この記事は、金狐舎が「目に見えないもの」と向き合う中で大切にしている距離感や考え方を、個人的な視点から整理した記録です。
今のご自身の状態に合わないと感じた場合は、無理に読み進めず、そっと閉じてくださって大丈夫です。
オカルトや心霊に惹かれたがゆえに、現実的なトラブルから抜け出すための時間を過ごす必要のある人たちがいます。
不可思議を楽しむ心というのは、本来とても素朴なもの。
桜が咲いたら綺麗だと思う・夏のスイカで体が潤うのように、風物詩的に付き合うならば何も問題がないものです。
ただ、神秘に憧れるというのは盲目と同じだと個人的には考えています。
「なぜトラブルに巻き込まれたのか」を省みず、同じことを繰り返すのは、霊のせいでも家族のせいでもなんでもありません。その人自身に原因があるものです。
霊を利用して・時には神様でさえも利用して、自分を証明しようとするのは何故なのか?
そこにあるのは、人間的な問題です。
原因に取り組むことを避け、被害者であるように振る舞い続けるならば、先にあるのは「本当にわけのわからない人」たちとの癒着です。
それは、見える見えざるに関わらず起こることなのだなと感じています。
明確な悪というのは、ある意味分かりやすく、離れやすい。けれど、善意か悪意か分からない、本人たちさえも分かっていないようなものには、とても蝕まれやすい。
蓄積性の毒のようなもので、とても厄介。
それが、愛情を信じたかった近しい人の場合は、なおさらでしょう。普通の人間関係でも、距離が近くなれば起こりうること。
同じものを受け取っても、平気な人がいる場合は尚更です。ここで大切なのは、自分はどうなのか?ということであり、比較ではありません。
薬や食べ物のアレルギーに似ており「まずは、自覚すること」から「距離の取り方を身につけること」が大切なのだと思います。
距離をとって初めて「実は自分の周囲の人たちも、おかしいと思っていたのだな」と分かることもある。
安全圏に入った一つのサインですが、そこから再び同じ状況になるならば、次は取り組みを変えることが必要です。
そういう場合、他者との関係性に悩むのではなく「今度は自分との信頼関係を結んでいく時期に入った」ということだと考えています。
きちんとした医療の力を借りることや、肉体的な不調の治療に取り組むことも必要です。
その過程で、自身と向き合う機会をもらえることも多々あるのではないでしょうか。
つづく