以下の内容はhttps://gauss0.livedoor.blog/archives/2025-10.htmlより取得しました。


2ad8811a.jpg
 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、第一次世界大戦の青島の戦いが始まった日です。
 第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)は、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア)との帝国主義的対立や民族的対立などを背景として、ヨーロッパを中心に起こった最初の世界的規模の戦争です。1914年(大正3)6月28日、オーストリア領のサラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都)で、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻がセルビア人の青年に暗殺されたサラエボ事件を発端として開戦しました。
 同盟側にはトルコ・ブルガリアなど、協商側には同盟を脱退したイタリアのほかベルギー・日本・アメリカ・中国など30を超える国や地域が連鎖的に参戦します。1918年(大正7)11月にドイツ降伏で同盟国側が敗北するまで、4年余りにわたってヨーロッパ戦場を中心に激戦が続きました。
 国家総力戦となり戦車や飛行機、毒ガスなど多くの近代兵器が使用され、犠牲者は兵士だけで約900万人にも及んだと言われています。日本は、1914年(大正3)に、「日英同盟」を理由にドイツに宣戦布告し、同年10月3日から14日にかけて、日本は南洋に艦隊を派遣し、ドイツ領南洋諸島(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島)を占領しました。
 また、10月31日から日本とイギリスの連合軍は、ドイツ東洋艦隊の根拠地だった中華民国山東省の租借地である青島と膠州湾の要塞を攻撃(青島の戦い)します。11月7日には青島を占領し、ここに東アジアでの戦闘は終了したものの、日本は戦死者415人、戦傷者907人を出しました。
 その後、1919年(大正9)のパリ講和会議で「ベルサイユ条約」が成立しましたが、日本は、ドイツの山東省権益と赤道以北の南洋諸島を委任統治領を得ることとなります。

〇第一次世界大戦関係略年表

<1914年(大正3年)> 
・6月28日 オーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻、セルビアで組織された暗殺団に属するプリンチップによってサライエボで暗殺される(サライエボ事件)
・7月28日 オーストリア・ハンガリー帝国(以下オーストリアと略記)、セルビアに宣戦布告する
・7月30日 ロシア、総動員令を発令する
・8月1日 ドイツ、ロシアに宣戦布告する
・8月2日 ドイツ、ベルギーに対し領土通過を要求、ベルギーが拒否。ドイツ・オスマン帝国間に秘密同盟条約調印する
・8月3日 ドイツ軍、シュリーフェン・プランに従ってベルギーに進攻。ドイツ、フランスに宣戦布告する
・8月4日 イギリス、ドイツのベルギー中立侵犯を理由としてドイツに宣戦布告する
・8月5日 オーストリア、ロシアに宣戦布告。ドイツ軍、ベルギーのリエージュ要塞を攻撃する
・8月6日 セルビア、ドイツに宣戦布告する
・8月7日 日本の参戦を決定する閣議で外相加藤高明の主戦論大勢を制する(~8月8日)
・8月10日 フランス、オーストリアに宣戦布告する
・8月11日 イギリス、オーストリアに宣戦布告する
・8月15日 日本、ドイツに、ドイツ軍艦の東アジア撤退と膠州湾のドイツ租借地の引き渡しを求める最後通牒を交付する
・8月23日 日本、ドイツに宣戦布告する
・8月26日~8月31日 ドイツ軍、タンネンベルクの戦いでロシア軍を敗走させる
・9月3日 フランス政府、パリからボルドーに移る
・9月5日 イギリス・フランス・ロシア3国、ロンドン宣言を発表する
・9月6日 マルヌ川付近でフランス軍が反撃を開始し、マルヌの戦い始まる(~9月12日)
・9月11日 ドイツのフランス進攻軍右翼、エーヌ川の線まで後退を開始し、西部戦線の膠着化決定的となる
・9月14日 ファルケンハイン、小モルトケにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月19日 イギリス軍、ドイツ領南西アフリカに上陸する
・10月14日 日本海軍、赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領する
・10月29日 ドイツ巡洋戦艦に率いられたオスマン帝国海軍、ロシアのオデッサ(現、ウクライナのオデーサ)、セバストポリを砲撃する
・10月31日 日本とイギリスの連合軍は、ドイツ東洋艦隊の根拠地だった中華民国山東省の租借地である青島と膠州湾の要塞を攻撃する(青島の戦い)
・11月1日 ロシア、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月3日 イギリスおよびフランス、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月7日 日本軍、膠州湾岸の青島を占領する
・11月22日 イギリス軍、ペルシア湾岸のバスラを攻略する
・12月8日 イギリス・ドイツ海軍、アルゼンチン沖のフォークランド諸島付近で戦い、ドイツが大敗する

<1915年(大正4年)>
・1月18日 日本政府、中国政府(大総統袁世凱政権)に「対華二十一か条要求」を提出する
・3月18日 イギリス・フランス艦隊、ダーダネルス海峡を猛砲撃する
・4月22日 イーペル(ベルギー)の戦い(~5月25日)でドイツ軍史上初めて毒ガスを使用する
・4月25日 イギリス軍、ダーダネルス海峡のゲリボル半島に上陸する
・4月26日 ロンドン密約調印され、協商国(三国協商)側がイタリアに参戦の代償として南チロールなどを提供することを約束する
・5月3日 イタリア、三国同盟条約を破棄する
・5月7日 イギリス商船ルシタニア号、ドイツ潜水艦に撃沈され、128名のアメリカ人乗客死亡(ルシタニア号事件)。日本政府、「対華二十一か条要求」のうち「希望条項」としての7か条を削除した残りの要求の受諾を迫って、中国政府に最後通牒を交付する
・5月9日 中国政府、日本の最後通牒を受諾する
・5月23日 イタリア、オーストリアに宣戦布告する
・8月10日 外相加藤高明、元老山県有朋の圧力によって辞職、後任は駐仏大使石井菊次郎となる
・8月17日 イギリス商船アラビック号、ドイツ潜水艦に撃沈され、2名のアメリカ人乗客が死亡する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議(~9月8日)が行われる
・9月18日 ドイツ政府、アメリカ政府の抗議を受けて潜水艦作戦の自制を決定(アラビック誓約)する
・10月12日 ブルガリア、同盟国側で参戦する
・10月19日 日本政府、イギリス・フランス・ロシア3国のロンドン宣言に加入する
・10月24日 イギリスのエジプト駐在高等弁務官マクマホン、アラブ王国の独立を約束した「マクマホン書簡」をメッカの知事フサインに渡す(フサイン‐マクマホン協定)
・1月1日 ドイツでスパルタクス団結成。袁世凱、皇帝に即位する
・1月6日 イギリス議会で義務徴兵法成立する
・2月21日 ベルダンの戦い始まる(~7月12日)
・3月24日 フランス船サセックス号、英仏海峡でドイツ潜水艦に撃沈され、アメリカ人乗客負傷し、アメリカ・ドイツ両国の関係悪化する(サセックス号事件)
・4月24日 スイスのキーンタールで国際社会主義者会議インターナショナル開催(~4月30日)する

<1916年(大正5年)>
・5月4日 ドイツ政府、ふたたび潜水艦作戦の自制を約束し、アメリカ・ドイツ間の関係一時修復に向かう
・5月16日 サイクス‐ピコ協定、最終的に成立する
・5月31日~6月1日 ユトランド沖海戦。イギリス海軍は14隻11万トンを、ドイツ海軍は11隻6万トンを失うが、イギリスの制海権は不動
・6月24日 ソンムの戦い始まる(~11月18日)
・7月3日 第4回日露協約成立する
・8月27日 ルーマニア、オーストリアに宣戦布告する
・8月28日 イタリア、ドイツに宣戦布告する
・8月29日 ヒンデンブルクがファルケンハインにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月15日 イギリス軍、ソンムの戦いに史上初めて戦車を投入する
・10月9日 寺内正毅内閣成立する
・10月21日 オーストリア首相シュトルク、社会主義者フリードリヒ・アドラーに暗殺される
・11月7日 ウィルソン、アメリカ大統領に再選する
・11月21日 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世死去し、カール1世が即位する
・12月5日 ロイド・ジョージ、アスキスにかわってイギリス首相に就任する
・12月12日 ドイツ首相ベートマン・ホルウェーク、同盟国側の講話提案を発表する

<1917年(大正6年)>
・1月22日 ウィルソン、「勝利なき平和」を提案する
・2月1日 ドイツ海軍、無制限潜水艦戦開始する
・2月3日 アメリカ、ドイツとの国交断絶する
・2月26日 アメリカ商船ラコニア号、ドイツ潜水艦に撃沈される
・3月12日 ペトログラードで労働者兵士ソビエト結成される
・3月15日 リボフを首相とするロシア臨時政府成立。ロシア皇帝ニコライ2世退位し、ロマノフ王朝滅亡(三月革命。ロシア暦では二月革命)する
・4月6日 アメリカ下院、対独宣戦を可決。アメリカ、ドイツに宣戦布告する
・4月16日 レーニン、「封印列車」で亡命先のチューリヒから帰国する
・4月17日 レーニン、「四月テーゼ」を発表する
・4月26日 ロイド・ジョージ、イギリス海軍に商船の護送(コンボイ)実施を命令する
・5月10日 ジブラルタルからイギリス本土向けの初めての護送船団出発する
・6月27日 ギリシア、同盟国側に宣戦布告する
・7月19日 ドイツ国会、平和決議案を可決する
・8月14日 中国、ドイツとオーストリアに宣戦布告する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議ふたたび開催される(~9月12日)
・11月2日 バルフォア宣言。石井‐ランシング協定成立する
・11月7日 ロシアのペトログラードでボリシェビキの軍事蜂起成功(十一月革命。ロシア暦では十月革命)する
・11月8日 レーニン、「平和に関する布告」を発表する
・11月16日 クレマンソー、フランス首相に就任。親ドイツ派への弾圧を開始する
・11月26日 ソビエト政権、全ロシア軍に停戦を命令する
・12月22日 ブレスト・リトフスクで、ロシアと同盟国側との講和交渉開始する

<1918年(大正7年)>
・1月8日 ウィルソン、「十四か条」を発表する
・1月28日 フィンランドにロシアからの分離を求める内乱起こる
・2月10日 ブレスト・リトフスクでの講和交渉中断され、ソビエト代表トロツキーは戦争状態終結のみを宣言して引き揚げる
・2月18日 ドイツ軍、ロシアへの攻撃を再開する
・2月23日 ボリシェビキ党中央委員会、ドイツの新しい講和条件の受諾を正式に決定
・3月3日 ソビエト政府、ドイツ側とブレスト・リトフスクで講和条約(ブレスト・リトフスク条約)に調印する
・3月21日 ドイツ軍、「ミヒャエル作戦」によってイギリス軍に対し大攻勢を開始。第二回目のソンムの戦い始まる(~4月5日)
・4月14日 フォッシュ、連合軍最高司令官に就任する
・5月7日 ルーマニア、同盟国側に降伏し、ブカレスト講和条約に調印する
・5月26日 ロシア軍の捕虜になっていたチェコ軍団、チェリャビンスクでソビエト政府に反乱を起こす
・7月15日 マルヌ川方面でドイツ軍大攻勢(第二回目のマルヌの戦い)をかける
・7月18日 英仏の連合軍、フォッシュの作戦に従って反撃開始する
・8月2日 日本政府、シベリア出兵を宣言。英仏軍、アルハンゲリスクに上陸し、対ソ干渉戦争本格化する
・8月3日 イギリス軍、ウラジオストクに上陸する
・8月19日 アメリカ軍、ウラジオストクに上陸する
・9月12日 パーシングの率いるアメリカ第一軍、ベルダン付近で初めて単独で戦い、ドイツ軍に大勝する
・9月15日 バルカン半島での連合軍の大攻勢始まる
・9月29日 ブルガリア降伏し、サロニカで休戦条約に調印する
・10月3日 ヘアトリングにかわり、マックス・フォン・バーデンがドイツ首相に就任し、「十四か条」に基づく休戦を求める覚書をウィルソンに送る
・10月8日 ウィルソンのドイツ政府への回答、ドイツ軍の連合国領土からの撤退を求める
・10月12日 ドイツ政府、ウィルソンの要求を受諾する
・10月26日 参謀次長ルーデンドルフ罷免する
・10月30日 オスマン帝国、レムノス島沖のイギリス巡洋艦上で休戦条約に調印する
・11月3日 ドイツのキール軍港で水兵の反乱起こる。オーストリア、休戦条約に調印する
・11月9日 マックス・フォン・バーデンがドイツ皇帝ウィルヘルム2世の退位を宣言、エーベルトに政権を委譲する
・11月10日 ウィルヘルム2世、オランダへ亡命する
・11月12日 ドイツ代表エルツベルガー、コンピエーニュの森で休戦条約に調印し、第一次世界大戦終わる。オーストリア皇帝カール1世が退位する

<1919年(大正8年)>
・1月18日 パリ講和会議始まる
・6月28日 ドイツ、ベルサイユ条約に調印する
・9月10日 オーストリア、サン・ジェルマン条約に調印する
・11月27日 ブルガリア、ヌイイ条約に調印する

<1920年(大正9年)>
・1月10日 国際連盟が発足する
・6月4日 ハンガリー、トリアノン条約に調印する
・8月10日 オスマン帝国、セーブル条約に調印(1923年のローザンヌ条約で、セーブル条約は廃棄)する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1884年(明治17)秩父事件が起きる詳細
1903年(明治36)土佐藩士・自由民権家・政治家片岡健吉の命日詳細
1934年(昭和9)小説家・児童文学作家灰谷健次郎の誕生日詳細
1940年(昭和15)タバコの改名が発表される(ゴールデンバット→金鵄、チェリー→桜、カメリア→椿など)詳細
1943年(昭和18)「軍需会社法」が公布される詳細
1964年(昭和39)関門連絡船の最後の便が就航し、この日限りで廃止される詳細
1967年(昭和42)医学者佐々木隆興の命日詳細
2003年(平成15)国際連合総会において、「国連腐敗防止条約」が採択される詳細

kabukiza001
 今日は、大正時代の1921年(大正10)に、東京の歌舞伎座が漏電の為に全焼した日です。
 歌舞伎座(かぶきざ)は、演劇改良の実現を目的として東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座四丁目)に設立され、近代的な歌舞伎専用の劇場となりました。1889年(明治22)11月21日に、ジャーナリストの福地源一郎(福地桜痴)と金融業者の千葉勝五郎の共同経営で、演劇改良運動の流れを受けて開設されます。
 外観は洋風、内部は日本風3階建ての檜造り、定員1,824名、舞台間口13間(約23.63m)、奥行16間(約28.96m)、回り舞台直径9間(約16.29m)と 7間(約12.67m)の蛇の目回し、本花道5尺(約1.52m)の機構を持ち、規模・設備共に、日本一の偉容を誇りました。しかし、経営に失敗し、何人かの人手に渡ったあと、1913年(大正2)に、松竹の大谷竹次郎が経営を握り、翌年には、松竹合名社(現在の松竹株式会社)が興行のすべてを担当するようになります。
 ところが、1921年(大正10)10月30日に漏電により焼失、再建途上の1923年(大正12)に、建物躯体が完成したところで関東大震災に遭って被害を受け、工事は中断、翌年に再建工事を再開し、竣工しました。これによって、良朝の上品な美しさと桃山様式を併せたデザインの新劇場になり、舞台間口(大尽通り)10間5尺(約19.69m)、桟敷のほかはすべて椅子席の4階建てとなります。
 さらに、太平洋戦争下の1945年(昭和20)5月の空襲で焼失し、外郭だけが残りました。1949年(昭和24)に、大谷竹次郎により新たに「株式会社歌舞伎座」が設立され、松竹から建物を譲り受けて復興工事を行ない、翌年に竣工します。
 その後、2008年(平成20)に老朽化による建て替えが正式に発表され、2010年(平成22)に閉場式が行われて建物は解体、2013年(平成25)に、オフィスビルと併設された歌舞伎座の建て替えが完了しました。新しい外観・内装などは、それまでの伝統的な意匠を踏襲し、座席数1,808、舞台間口15間余(約27.573m)、奥行11間余(約20.60m)、高さ3間半(約6.363m)、回り舞台直径10間(約18.18m)、花道10間(約18.18m)となります。

〇歌舞伎座関係略年表

・1889年(明治22)11月21日 ジャーナリストの福地源一郎(福地桜痴)と金融業者の千葉勝五郎の共同経営で、東京市京橋区木挽町に開設される
・1890年(明治23) 福地源一郎は経営に失敗し、自身は座付作者にとどまり、経営は12世守田勘弥に移る
・1896年(明治29)3月 歌舞伎座株式会社として株式組織化、皆川四郎が社長、井上竹次郎が副社長に就任する
・1907年(明治40) 大河内輝剛が社長を務めていた春に、内外を修繕改築する
・1911年(明治44) 開場した帝国劇場に対抗するため劇場の純和風化改修工事を行って再開する
・1913年(大正2) 田村成義が病気のためやむなく手を引き、松竹の大谷竹次郎が経営を握る
・1914年(大正3) 松竹合名社(現在の松竹株式会社)が興行のすべてを担当するようになる
・1921年(大正10)10月30日 漏電により焼失する
・1923年(大正12)9月 再建途上で、建物躯体が完成したところで関東大震災に遭い、積み上げてあった内装用の桧材が全焼、工事は中断する
・1924年(大正13) 再建工事を再開、竣工する
・1925年(大正14)1月 鉄筋コンクリート4階建ての桃山風として新築された大劇場で開場式が行われる
・1931年(昭和6) 歌舞伎座株式会社は明治座、新富座、松竹と合併し、松竹興行株式会社になる
・1945年(昭和20)5月 東京大空襲で全焼、大屋根も焼け落ちる
・1949年(昭和24) 大谷竹次郎により新たに「株式会社歌舞伎座」が設立され、松竹から建物を譲り受けて復興工事を行なう
・1950年(昭和25)12月 復興工事が竣工する
・1951年(昭和26)1月 歌舞伎などの演劇興行を再開する
・1993年(平成5) 松竹会長(当時)永山武臣の方針により「歌舞伎の本拠地」として原則通年で歌舞伎を興行することとなる
・2002年(平成14)2月 「国土の歴史的景観に寄与している」として、登録有形文化財となる
・2005年(平成17) 建て替えの検討に入る
・2008年(平成20)10月 建て替えが正式に発表される
・2009年(平成21)8月26日 松竹と歌舞伎座により、建て替えの具体的な計画が発表される
・2010年(平成22)4月30日 建て替えのため閉場式が行われ、登録有形文化財の登録抹消となる
・2013年(平成25)2月26日 オフィスビルと併設された歌舞伎座の建て替えが完了する
・2013年(平成25)3月27日・28日 2日に渡って開場式が行われる
・2013年(平成25)4月2日 1年間のこけら落とし興行が始まる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1850年(嘉永5)医師・蘭学者高野長英の命日詳細
1874年(明治7)評論家・イギリス文学者・翻訳家・詩人上田敏の誕生日詳細
1890年(明治23)「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」が発布される詳細
1903年(明治36)小説家尾崎紅葉の命日(紅葉忌)詳細
1945年(昭和20)GHQが「教育及ビ教育関係官ノ調査、除外、認可ニ関スル件」を出す詳細
1955年(昭和30)ジュネーヴでの国際貿易会議で、23ヶ国が「関税および貿易に関する一般協定」(GATT) に調印する詳細
1999年(平成11)上信越自動車道の中郷IC~上越JCT間が開通、藤岡JCTから長野県長野市を経て上越JCT間が全通する詳細
2006年(平成18)劇作家木下順二の命日詳細

jiyuutoukettsei01
 今日は、明治時代前期の1884年(明治17)に、自由党[明治時代前期]が大阪での党大会において、解党を決議した日です。
 自由党[明治時代前期](じゆうとう)は、明治時代前期の1881年(明治14)、自由民権運動隆盛の頃に、国会期成同盟の中から板垣退助、中島信行、後藤象二郎、末広重恭、馬場辰猪らが結成した日本で最初の全国的政党です。国会開設運動が全国的に高揚する中、全国に拡大した運動の組織強化のため、国会期成同盟を改組して自由主義を標榜する政党を組織する機運が高まりました。
 一方で、国会論、財政論の対立の中、1881年(明治14)7月に「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こり、10月11日に明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免され、翌日に「国会開設の勅諭」が出されます。これによって、国会開設の目的が達成されたと考え、自由党結成へと向かい、10月18日に、浅草井生村楼で地方出身者と反沼間派の都市出身者によって創立大会を開催しました。
 同月29日には、自由党盟約、自由党規約、人事などを定め、初代総理(党首)は板垣退助、副総理に中島信行、常議員に馬場辰猪・末広重恭・後藤象二郎・竹内綱、幹事に林包明・山際七司・内藤魯一・大石正巳・林正明が就任します。盟約には、自由拡充、権利保全、幸福増進、社会改良、立憲政体の確立などを掲げ、自由民権運動の中核として活動しました。
 中央機関紙『自由新聞』を発行、薩長両藩出身者が支配する藩閥政府と対決、自由民権の伸長、地租軽減、条約改正などを要求して、各地で急速に勢力を伸ばします。しかし、1882年(明治15)6月に、突然の「集会条例」改正による地方部の解体や12月の福島事件、翌年3月の高田事件などの政府の激しい弾圧、不況による資金不足、板垣の外遊をめぐる党内抗争などが起こりました。
 そして、1884年(明治17)9月の加波山事件によって解党論が高まり、10月29日ついに大阪での解党大会に追込まれています。

☆自由党盟約・規則 (全文) 

・結成時の自由党盟約・規則 1881年(明治14)10月決定

自由党盟約

第一章 吾党ハ自由ヲ拡充シ、権利ヲ保全シ、幸福ヲ増進シ、社会ノ改良ヲ 図ルベシ。
第二章 吾党ハ善良ナル立憲政体ヲ確立スルコトニ尽力スベシ。
第三章 吾党ハ日本国ニ於テ吾党ト主義ヲ共ニシ、目的ヲ同クスル者ト一致協力シテ、以テ吾党ノ目的ヲ達スベシ。

自由党規則

第一章 東京ニ中央本部ヲ設ケ地方ニ地方部ヲ置ク。其地方部ハ各自地方ノ名称ニヨリ自由党何部何某ト称スベシ。
第二章 党中ニ於テ総理(一名)副総理(一名)常議員(若干名)幹事(五名)ヲ公選シ、自由党全体ニ係ル事務ヲ管理セシム其任期ハ各一年トス。
第三章 正副総理ハ通常会并ニ臨時会ニ於テ決定セシ事件ヲ実行ス。
第四章 常議員ハ党中ノ利害ニ関スル重要ナル事件ヲ評議ス。
第五章 幹事ハ会計及ビ党員ノ出入、文書ノ往復、所有品ノ監護等ノ諸事ヲ分掌ス。
第六章 常備委員ハ本部ノ議事ニ参シ、及ビ本部ノ事業ヲ翼賛シ、各地方ヲ巡回ス。
第七章 総理并ニ常議員ハ、給料ナシ幹事以下ノ役員ニハ定ムル所ノ手当金ヲ与フ。
第八章 凡ソ役員ハ再三ノ選ニ当ルヲ得。
第九章 地方部ハ中央本部ニ対スル部理一名ヲ置ク。其他ノ役員ハ潭テ地方ノ便宜ニ任ス。
第十章 地方部ニ於テハ毎年六月十二月両度其地方党衆ノ名簿ヲ調査シ、其加除増減ヲ明ニシテ中央本部ニ送達スベシ。
第十一章 吾党ト主義ヲ同クシ、新ニ党衆タラントスル者ハ、其住所若クハ寄留地ナル地方部ニ於テ、其人ノ族籍・姓名・身分ヲ査察シ、然ル後之ヲ容ス可シ。
第十二章 党中ヲ脱セントスル者ハ其理由ヲ詳記シタル書面ヲ以テ本人ノ住所・寄留地ナル地方部ニ届出ツ可シ。
第十三章 毎年十月地方部ヨリ代議員ヲ出シテ、大会議ヲ東京ニ開ク、其議会ニ列ル議員ハ一小圑結ニ付五名以下トス。
第十四章 大会議ニ於テハ、党中一般ニ係リ創起スベキ事件、施行ス可キ事件ヲ議定ス。
     大会議ニ於テハ、本部役員ノ改選ヲ為ス。
     大会議ニ於テハ、総理并ニ幹事ヨリ前年度ニ在テ施行シタル事件及ビ会計ノ決算報告ヲ受ケ、翌年度ノ会計予算ヲ議決ス。
第十五章 緊要ナル事件ノ通常会議ノ期ヲ待チ難キ者アル時ハ、総理ハ臨時ニ各地方部ノ代議人ヲ招集シテ会議ヲ開ク事アル可シ。

 第一期役員
  総 理 板垣退助
  副総理 中島信行
  常議員 後藤象二郎 馬場辰猪 末広重恭 竹内綱
  幹 箏 林包明 山際七司 内藤魯一 大石正己 林正明

  ※縦書きの原文を横書きに、旧字を新字にし、句読点を付してあります。

 国立国会図書館デジタルコレコレクション「自由党盟約」より

・改正後の自由党盟約・規則 1882年(明治15)7月1日、2日の『自由新聞』掲載

自由党盟約

 党名 自由党
 位置 京橘区銀座三丁目拾九番地寧静館
一、吾党ハ自由ヲ拡充シ権利ヲ保全シ幸福ヲ増進シ杜会ノ改良ヲ図ルベシ
一、吾党ハ善良ナル立憲政体ヲ確立スル「ヲ希望スルモノトス

自由党規則

第一条 党中二於テ総理一名常議員七名幹來二名ヲ撰挙シ自由党全体二係ル箏務ヲ管理セシム其任期ハ各一ヶ年トス(但幹事ハ総理ノ特撰ヲ以テ任ズ)
条二条 最寄党員ヨリ常備員ヲ撰挙シ事務所二出サシム
第三条 総理ハ通常会井二臨時会二於テ決定セシ蔀件ヲ実行ス
第四条 常議員ハ党中ノ利害二関スル重要ナル瑛件ヲ評議ス 
第五条 常議員会ニハ総理之ガ会長トナル
第六条 幹事ハ会計及ピ党員ノ出入文書ノ往復所品ノ監護等ノ諾事ヲ分掌ス
第七条 幹事ハ常議員又ハ常備員ヲ兼スル事ヲ得ルモノトス  
第八条 常備委員ハ事務所議事二参シ及ピ事務所ノ事莱ヲ翼賛ス
第九条 几ソ役員ハ再三ノ撰二当ルヲ得
第十条 新二党衆タラソトスル者ハ之ヲ自由党事務所二届出ヅベシ
第十一条 党中ヲ脱セシトスル者其理由ヲ詳記シタル書面ヲ以テ事務所二届出ヅベシ
第十二条 会議ハ毎年四月二於テ之ヲ開ク  
第十三条 大会議二於テハ党中一般二係リ創起スベキ事件施行スベキ事件ヲ議定ス
第十四条 緊要ナル求件アルトキハ総理ハ臨時二党員ヲ招集シテ以テ会議ヲ開ク事アル可シ
第十五条 党員ハ一ヶ年金弐拾五銭ヲ醵シ以テ自由党ヲ維持スルノ費用二供ス
第十六条 党員分担金ハ一ヶ年両度(三月九月)トナシ之ラ纏メテ事務所二回送スベシ
第十七条 事務所二徴集スル金額二残余アルトキハ之ヲ銀行二預ケ置キ以テ明年ノ費用二供スベシ若シ不足ヲ生ズルトキハ一時操替タル上翌年ノ会議二附シ其償却法ヲ議定スベシ
第十八条 党員ノ我主義ノ為メニ災厄二罹ル事アルトキハ其最寄党員ハ遭難始末事務所二具伸シ事務所ハ多少ノ金額ヲ遭難者二送ルベシ
第十九条 党員ハ一ヶ年金五銭ヲ救助金ト為シ之ヲ事務所二逓送スベシ

  総 理 板垣退助
  常議員 馬場辰猪 犬石正巳 末広重恭 林和一 大井憲太郎 北田正董 竹内綱
  幹 箏 林包明 宮部襲

〇自由民権運動関係年表

<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが愛国公党を結成する  
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平・島義勇らが佐賀の乱を起こす
・4月 板垣退助らが立志社を設立する

<1875年(明治8)>
・2月22日 板垣退助らが大阪で自由民権運動の政治団体愛国社を結成する
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる 
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される

<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される
・10月 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が起こる

<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)

<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される
・9月14日 大阪で愛国社再興大会が始まる
・9月20日 「愛国社再興合議書」を採択する

<1879年(明治12)>
・3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする

<1880年(明治13)>
・3月17日 国会期成同盟が発足する   
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
 このころから、自由民権運動が高揚しはじめる

<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる  
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月18日 板垣退助らが自由党を結成する
 このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる

<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・4月6日 板垣退助が遊説先の岐阜県冨茂登村で斬りつけられ負傷する事件(岐阜事件)が起きる
・4月16日 大隈重信らが立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる

<1883年(明治16)>
・3月20日 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する

<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月29日 自由党が解党する
・10月31日 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる

<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる

<1886年(明治19)>
・6月 静岡事件(静岡県)が起こる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1720年(享保5)水戸藩が『大日本史』250巻(享保本)を幕府へ献上する(新暦11月28日)詳細
1779年(安永8)第118代の天皇とされる後桃園天皇の命日(新暦12月6日)詳細
1815年(文化12)江戸幕府大老・彦根藩第15代藩主井伊直弼の誕生日(新暦11月29日)詳細
1890年(明治23)東京浅草に12階建ての凌雲閣が竣工する詳細
1935年(昭和10)映画監督・アニメーション演出家・プロデューサー・翻訳家高畑勲の誕生日詳細
1961年(昭和36)小説家・劇作家・評論家長与善郎の命日詳細
1976年(昭和51)酒田大火で、1,774棟が焼失する詳細
1981年(昭和56)都城IC~宮崎IC開通により、宮崎自動車道が全線開通する詳細

1e69e63f.jpg
 今日は、室町時代の1392年(元中9/明徳3)に、 前日の南北朝動乱の終結(明徳の和約)が成ったことにより、南朝の後亀山天皇が吉野から京都へ出発した日ですが、新暦では11月13日となります
 南北朝動乱(なくぼくちょうどうらん)は、一般には、南北朝時代とも呼ばれてきました。1333年(元弘3/正慶2)の鎌倉幕府の滅亡後、建武の新政を経て、1336年(延元元/建武3)に足利尊氏による光明天皇の践祚、後醍醐天皇の吉野転居により朝廷が分裂してから、南北朝動乱が始まります。
 この時代には、南朝(吉野)と北朝(京都)に2つの朝廷が存在し、近畿地方を中心に全国で南朝方と北朝方による騒乱が続きました。しかし、次第に南朝勢力が衰微し、1392年(元中9/明徳3)に室町幕府第3代将軍足利義満によって、南北朝合一(明徳の和約)に至り、動乱は収まります。
 この過程で、地方の守護は指揮権、所得給与、課税権などの権限を拡大していき、守護大名へと発展していく過程をたどりました。また、農村では、百姓の自治的・地縁的結合による共同組織である惣村が形成されるようになり、土一揆などの民衆の抵抗がおこる基盤となっていきます。
 尚、現在の皇室は南朝を正統としていて、元号も南朝のものが使われてきました。
 
〇南北朝動乱関係略年表 

<正慶2/元弘3年(1333年)> 
・5月22日 鎌倉を落とし、得宗北条高時以下を自殺させて、鎌倉幕府が滅亡する 

<正慶2/元弘3年(1334年)> 
・1月 後醍醐天皇により建武の新政が行われる 

<建武2年(1335年)> 
・7月 関東で北条時行の反乱(中先代の乱)を平定する 
・10月 足利尊氏が後醍醐天皇に叛いて挙兵する 
・12月11日 箱根・竹ノ下の戦い(○足利軍×●新田軍)が起き、南北朝動乱が始まる 

<延元元/建武3年(1336年)> 
・5月25日 湊川の戦い(○足利軍×●新田・楠木軍)で、楠木正成が戦死する 
・5月29日 尊氏方に京都が占領される 
・8月15日 光明天皇が擁立される 
・10月13日 恒良・尊良両親王を奉じて越前金ケ崎城に立て籠る 
・11月7日 足利尊氏により「建武式目」が制定される 
・12月 後醍醐天皇が吉野へ逃れる 

<延元2/建武4年(1337年)> 
・3月 足利尊氏が高師泰に越前金ヶ崎城を攻略させる 

<延元3/暦応元年(1338年) 
・3月6日 越前金ヶ崎城が陥落する 
・5月 足利尊氏が北畠顕家を堺の石津浜に敗死さる 
・閏7月2日 足利尊氏が新田義貞を越前藤島の戦いにおいて戦死させる 
・8月11日 足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられ、京都に室町幕府を開く 

<延元4/暦応2年(1339年)> 
・8月16日 後醍醐天皇が吉野で亡くなり、後村上天皇が即位する 

<延元6/興国2年(1341年)> 
・12月 足利尊氏が天竜寺船を元に送ることを免許する 

<正平2/貞和3年(1347年)>
・11月 楠木正成の子正行、後村山天皇方の武将として、尊氏方をせめる 

<正平3/貞和4年(1348年)> 
・1月5日 四条畷の戦い(○高軍×●楠木軍) 
・6月 直義、尊氏の執事高師直と不和になる 

<正平4/貞和5年(1349年)> 
・9月 足利尊氏が関東管領をおき、足利基氏をこれに任じる 

<正平5/観応元年(1350年)> 
・10月 足利直義・直冬が足利尊氏に叛旗を翻す(観応の擾乱(~1352年)) 

<正平6/観応2年(1351年)> 
・8月 足利尊氏が直義派に対抗するために、子の義詮と共に南朝に降伏する(正平一統) 

<正平7/観応3年(1352年)> 
・2月 南朝軍は約束を破って京都に侵入する 
・2月26日 足利尊氏が鎌倉へ入り、直義を殺害する 
・7月 「観応半済令」が出される 

<正平8/観応4年(1353年)> 
・6月 足利直冬や山名時氏らの攻勢により、足利尊氏らが一時的に京都を奪われる 

<正平10/観応6年(1355年)> 
・1月 再び、足利尊氏らが一時的に京都を奪われる 

<正平11/延文元年(1356年)> 
・8月23日 足利義詮が従三位に昇叙する 

<正平13/延文3年(1358年)> 
・4月30日 足利尊氏が亡くなる 
・12月18日 足利義詮が征夷大将軍に宣下され、室町幕府第2代将軍となる 

<正平16/延文6年(1361年)> 
・細川清氏・畠山国清と対立した仁木義長が南朝へ降り、さらに執事(管領)の清氏までもが佐々木道誉の讒言のために離反して南朝へ降る 
・南朝軍が入京する 

<正平17/康安2年(1362年)> 
・幕府・北朝側が京都を奪還する 
・7月 清氏の失脚以来空席となっていた管領職に斯波義将が任命される 

<正平18/貞治2年(1363年)> 
・1月28日 足利義詮が権大納言に転任する 
・大内弘世、山名時氏を帰服させて中国地方を統一、政権が安定化しはじめる 
・7月29日 足利義詮が従二位に昇叙、権大納言如元 

<正平20/貞治4年(1365年)> 
・2月 足利義詮が三条坊門万里小路の新邸に移る 

<正平21/貞治5年(1366年)> 
・8月 斯波氏が一時失脚すると細川頼之を管領に任命する(貞治の変) 

<正平22/貞治6年(1367年)> 
・1月5日 足利義詮が正二位に昇叙する 
・11月 足利義詮は死に臨み、側室紀良子との間に生まれた10歳の嫡男・義満に家督を譲り、細川頼之を管領に任じて後を託す 
・12月7日 足利義詮が京都において、数え年38歳で亡くなる 

<正平23/応安元年(1368年)> 
・3月11日 南朝の後村上天皇が亡くなる 
・6月17日 「応安半済令」が出される 
・12月30日 足利義満が室町幕府第3代将軍に就任する 

<建徳2/応安4年(1371年)> 
・足利義満が今川了俊に九州統一を命じる 

<建徳3/応安5年(1372年)> 
・11月22日 足利義満が判始の式を行なう 

<天授4/永和4年(1378年)> 
・3月 足利義満が室町に新邸(花の御所)を造営して移住する 

<天授5/康暦元年(1379年)> 
・閏4月14日 細川頼之に帰国が命じられ(康暦の政変)、斯波義将が管領となる 

<弘和2/永徳2年(1382年)> 
・1月26日 足利義満が左大臣となる 
  足利義満が開基として相国寺の建立を開始する 

<弘和3/永徳3年(1383年)> 
・1月14日 足利義満が准三后宣下を受ける 

<元中3/至徳3年(1386年)> 
・7月10日 足利義満が五山制度の大改革を断行、南禅寺を「五山の上」とする 

<元中5/嘉慶2年(1388年)> 
・足利義満が東国の景勝遊覧に出かける 

<元中7/明徳元年(1390年)> 
・閏3月 美濃の乱で土岐康行が鎮圧される 

<元中8/明徳2年(1391年)> 
・12月 明徳の乱で山名氏清が鎮圧される 

<元中9/明徳3年(1392年)> 
・10月27日 足利義満が南北朝の合一(明徳の和約)を実現する 
・閏10月5日 南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を譲り、北朝の元号「明徳」に統一される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1399年(応永6)大内義弘が将軍足利義滿に反して堺で挙兵し、応永の乱が始まる(新暦11月26日)詳細
1860年(万延元)教育者・柔道家・講道館柔道の創始者嘉納治五郎の誕生日(新暦12月10日)詳細
1861年(文久元)江戸幕府が種痘所を西洋医学所と改称、教育・解剖・種痘の3科に分かれ西洋医学を講習する所となる詳細
1876年(明治9)萩の乱がおきる詳細
1882年(明治15)田鎖式速記の考案者・田鎖綱紀が東京で日本初の速記講習会を開催する(速記記念日)詳細
1891年(明治24)濃尾地震が起き、死者7,273人を出す詳細
1956年(昭和31)大阪府大阪市浪速区に現在の通天閣(二代目)が完成する詳細
1962年(昭和37)小説家・劇作家・評論家正宗白鳥の命日詳細

kuukai01
 今日は、平安時代前期の921年(延喜21)に、醍醐天皇から、真言宗の開祖空海に、弘法大師の諡号が贈られた日ですが、新暦では11月29日となります。
 空海(くうかい)は、奈良時代の774年(宝亀5)に讃岐国多度郡屏風浦(現在の香川県善通寺市)で、郡司の父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母・阿刀大足の娘の子として生まれましたが、名は眞魚(まお)といいました。788年(延暦7)に平城京に上り、789年(延暦8)に15歳で母方の叔父の阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学びます。
 792年(延暦11)に18歳で京の大学寮に入り、明経道を専攻し、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学びましたが、翌年には大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から山林での修行に入ったとされてきました。阿波の大滝岳、土佐の室戸岬、伊予の石鎚山、大和の金峰山などの聖地を巡って修行に励み、798年(延暦18)に24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある『聾瞽指帰』を著して俗世の教えが真実でないことを示します。
 803年(延暦22)に医薬の知識を生かして推薦され、遣唐使の医薬を学ぶ薬生として出発するが悪天候で断念したものの、翌年の第18次遣唐使一行として、最澄や霊仙、橘逸勢らと共に、長期留学僧の学問僧として唐に渡り、同年12月には、唐の長安へ入りました。805年(延暦24)に長安醴泉寺の般若三蔵らに就いてサンスクリット(梵語)やインドの学問を学習、青龍寺の恵果から密教の伝授を受け始めて、真言密教の第八祖を継ぎ、恵果が60歳で没したとき、門下から選ばれて追悼の碑文を書きます。
 翌年に膨大な密教の典籍、仏像、法典、曼荼羅等の文物を持ち、無事に博多津に帰着し、『請来目録』を朝廷に差し出しました。809年(大同4)に京都高雄山寺(神護寺)を本拠に布教を開始し、翌年に国家を鎮める修法を行ない、812年(弘仁3)には、比叡山の最澄や弟子に灌頂を授けます。
 816年(弘仁7)に43歳の時、高野山を国家のために、また修行者の道場とするために開きたいと嵯峨天皇に上奏して勅許を得て、819年(弘仁10)から高野山の伽藍建立に着手しました。821年(弘仁12)に四国讃岐の満濃池を修築し、農民のために尽力するなど社会事業にもいろいろと取り組んだとされます。
 823年(弘仁14)に京都の東寺(教王護国寺)を給預され、真言密教の根本道場に定め、後進の育成に努め、翌年に大僧都に任ぜられ、828年(天長5)には東寺の東隣に日本最初の庶民教育の学校として綜芸種智院を開設しました。835年(承和2)に宮中真言院で後七日御修法を行ないましたが、同年3月21日に高野山において、数え年62歳で亡くなっています。
 また、漢詩集として『性霊集』,漢詩文のつくり方などを論じた『文鏡秘府論』を著し、書においては、嵯峨天皇、橘逸勢と共に三筆の一人に数えられるようになりました。尚、921年(延喜21年10月27日)には醍醐天皇から弘法大師の諡号が贈られています。

〇空海(弘法大師)の主要な著作

・『三教指帰(さんごうしいき)』(797年)
・『文筆眼心抄』(820年)
・『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』(830年)
・『秘蔵宝鑰(ほうやく)』
・『弁顕密(べんけんみつ)二教論』
・『即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)』
・漢詩集『性霊集』
・『文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)』
・『篆隷(てんれい)万象名義』
・『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』
・『吽字義(うんじぎ)』
・『般若心経秘鍵(ひけん)』
・書簡『風信帖』

☆空海(弘法大師)関係略年表(日付は旧暦です)

・774年(宝亀5年) 讃岐国多度郡屏風浦で、郡司の父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母・阿刀大足の娘の子として生まれる
・788年(延暦7年) 平城京に上る
・789年(延暦8年) 15歳で母方の叔父の阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学ぶ
・792年(延暦11年) 18歳で京の大学寮に入り、明経道を専攻し、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学ぶ
・793年(延暦12年) 大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から山林での修行に入ったとされる
・798年(延暦18年) 24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある『聾瞽指帰』を著して俗世の教えが真実でないことを示す
・803年(延暦22年) 医薬の知識を生かして推薦され、遣唐使の医薬を学ぶ薬生として出発するが悪天候で断念する
・804年(延暦23年) 第18次遣唐使一行として、最澄や霊仙、橘逸勢らと共に、長期留学僧の学問僧として唐に渡る
・804年(延暦23年12月) 唐の長安へ入る 
・805年(延暦24年) 長安醴泉寺(れいせんじ)の般若三蔵らに就いてサンスクリット(梵語)やインドの学問を学習する
・805年(延暦24年6月) 青龍寺の恵果(けいか)から密教の伝授を受け始めて、真言密教の第八祖を継ぐ
・805年(延暦24年12月15日) 恵果が60歳で没したとき、門下から選ばれて追悼の碑文を書く
・806年(大同元年10月) 膨大な密教の典籍、仏像、法典、曼荼羅等の文物を持ち、無事に博多津に帰着する
・806年(大同元年12月) 『請来(しょうらい)目録』を朝廷に差し出す
・809年(大同4年) 京都高雄山寺(神護寺)を本拠に布教を開始する
・810年(大同5年) 国家を鎮める修法を行なう
・812年(弘仁3年) 比叡山の最澄や弟子に灌頂を授ける
・816年(弘仁7年7月8日) 43歳のとき、高野山を国家のために、また修行者の道場とするために開きたいと嵯峨(さが)天皇に上奏して勅許を得る
・819年(弘仁10年5月) 高野山の伽藍建立に着手する
・820年(弘仁11年) 『文筆眼心抄』が成立する
・821年(弘仁12年9月) 四国讃岐の満濃池を修築し、農民のために尽力する
・823年(弘仁14年1月) 京都の東寺(教王護国寺)を給預され、京都における真言密教の根本道場に定め、後進の育成に努める
・824年(天長元年) 大僧都に任ぜられる
・828年(天長5年12月) 東寺の東隣に日本最初の庶民教育の学校として綜芸種智院を開設する
・830年(天長7年) 『十住心論』が成立する
・835年(承和2年1月) 宮中真言院で後七日御修法を行なう
・835年(承和2年3月21日) 高野山において、数え年62歳で亡くなる
・921年(延喜21年10月27日) 醍醐天皇から弘法大師の諡号が贈られる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

記念日「文字・活字文化振興法」により制定された「文字・活字文化の日」です詳細
1876年(明治9)秋月の乱がおこる詳細
1903年(明治36)幸徳秋水と堺利彦が平民社を設立する詳細
1914年(大正3)詩人・俳人木下夕爾の誕生日詳細
1928年(昭和3)早稲田大学が坪内逍遥を記念して「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」を開館させる詳細
1933年(昭和8)小説家半村良の誕生日詳細
1975年(昭和50)実業家・国文学者・俳人角川源義の命日詳細
1977年(昭和52)日本画家前田青邨の命日詳細



以上の内容はhttps://gauss0.livedoor.blog/archives/2025-10.htmlより取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14