
八栗寺さんのお聖天様と中将坊様のご縁日。
映ってはいませんが、どのお堂の前にもお供物が沢山。手を合わせる方も沢山。ときどき法螺貝の音がする。




山は異界。異界は余白。
頭や心に詰め込まれた印象から解放されて、救われる場所。ある意味、普段の自分自身を疑えるようになる場所でもある。
そこに寺院があって、仏様と出会うというのは、擬似体験的な要素があるのかもしれないなとふと思いました。
そして再び心を取り戻して、日常に戻っていくのだなと。
異界は救い。自己対話を促す、隠れ家的・もしくは病院的な要素(比喩)を含んでいるのかもしれません。