水上 勉『雁の寺』読了

【内容】
主人公の捨吉は、毎年秋になると村に餅もらいにくる半盲目の乞食女性・お菊が産み落とした子だった。それを寺大工が引き取り育てるが、藩主から奨学金をもらうような優秀な子のため10歳で京都 衣笠山麓の禅寺・孤峯庵に修行に出される。
物語は、慈念となった捨吉が13歳の時、58歳の和尚・慈海が内妻を囲うことから始まる。
内妻になる桐原里子は、京都画壇に名を馳せた岸本南獄が病で亡くなる際、慈海が託された女。里子は13歳の時に五条坂の料理屋に奉公し、その後、木屋町の小料理屋につとめていたのを南獄がひっこぬいて晩年いりびたりになった相手。小柄で、ぽちゃっとしており、胴のくびれた男好きのするタイプ。
里子が慈海に託されたのは、南獄は慈海の寺の襖絵に雁の絵を描いてやるほどの間柄だったから。
里子を迎えた慈海は、寺の雑務や行事一切を慈念に押し付け、庫裏で里子と愛欲にまみれた生活を送る。
主人公の慈念は体は小さく、額と後頭部がとび出て「軍艦あたま」と呼ばれる畸型に近い身体から学校ではいじめられ、寺に戻っても過酷な修行を強いられる状況で育つ。
だが彼は黙々と淡々と生きている。
里子は慈念の生い立ちに自分を重ね、同情を覚える。
そんな中、和尚の慈海が忽然と姿を消す。
この小説は純文学的サスペンス。
和尚が何故姿を消したか、、、
結末は恐ろしいのだが、なによりゾッとさせるのは慈念の感情が一切書かれていないことだった。
慈念がいったい何を思って生きたか。怒りなのか、哀しみなのか、嫉妬なのか、その全てが織り交ざったものなのだろうが、作者はそれを示さずに筆をおいている。
読者は、慈念の内に潜む感情を想像することで、禅寺の院隠滅滅な世界観に浸る。
私が水上勉 二冊目に何故この本を選んだかというと、
本作が氏の代表作 ( 第45回直木賞 受賞作 ) であり、氏の幼少時代に大きく関わりがあると知ったからだ。
水上さんは、9歳の頃 故郷をはなれ、京都の禅寺の徒弟を経験している。
得度して水上集英となったものの修行生活の厳しさに13歳で出奔。その後 連れ戻されるが中学を卒業すると還俗。様々な職を転々とした後 作家になったのは29歳の時だった。
デビューしたものの不遇な時代が続き、1959年40歳の時『霧と影』で再起・躍進。
だが社会派推理小説に空虚感を覚え、純文学的な推理小説を書くようになる。
そのキッカケになったのが『雁の寺』であり、自身がよく知る禅寺の人間たちを題材にしつつ推理小説の体裁を取り入れた本作で、氏は直木賞を受賞する。
水上氏は「私の人生観」の中にこんなことを書いていらっしゃる。
私は福井県若狭本郷駅から1時間半ほど歩いた地獄谷と呼ばれる村で生まれた。
父は寺大工で京都や越前に寺やお宮の普請に出かけて、めったに家には帰らなかった。
だから、少年時代の私には5人の兄弟が母親と貧しい生活をしていたという記憶しかない。
当時は若狭のたんぼは湿田が多く、母は胸のあたりまで泥につかって働いていた。
私が9つのとき突然戻ってきた父が、京都の相国寺という寺の小坊主に私を出そうときめていた。貧しさゆえで、私を迎えにきたのは、ウチワのような顔をしたお坊さんだった。
私が汽車に乗るとき、母は何ともいえぬ顔をしてペコッとおじぎをした。それは、「勉、かんにんのう」という卑屈なおじぎだった。これが47歳の今日も、私の胸に残っている母の姿です。
~中略~
12歳のとき、相国寺派の社務職として得度式もしてもらったのに、私はこの寺を逃げだした。原因は寺のイチジクをだまってたべたことです。折檻され、3日間泣きに泣いて、夜中にぬけ出した。この寺のふすまに雁の絵が描いてあった。子が口をあけて空からエサを持ってきた親雁を待ち受けている。幼い私もまた心の、ちちがほしかったのです。
『雁の寺』は、初版の一巻目で完結だったものを、『雁の村』『雁の森』『雁の死』と続編が書かれている。

水上氏はここでも『眼』同様、大幅な加筆・修正を行っている。
帯にある改訂の言葉にはこう記されている。
新訂のことば 水上 勉
本作品の初版は、昭和36年(1961年)9月に、文藝春秋社から刊行されたもので、その後、同社が文庫に入れる際に、大はばな手入れを行なって、旧版は絶版したものだが、文庫が出来あがってみると、さらに訂正すべき箇所が出てきたので、あらためて、また改訂をなして、刊行するものである。
すなわち、本版が決定版になる。
十数年も前の作品を、しかも、筋書きのわかっている物語を、大はばに改訂するのさえはばかられるのに、再どの手入れは、読者に対しても申しない行為だと思う。
しかし、作者は、どうしても、これだけの手入れをしなければ刊行する気になれなかった。ご寛恕を乞う次第である。
人によっては、旧作は一切手入れせず、初版のままで愛着する場合もあろうが、「雁の寺」は私には、かけがえのない作品でもあり、また、私の人生にとっても、もっとも思い出をともなう少年時代の実在の人々をモデルとして扱っている。
筋書きかかわりはないが、ことばづかいの杜撰な点が気に入らなかったために、慎重をかさねて加筆訂正を試み、そのしあがりを、少しでも悔いないようにしたかっただけのことである。
このようなわがままを聞き入れて下さった文藝春秋社に対し、厚くお礼を申しのべる。また初版の時は、わざわざ装釘の労をとっていただいた佐佐木茂索氏の、なつかしい題字kら、今回は別れねばならなかったことも淋しい思いだが、致し方のないことになった。かさねて氏の霊に礼を申しあげる次第である。
機会があれは、こちらも読んでみたいと思う。
2026年03月10日 昼ごはん
味噌煮込みうどん

2026年03月10日 夜ごはん
今日は雑。しかも鶏被り (;^_^A

夜ごはん ぎりぎりまでパソコンで遊んでいたので、
「参鶏湯でいいじゃないか」という主の言葉に甘えた。

にんにくが煮えたら、出来上がり

味も完成されているのだもの、そのままいただきます。

もう一品は、ふりそで

鶏に鶏とは、いくらなんでも・・・・