この記事は、前回に続き、金狐舎が「目に見えないもの」と向き合う中で大切にしている距離感や考え方を、個人的な視点から整理した記録です。
今のご自身の状態に合わないと感じた場合は、無理に読み進めず、そっと閉じてくださって大丈夫です。
こちらからの続き ▶︎ https://futagoya3.hatenablog.com/entry/2026/01/07/140540
これまで何度か、そのような状況にある人と話をすることがありました。
問題に気付いても、抜け出せない人に共通する口癖は『分からない』です。
自分のことが分からないのではなく、目を閉じている。本当は察知していることもあるのに『分からないことにする』傾向がある。
他人の悪意も、分からないことにしている。本当の善意も、分からないことにしている。
そして感覚が曖昧になるうちに、曖昧な関係を平気で結ぶようになる。人間関係・仕事・経済・情報etc。
場合によっては、どこの何とも分からない、神なのかすら分からないものと結びつくこともある。そこには明確な約束が無く、保証もない。
金狐舎が日本の伝統的なご眷属以外を作らないと決めたのも、この理由からです。
感覚を澄ましていくことと、感覚を曖昧にして手放すことは違います。
…ほな、私の感覚はナンボのもんなのさという話ですが…おりがらみから、ささにごりぐらいにはなったんだろか………目指せ清酒(でもにごり酒は好き)
ただ、初めは本当に分からないことがあったとしても、気付いたところから少しずつ自己理解をしていけば良いと思うのです。
また、霧がかって抜け出せないようなときには、5w1hを整理して判断・行動していくことがお薦めです。
手で触れて、目で見て、五感と数字で確かめられるものを集めて、一つ一つ観察する。対応する。
個人的に、目に見えないところに本当にあるものは、目に見えるところにも存在すると考えています。
自分が触れているものを確かに感じる習慣が、身を守ることもあるでしょう。
目に見えない世界があるとするなら尚更に、それを特別なものにしなくても、素朴な感覚として共にあれば良い。
小さくても「ある」と感じられる、確かな繋がりや不可思議を積み重ねて、体の感覚を養っていく
これも一つの、先祖供養なのかなと思います。