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家庭の祭祀 雑感①

 

家には、男の祈りと女の祈り・二本の柱がある。

 

お仏壇のお開眼前後から、そのようなことを考えるようになり、一年が経ちました。

 

先日、それまでの過程も含めて、経験したことをまとめたいと思い「妹の力  柳田國男  角川ソフィア文庫」「女の霊力と家の神  宮田登  人文書院」を読んでいました。

 

家という括りの中には、血縁者と、外からくる嫁・もしくは養子という形で関わる血縁外の人間が存在しています。

 

家に外から入る人間が、生まれてくる自身の子供について祈る時…家の柱に命を繋げる・接続するということを考えると、元々家にいた人間とは、祈りの形も、その中に含まれるものも違ってくるのかもしれないな

というのは、漠然と自身の経験から考えたことなのですけれど(男女というより、家に対する役割や立ち位置の違いから)

 

「女の霊力と家の神」家の神と祭り〜家のフォークロアの項に、民俗学から見た男女の祈りの違いが記載されており、興味深く読み進めました。

 

奇しくも、私自身は0から家の神棚・仏壇を立ち上げる経験をさせてもらったわけですが

生活の中に、民俗学で取り上げられるような祈りの影響が自然と染み込んでいるというのは、不思議なものだなと思いました。

 

なるべくして、なる。

 

家の祈りは、型が最初にあるからそうなったのではなく、時間をかけて行う中で「いつの間にか現れてきた」ものなのかもしれません。

 

何故女性に占い好きが多いのか…についても、家の「公・表」ではなく「私・裏」にあたるところを女性が担っていた旨の内容を読むことで、成程と思えたところがありました。

 

 

フォークロア民俗学とは、 文字になっていない庶民の日常生活・信仰・芸能や行事・民話などを調査・整理・分類することで、人々の生活文化を明らかにする学問のこととされています。

 

正しい知識・正確な祈り方を知ることが目的ではなく、淡々とした調査から情報整理を行い、あるがままを残していく。

 

それは、格式から外れた人々の生をこの世界に残す行為であると同時に、今を生きる私たちの命の根幹にある、生まれ・老い・この世を去っていった魂に、霊的な形ではなく触れる方法の一つなのかもしれないと、個人的に考えています。

 

 

多分続く

 

 

 




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