新暦4月4日)詳細
1901年(明治34)東京帝国大学史料編纂掛が『大日本史料』の刊行を開始する詳細
1947年(昭和22)第1次吉田茂内閣で、「供米促進対策要綱」が閣議決定される詳細
1952年(昭和27)「日米安全保障条約(旧)」に関わり、日米両国の政府間で、「日米行政協定」が調印される詳細
1973年(昭和48)古河鉱業が栃木県の足尾銅山を閉山し、363年の歴史に幕を下ろす詳細

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 今日は、鎌倉時代の1268年(文永5)に、鎌倉幕府が蒙古来襲(元寇)に備えて西国御家人らに防備を命じた日ですが、新暦では4月10日となります。
 元寇(げんこう)は、鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた日本への侵攻のことで、蒙古襲来ともいいます。1回目の1274年(文永11)のを文永の役、2回目の1281年(弘安4)のを弘安の役と呼ばれてきました。
 台風の襲来によるモンゴル軍側の損害もあって、2度とも撤退しています。2回の元寇の後、鎌倉幕府は博多湾の防備を強化しましたが、この戦いで日本側が物質的に得たものは無く、恩賞は御家人たちに満足のいくものではありませんでした。
 モンゴル軍の再度の襲来に備えて御家人の統制が進められましたが、戦費で窮迫した御家人達は借金に苦しむようになります。やむを得ず幕府は「永仁の徳政令」などを発布して御家人の困窮対策にしようとしましたが、御家人の不満は解消されず、鎌倉幕府に対して不信感を抱くものが増えていきました。
 これらの動きはやがて大きな流れとなり、鎌倉幕府滅亡の原因の一つになったと言われています。

〇元寇関係略年表(日付は旧暦です)

<1266年(弘長元)>
・11月 第1回の蒙古の使節が日本を訪れ国書(蒙古国牒状)を持参したが、高麗から帰国する

<1268年(文永5)>
・1月 第2回の蒙古の使節が日本を訪れ国書(蒙古国牒状)を持参し、大宰府で渡す
・2月27日 鎌倉幕府が蒙古来襲(元寇)に備えて西国御家人らに防備を命じる

<1269年(文永6)>
・2月 第3回の蒙古の使節が日本を訪れるが幕府は入国を許さず、使節は対馬の住民を拉致して帰国した
・9月 第4回の蒙古の使節が拉致した対馬の住民を護送する使者が大宰府を訪れる

<1271年(文永8)>
・9月 第5回の蒙古の使節が日本の大宰府を訪れ国書を持参した

<1272年(文永9)
・2月または4月 第6回の蒙古の使節が日本を訪れ国書を持参した

<1274年(文永11)>
・10月3日 蒙古軍が大小900の船団を率いて出航する
・10月5日 蒙古軍が対馬に上陸して、多くの島民を殺害する
・10月14日 蒙古軍が壱岐に上陸して、多くの島民を殺害する
・10月16-17日 蒙古軍が肥前沿岸に襲来する
・10月20日 蒙古軍が博多湾に襲来するが、激戦の末に蒙古軍を撃退する(文永の役終了)

<1275年(建治元)>
・9月7日 服属を求めに来た元の使者を北条時宗は鎌倉で処刑し、元の襲来に備え博多湾岸に石築地を築かせる
・11月 鎌倉幕府は元の襲来を防ぐ目的での朝鮮出兵、高麗遠征計画を立てて、金沢実政が九州に下向する

<1276年(建治2)>
・3月10日 鎌倉幕府が、蒙古再来に備えて築前の海岸に石塁(石築地)を築かせるように指示する
・8月 元寇防塁(石築地)が、ほぼ完成する

<1281年(弘安4)>
・5月3日 蒙古軍が日本に向けて朝鮮を出発する
・5月21日 蒙古軍が対馬に上陸したものの、日本軍の激しい抵抗を受ける
・5月26日 蒙古軍が壱岐に上陸する
・6月8日 志賀島に上陸した蒙古軍を日本軍が攻撃して、蒙古軍は敗走する
・6月14日 蒙古軍が長門に襲来する
・6月29日 壱岐島に駐留する蒙古軍に対して日本軍が攻撃する
・7月2日 壱岐島に駐留する蒙古軍に対して日本軍が再度攻撃し、蒙古軍は平戸島に退却する
・7月27日 鷹島の沖合に停泊していた蒙古軍船に対して日本軍が攻撃する
・7月30日 台風が襲来し、蒙古軍の軍船の多くが沈没・損壊する
・閏7月5日 蒙古軍は撤退を決定する
・閏7月7日 鷹島に残留する蒙古軍10万に対して、日本軍は総攻撃しこれを壊滅する(弘安の役終了)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1594年(文禄3)豊臣秀吉による吉野の花見が開宴される(新暦4月17日)詳細
1657年(明暦3)徳川光圀が『大日本史』の編纂に着手する(新暦4月10日)詳細
1754年(宝暦4)江戸幕府の命で薩摩藩が木曾川の治水工事(宝暦治水)に着手(新暦3月20日)詳細
1875年(明治8)日本初の近代的植物園・小石川植物園が開園する詳細
1890年(明治23)東京の明治浅草大火が起き、死者1名、負傷者7名、全勝1,469戸を出す詳細
1946年(昭和21)GHQより「社会救済に関する覚書」(SCAPIN-775)が出される詳細
1983年(昭和58)歴史学者・文学博士井上光貞の命日詳細
1987年(昭和62)東京で開催された環境と開発に関する世界委員会(WCED)で、「東京宣言」が採択される詳細

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 今日は、平安時代前期の823年(弘仁14)に、嵯峨天皇の勅により比叡山寺の寺号を「延暦寺」に改めた日ですが、新暦では4月10日となります。
 延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市にある天台宗の総本山で、山号は比叡山といい、山門とも呼びます。奈良時代の788年(延暦7)に最澄が創建した一乗止観院に始まり、823年(弘仁14)には、嵯峨天皇による大乗戒壇の勅許とともに延暦寺の寺号を賜りました。
 993年(正暦4)に円珍(智証大師)の門徒が園城寺(寺門)に移ってからは寺門と対立し、このころから僧兵をたくわえ、意に満たないことがあれば強訴し、朝廷に恐れられるようになります。次第に堂や伽藍が整備されていき、平安時代後期には一山三千余坊といわれるほど栄えました。
 鎌倉時代以降も寺勢を保持しましたが、たびだひ武家勢力と対峙したため、何度か火災にあって建物を焼失したものの、その都度復興されています。しかし、1571年(元亀2)に、浅井・朝倉両軍をかくまったこと等が発端となって、織田信長によって「比叡山の焼き討ち」が起こり、堂塔伽藍はことごとく灰燼に帰したとされてきました。
 その後、豊臣秀吉から山門再興の許可を得、秀吉、徳川家康より領地を与えられて復興します。昭和時代になっても、1934年(昭和9年)に、室戸台風の暴風雨により本坊、文殊楼、無動寺、大剰寺、山麓の宿院などが倒壊する被害を受け、1956年(昭和31)には、賽銭泥棒が放火し、大講堂、本尊の大日如来像などが焼失しました。
 現在も、根本中堂 (国宝) をはじめ,大講堂、戒壇院、釈迦堂、山麓の滋賀院などの百有余の堂や塔があり、寺宝として、金銅経箱(国宝)、宝相華蒔絵経箱(国宝)、七条刺納袈裟・刺納衣(国宝)、伝教大師将来目録(国宝)、羯磨金剛目録(国宝)、六祖恵能伝(国宝)などを多数所蔵しています。尚、1994年(平成6)には、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)にも登録されました。

〇延暦寺関係略年表

・785年(延暦4) 最澄が「願文(がんもん)」をつくり、堅い修行の決意をもって比叡山へ入り、草庵をつくる
・788年(延暦7) 最澄が一乗止観院(後の根本中堂)を創建、本尊として薬師如来を安置する
・806年(大同元) 年分度者(ねんぶんどしゃ)(毎年天台宗の僧として得度・受戒すべき僧)の割当て2名を得て、天台宗が独立した宗派として公認される
・818年(弘仁9) 南都の小戒を捨てて比叡山に大乗戒壇を建立することを申請して南都の旧宗と対決する
・822年(弘仁13) 嵯峨天皇による大乗戒壇の勅許を賜る
・823年(弘仁14) 延暦寺の寺号を賜る
・824年(天長1) 義真が初代天台座主に任ぜられ、三綱が置かれ、講堂建立される
・825年(天長2) 戒壇院が建立され、堂舎が整う
・829年(天長6) 円仁が首楞厳(しゆりようごん)院を開く
・834年(承和1) 円澄が西塔院を開創する
・866年(貞観8) 清和天皇より、最澄に「伝教大師」、円仁に「慈覚大師」という諡号を賜る
・905年(延喜5) 宇多法皇が登山受戒する
・966年(康保3) 山上の諸堂が焼失する
・993年(正暦4) 慶祚以下の智証派1000余人は下山して園城寺(三井寺)に拠り、山門と寺門(三井寺)の対立が始まる
・1095年(嘉保2) 強訴のとき日吉の神輿をかつぎ出すことが例となる
・1571年(元亀2) 浅井・朝倉両軍をかくまったこと等が発端となって、織田信長による「比叡山の焼き討ち」が起こり、堂塔伽藍はことごとく灰燼に帰す
・1584年(天正12) 豊臣秀吉が、復興の許可を出す
・1595年(文禄4) 豊臣秀吉は、坂本と葛川の1,573石を施入する
・1640年(寛永17) 江戸幕府の援助により、根本中堂が旧規にならい再興される
・1868年(明治元) 神仏分離令が出されると、延暦寺の鎮守社であった日吉社は独立して日吉大社と名称を改める
・1934年(昭和9年) 室戸台風の暴風雨により本坊、文殊楼、無動寺、大剰寺、山麓の宿院などが倒壊する被害を受ける
・1956年(昭和31) 比叡山延暦寺に賽銭泥棒が放火し、大講堂、本尊の大日如来像などが焼失する
・1994年(平成6) 「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録される
・2015年(平成27) 「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財として日本遺産に認定される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1649年(慶安2)江戸幕府が「慶安御触書」を発布したとされてきた日(新暦4月7日)詳細
1844年(天保15)探検家・測量家間宮林蔵の命日(新暦4月13日)詳細
1858年(安政5)越中・飛騨国境付近で、飛越地震が起き、甚大な被害が出る(新暦4月9日)詳細
1873年(明治6)俳人・随筆家・書家河東碧梧桐の誕生日詳細
1876年(明治9)日朝修好条規」が締結される詳細
1936年(昭和11)二・二六事件(高橋蔵相らが暗殺される)が起こる詳細
1946年(昭和21)GHQにより、「禁止図書その他の出版物に関する覚書」 (SCAPIN-776) が出される詳細
2003年(平成15)編集者・紀行作家宮脇俊三の命日詳細

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 今日は、安土桃山時代の1586年(天正14)に、天正遣欧少年使節がポルトガルのリスボンを出港し、日本への帰途についた日ですが、新暦では4月13日となります。
 天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしせつ)は、宣教師バリニャーノの勧めによって、九州のキリシタン大名大村純忠、有馬晴信、大友宗麟の名代としてローマ教皇のもとに派遣された少年使節団です。織田信長の晩年に来日したイエズス会日本巡察師アレッサンドロ・バリニャーノは、インド、ローマへの帰還に当たり、日本人少年をキリシタン大名の使節としてヨーロッパに派遣することを勧めました。
 島原半島の有馬のセミナリヨに学んでいた少年4名(14~15歳)が選ばれ、正使には大友宗麟の名代として伊東マンショ、有馬晴信と大村純忠の名代として千々石(ちぢわ)ミゲルとし、中浦ジュリアン、原マルチノ両人を副使に任じます。1582年(天正10年1月28日)に、長崎港を出帆し、中国のマカオ、インドのゴアを経由し、1584年(天正12年7月5日)にポルトガルの首都リスボンに到着、サン・ロッケ教会が宿舎となりました。
 その後、スペインのマドリード、イタリアのフィレンツェを経て、1585年(天正13年2月)にローマ入りしました。同年3月23日に、使節らはローマ教皇グレゴリウス13世に謁見し、ローマ市民権を与えられるなど大歓迎を受け、援助を得ることに成功します。それからは、北イタリアの旅を続け、スペイン、ポルトガルを経て、翌年2月25日にリスボンを出港し、帰途につきました。
 1590年(天正18年6月20日)に使節団が帰国し、長崎港に到着します。前年には、大友宗麟、大村純忠が亡くなり、豊臣秀吉が「バテレン追放令」を発布するなどキリスト教に関する風向きが変わってきていました。
 しかし、翌年閏1月に一行はゴアから再来したバリニャーノとともに聚楽第で豊臣秀吉に謁見し、西洋音楽(ジョスカン・デ・プレの曲)を演奏しています。正副4使節はイエズス会に入りましたが、キリスト教に対する圧力が強まる中で、千々石ミゲルは棄教し、他の3名は司祭になったものの、伊東マンショは病死、中浦ジュリアンは殉教死、原マルティノは追放先のマカオで死去しました。
 この使節によって、ヨーロッパ・キリスト教世界に日本と日本人を知らしめた功績は大きく、彼らの持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって、日本語書物の活版印刷が初めて行われ、キリシタン版と呼ばれています。

〇天正遣欧使節関係略年表

<1579年(天正7)>
・7月25日(新暦8月17日) アレッサンドロ・バリニャーノが口之津港へ来日する

<1581年(天正9)>
・2月23日(新暦3月27日) アレッサンドロ・バリニャーノとルイス・フロイスが織田信長に謁見する

<1582年(天正10)>
・1月28日(新暦2月20日) 天正遣欧使節が長崎港を出港する
・2月15日(新暦3月9日) マカオに到着し、風を待つ

<1583年(天正11)>
・11月7日(12月20日) マラッカ・コチンをへてインドのゴアに到着する

<1584年(天正12)>
・7月5日 (新暦8月10日) ポルトガルの首都リスボンに到着し、サン・ロッケ教会が宿舎となる
・10月23日(新暦11月25日) スペインの首都マドリードでスペイン国王フェリペ2世の歓待を受ける

<1585年(天正13)>
・1月30日(新暦3月1日) スペインのマヨルカ島を経由しイタリアのリヴォルノに到着、トスカーナ大公国に入る
・2月1日(新暦3月2日) ピサに到着し、ピサ宮殿にてトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチに謁見する
・2月5日(新暦3月6日) カヴァリエーリ広場にあるサント・ステファノ・デイ・カヴァリエーリ教会にて聖ステファノ騎士団を見学する
・2月6日(新暦3月7日) フィレンツェに到着し、シニョーリア広場にあるヴェッキオ宮殿に宿泊する
・2月10日(新暦3月11日) フィレンツェ近郊にあるプラトリーノの別荘ヴィッラ・デミドフで過ごす
・2月22日(新暦3月23日) ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見し、ローマ市民権を与えられる
・4月2日(新暦5月1日) グレゴリウス13世の後を継いだシクストゥス5世の戴冠式に出席する
・5月6日(新暦6月3日) ローマを出発し、以後ヴェネツィア、ヴェローナ、ミラノなどの諸都市を訪問する

<1586年(天正14)>
・2月25日(新暦4月13日) ポルトガルのリスボンを出港し、帰途につく

<1587年(天正15)>
・4月23日(新暦5月29日) インドのゴアに到着し、ヴァリニャーノに再会、コレジオにおいて原マルティノの演説が行われる
・5月6日(新暦6月11日) 豊後において大友宗麟が死去する
・5月18日(新暦6月23日) 長崎で大村純忠が死去する
・6月19日(新暦7月24日) 豊臣秀吉が「バテレン追放令」を発布する

<1590年(天正18)>
・6月20日(新暦7月21日) 天正遣欧使節が帰国し、長崎港に到着する

<1591年(天正19)>
・閏1月8日(新暦3月3日) 聚楽第において豊臣秀吉を前に、西洋音楽(ジョスカン・デ・プレの曲)を演奏する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

681年(天武天皇10)天武天皇が律令の制定(飛鳥浄御原令)を命じる(新暦3月19日)詳細
1415年(応永22)僧侶・浄土真宗中興の祖蓮如の誕生日(新暦4月13日)詳細
1902年(明治35)数学者・第6代大阪大学総長・武蔵学園学園長正田建次郎の誕生日詳細
1942年(昭和17)「戦時災害保護法」(昭和17年法律第71号)が公布される詳細
1944年(昭和19)東条英機内閣により、「決戦非常措置要綱」が閣議決定される詳細
1946年(昭和21)「金融緊急措置令」に基づいて新円を発行し、旧円と新円の交換が開始される詳細
1947年(昭和22)八高線高麗川駅付近で買い出しで満員の列車が転覆、死者184人を出す(八高線列車脱線転覆事故)詳細
1953年(昭和28)医師・歌人斎藤茂吉の命日(茂吉忌)詳細

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 今日は、昭和時代後期の1976年(昭和51)に、ロッキード事件に関して、検察庁、東京国税局、警視庁の三庁合同で丸紅本社や児玉邸など、27か所を一斉捜索した日です。
 ロッキード事件(ロッキードじけん)は、昭和時代後期の1976年(昭和51)に発覚したアメリカのロッキード社の対日航空機売込みにかかる汚職事件です。これによって、前内閣総理大臣田中角栄(自民党)、元運輸大臣橋本登美三郎(自民党)、運輸政務次官佐藤孝行(自民党)の政治家と全日空の若狭得治社長以下数名の役員及び社員、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、黒幕と言われた児玉誉士夫や国際興業社主の小佐野賢治が逮捕され、1995年(平成7)の最高裁判決に至る過程で有罪が確定しました。
 この事件は、戦後最大の汚職事件で、政界・官界・財界の癒着による構造汚職といわれ、自民党政治の腐敗・金権体質として批判されることになります。

〇ロッキード事件関係略年表

<1976年(昭和51)>
・2月4日 米国上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会でロッキード社が航空機売り込みのための対日工作を証言する
・2月6日 ロッキード社コーチャン副会長が「丸紅・伊藤宏専務に支払った金が政府高官に渡った」と証言する
・2月16日 衆議院予算委員会で証人喚問が始まる
・2月18日 ロッキード事件で初の検察首脳会議が開かれる
・2月24日 検察庁、東京国税局、警視庁の三庁合同で丸紅本社や児玉邸など、27か所を一斉捜索する
・3月1日 衆議院予算委員会で第二次証人喚問がなされる
・3月4日 児玉誉士夫の臨床取り調べが開始される
・3月13日 児玉を約8億5374万円分の所得税脱税で起訴
・3月23日 児玉邸に小型機が自爆攻撃、操縦していた自称右翼の男が死亡する
・3月24日 米国からの資料提供に関する日米司法取り決め調印する
・4月2日 田中角栄前首相、田中派の「七日会」臨時総会で「所感」表明する
・4月10日 米国からの資料が検察庁に到着する
・5月10日 児玉誉士夫を外為法違反で追起訴する
・5月13日 自民党の椎名悦三郎副総裁、田中前首相、大平正芳蔵相、福田赳夫副総裁が“三木(首相)おろし”を画策していたことが判明する
・6月10日 児玉の通訳、福田太郎が死亡する
・6月22日 特捜部、偽証罪で丸紅・大久保利春前専務を逮捕、同地検と警視庁、全日空・澤雄次専務ら3人を外為法違反で逮捕する
・7月2日 特捜部、丸紅・伊藤宏前専務を偽証罪で逮捕する
・7月7日 特捜部、全日空・藤原亨一取締役を外為法違反で逮捕する
・7月8日 特捜部、全日空・若狭得治社長を外為法違反と偽証罪で逮捕する
・7月9日 特捜部、全日空・渡辺尚次副社長を偽証罪で逮捕する
・7月13日 特捜部、丸紅・檜山廣前会長を外為法違反で逮捕する
・7月27日 特捜部、田中前首相、榎本敏夫元首相秘書を外為法違反で逮捕、田中前首相、自民党を離党する
・8月2日 田中前首相の私設秘書兼運転手・笠原政則の自殺体を発見する
・8月16日 田中前首相を受託収賄・外為法違反で起訴、丸紅・檜山、大久保、伊藤を贈賄で起訴する
・8月17日 田中前首相を保釈(保釈金2億円)する
・8月20日 特捜部、佐藤孝行・元運輸政務次官を受託収賄容疑で逮捕する
・8月21日 特捜部、橋本登美三郎・元運輸大臣を受託収賄容疑で逮捕する

<1977年(昭和52)>
・1月21日 小佐野賢治・国際興業社主を偽証で起訴、児玉誉士夫を脱税、外為法違反で起訴する
・1月27日 丸紅ルート第一回公判 田中、榎本は5億円の受領を否認する
・6月2日 児玉誉士夫の審理を開始する

<1981年(昭和56)>
・11月5日 児玉ルート東京地裁判決で、小佐野賢治を懲役1年(控訴)とする

<1982年(昭和57)>
・1月26日 全日空ルート東京地裁判決、若狭得冶 懲役3年・執行猶予5年(控訴)、渡辺尚次 懲役1年2か月・執行猶予3年(有罪確定)
・6月8日 全日空ルート東京地裁判決 橋本登美三郎 懲役2年6か月・執行猶予3年・追徴金500万円(控訴)、佐藤孝行 懲役2年・執行猶予3年・追徴金200万円(控訴)

<1983年(昭和58)>
・10月12日 丸紅ルート東京地裁判決、田中角栄 懲役4年・追徴5億円(控訴)、榎本敏夫 懲役1年 執行猶予3年(控訴)、檜山廣 懲役2年6か月(控訴)、伊藤宏 懲役2年(控訴)、大久保利春 懲役2年 執行猶予4年(控訴)

<1984年(昭和59)>
・1月25日 児玉誉士夫死亡につき公訴棄却される
・4月27日 児玉ルート東京高裁判決、小佐野賢治 懲役10か月・執行猶予3年(上告)

<1986年(昭和61)>
・5月14日 東京高裁、佐藤孝行に対し、控訴棄却(上告取り下げ有罪確定)
・5月16日 東京高裁、橋本登美三郎に対し、控訴棄却(上告)
・5月28日 東京高裁、若狭得治に対し、控訴棄却(上告)
・11月12日 小佐野賢治の死亡につき公訴棄却される

<1987年(昭和62)>
・7月29日 丸紅ルート東京高裁判決、伊藤宏  懲役2年・執行猶予4年(上告せず有罪確定)、大久保利春 懲役2年・執行猶予4年(伊藤以外の被告人は上告)

<1990年(平成2)>
・2月13日 橋本登美三郎の死亡につき公訴棄却される

<1991年(平成3)>
・12月17日 大久保利春の死亡につき公訴棄却される

<1992年(平成4)>
・9月18日 最高裁、若狭得治に対し上告棄却(有罪確定)

<1993年(平成5)>
・12月24日 田中角栄の死亡につき公訴棄却される

<1995年(平成7)>
・2月22日 最高裁、榎本敏夫および檜山廣に対し、上告棄却(有罪確定)ただし、コーチャンらの嘱託尋問調書については証拠能力を否定する

☆戦後の政治家がかかわった主要な汚職事件(贈収賄・利益供与など)

・1947年(昭和22) - 炭鉱国管疑獄
・1948年(昭和23) - 昭和電工事件
・1954年(昭和29) - 造船疑獄
・1954年(昭和29) - 日興連汚職事件
・1957年(昭和32) - 売春汚職事件
・1961年(昭和36) - 武州鉄道汚職事件
・1965年(昭和40) - 東京都議会黒い霧事件
・1965年(昭和40) - 九頭竜川ダム汚職事件
・1966年(昭和41) - 田中彰治事件
・1966年(昭和41) - 共和製糖事件
・1967年(昭和42) - 大阪タクシー汚職事件
・1968年(昭和43) - 日通事件
・1976年(昭和51) - ロッキード事件
・1979年(昭和54) - ダグラス・グラマン事件
・1980年(昭和55) - KDD事件
・1986年(昭和61) - 撚糸工連事件
・1988年(昭和63) - リクルート事件
・1991年(平成3) - 共和汚職事件
・1992年(平成4) - 東京佐川急便事件
・1993年(平成5) - ゼネコン汚職事件
・2000年(平成12) - KSD事件
・2000年(平成12) - 若築建設事件
・2001年(平成13) - 中洲カジノバー汚職事件
・2002年(平成14) - 鈴木宗男事件
・2004年(平成16) - 日歯連・中医協汚職事件

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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