
目に見えない世界に想いを馳せられることって、とても大切だと感じています。
今ここにないものを想像して、曖昧なままでも可能性を許す…ということですね。
それは、お化けやご神仏は存在するかどうか?と議論することとは、全くベクトルが違うことだと考えています。
個人的には、幽霊もご神仏も信じてはいますが、金狐舎の仕事としてやっているのは、これからお話をすることです。
以前、当方の縁起物について人と話をする中で「金狐舎さんの縁起物には、受け取る人の心の中にスペースを作る役割を担ってほしい。(ある海外の話で)サンタや妖精を信じられた子供時代を過ごした人ほど、大人になっても心の中に安全なスペースを持てているという話があるらしい。その可能性を、金狐舎さんの縁起物に感じている。」と、ご助言をいただいたことがありました。
子供の育成に携わる立場の方からの言葉でした。
それは、金狐舎の前身である「白空庵」という屋号の時に考えていたことそのもので、人が成長するための余白を制作する…ということと同じなのでは?と感じています。(こちらは大人に向けてですが)
未知の世界・目には見えない世界の存在を許すことは、分からないこと・答えが出ないことが、自分の内側に存在するのを許す…ということにも繋がっているのかもしれません。
存在がはっきりして、数字で捉えられるものしか信用できない・科学で存在を証明出来ないものに想いを馳せることは、非現実だし非建設的である…という考え方を持つ人はいる。
一方で、ファンタジーやホラーなど、非現実的な世界への接触欲を満たすための映画・ゲーム・漫画や小説は定期的にブームとなり、どれだけ科学が発展しても消えることはない。
心の世界に余白を生み出す文化は、これからも続いていくし、目には見えない世界への憧れが消滅することはないのだとしたら?
そこに対する健全な姿勢を整えていくことが、金狐舎が縁起物をとおしてやっていきたいことの一つなのかもしれないな…と考えています。
物作りとして、まず自分の心の中で、目には見えない曖昧な世界の存在を許す。その余波が、いい形で伝わればいいなと思います。
それはそれとして、山ってやっぱり楽しいですよね(山寺帰り)