
金毘羅様は、山にも海にもご縁があるお方。
海上の交通安全という面で見れば、海の信仰。
昔々、月明かりを頼りに海を渡るような時代には、山の形や星の位置、灯籠などを頼りに船を動かしていたといいます。
海を渡るには、波を読む技術がいる。船で物を運ぶには、造船の力も必要。塩飽水軍が、金毘羅信仰の拡大に貢献した歴史がある。
摩羯魚や鰐は、海や河川に結びつく象徴であり、こういった視点で見れば、金毘羅様は海の神で水の神。船霊の神でもある。
一方で
金毘羅様の掛軸には、御眷属として天狗が描かれていることが多い。天狗は山の信仰に結びつく存在・修行者の姿とも言われます。金毘羅信仰の中興の祖「金剛坊宥盛」様も、天狗となったというお話がございますから。
そもそも象頭山(大麻山)自体が、平野に水を運ぶ聖なる山としての性格を持っているため、蛇の信仰とも結びついています。
こちらの視点で見ると、金毘羅様は山の神様という性格も持っている。
金毘羅信仰は、時代によって・人の願いによって多様な側面を持ってきたのですね。
手を合わせる人がどういうフィルターを持っているかで、本人がご神仏から受け取るもの(それをあえてご利益と表現してみる)も変わるのかもしれないなと、御眷属様を描きながら考えていました。
山の信仰は、明確な役割を持った人間の祖神信仰とはまた違うもの。
そこに何を見るか?の自由度も増し、山という受け入れ先の大きさも相まって、信仰が多様になることが考えられるのかな?と仮説を立てています。
要は、向き合う人の生き方が出るんですね。
金狐舎では、作品運送の無事を祈って金毘羅様に手を合わせています。また、人が行くべき場所に行き、再び安全に家に帰ることが出来るよう、交通安全もお祈りしております。
山にはつきもの・お不動さんや天狗さん
山の信仰という豊かさの中に、ご先祖様がいる…という民俗学的な景色が個人的に好きなので、山を異界と見立てて訪ねるフィールドワークを続けていく所存です。