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宗教観と精神構造の雑感

ふとしたきっかけで、ステンドグラスの歴史を調べる中、一枚の写真に目が留まる。

 

真っ暗な教会の中で、天使たちのステンドグラスから一斉に光が差し込む。その様子は、恐ろしいものでした。

 

白い部屋から見るステンドグラスは、なんて事のないただの優しい光に感じる。しかし、暗闇の中に差し込むステンドグラスの光は、こんなにも恐ろしいのだなと。

 

エクソシスト系の映画のラストでは、悪魔に取り憑かれた人間に十字架を当て「神を見よ!」と叫ぶと悪魔が去る…というのがセオリーだけれど

なるほど。人間の精神構造の中で、このようなことが起こっているのか。悪魔は、この光に照らされたのだなーと納得しました。

 

で、エミリー・ローズを見たよの巻。

久しぶりの映画で楽しかった。

 

 

・・・ここまでがInstagramからの転載。

 

 

映画の中での悪魔は、人間に取り憑き、神父にすら取り憑こうとする。興味深いのは、神がその場に介在するには、人間を通さなければならないということ。

 

神も悪魔も、人間を通して顕現する…という構図が描かれている。

 

日本の世界観…というか宗教観では、妖怪・鬼とばれるものも愛されやすい。怨霊と呼ばれる方すらお祀りして「よしなに」と接する風潮もある。

 

一方キリスト教の宗教観(エクソシスト系の映画中の)では、善と悪が明確に分かれているように思います。

 

神の御教えに触れ、人に善を施すのは良いことだが、同時に悪魔は悪魔として明確に捉え、追い払う…という絶対のルールがある様子。

 

消すことはできないが、追い払うことができる…というのも興味深い。

 

宗教的な土壌が、人間の精神構造を作り、その中で、象徴や色彩が働いているのだなと感じる午後。

 

霊的なエクソシズムや、憑き物落としの実際は分からないけれど

人間の精神の中には、何らかのストーリーと共に悪魔や神という象徴が存在しているらしい。

 

それらとどのように関わっていくのか?あるいは関わらないか?と問うてみることは、大切なことなのかもしれません。

 

 

 

余談ですが、伏見稲荷の豊川大神様にはステンドグラスがありました。お茶屋さんには猫ちゃんたちの写真やイラストが売っていて、可愛かった。保護猫活動に、利用されると書かれてありました。

 

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