
数年前、餓鬼について考える時期がありました。
餓鬼とは、餓鬼道に生まれた存在のことを言うらしい。常に飢え、心は嫉妬に満ちて、食べ物をいくら口にしても燃えてしまう。糞尿だけ口に出来る餓鬼も居れば、近しい者が手向けたお香の煙だけ食べられる餓鬼もいるとのこと。
貪欲…といえばそれまでだけれど、自身のことを振り返ると、飢えているという感覚はあっても、何に飢えているかが分かっていないのに、満たされるも何も無かったなと思のです。
食べるに今すぐ困るわけではないからといって、満たされているとは限らない。
ご飯があれば・お金があれば・恋人がいれば・理解してくれる両親がいれば・勝負に勝てば満たされるのか。
実はそうではないらしい…というのが、人間の心の世界のようなのです。
不思議ですね。
無意識ながらに「決まった形の欲しい幸せ」があるらしく、それは「こうなりたい・これが欲しい」と意識しているものと、一致しているとは限らない。
いつまでも埋まらない小さなカケからはスースーと風が吹き入り、大事なものが漏れ出て虚しくなるのだけれど、それを埋めるものが「何なのか」が明確に分からないから、永遠に苦しい…という場合がある。
個人的にも経験がございます。
当時、一体誰が「お遍路に出て戸籍を集め、狐を描けば満たされる」と教えられたでしょう。笑
ですので、餓鬼の性質を知ったときは、妙にその苦しみがリアルに感じられたものでした。
それから数年
金狐舎にとって、餓鬼はある意味では「本当に欲しいものは何なのか」について真剣に考えさせてくれる存在となった。その背後には仏様がいるのではないか…と今では思っています。

▲ 餓鬼について考えていたときに描いたもの。餓鬼が飢えさせているのか。それとも飢えた人間が餓鬼を呼ぶのか。
今でこそ、塑像たちを作りながら楽しく暮らしておりますが、それまでは暗い道だなと思うこともありましたし、餓鬼も妖怪も仏様も、心の隙間に現れたものは全て描きました。
ただ、その時その時に、心に現れるものが教えてくれることに気持ちを傾けてみると、不可思議は起こるもので(心霊の話じゃない・心の変化の話)
餓鬼には餓鬼…の形をした仏様が教えてくれることがあったのだろうなと。
そんなことを考えると、過程で出会った瑞獣たちのことも出してみたくなり、原画を掲載した…という流れもあるのです。
あのとき気になった餓鬼は果たして、本当に餓鬼だったのか
仏様の世界から見ての餓鬼が何なのか…を語ることはできませんが、少なくとも金狐舎にとっては大事なパーツだったよね…と
懐かしく絵を眺めていた一日でした。

オンラインストアに載せようか迷ったが、この子は保留で。笑
明るい縁起物かと問われたら違いますが、ここにも「縁起」はある。気になる方がいらっしゃいましたら、オンラインストアよりお問い合わせください。