
フィールドワークに行ぎだい!と思いながらも、来月まで自由時間が無さそう。
こんなとき「出来ない」を考えるとフラストレーションを溜めるだけ。折角なので、舎主にとってフィールドワークって何なのかを書いてみようと思います。
◼︎ そもそもフィールドワークとは
研究対象の現場に赴き、直接対象を観察したり、関係者に聞き取り調査などを行う調査手法のこと(by AIさん)
舎主は、研究のためにフィールドワークをしよう!と思って意図的に行ったことはありません。
元々、気になるものを知るのが好き・実際にやってみないと治らない気質。結果的に、人様から見たらフィールドワークになっていた…という流れで、ありがたくこの言葉を使わせてもらっています。
ですので、事細かくボイスレコーダーやメモを使って人様から聞いた話を記録しているといったことはありません。写真は残すかな。
ただその中でも「印象深い言葉やワード」に出会うことがある。ずっと心に残り続けるものを追ううちに、また次のフィールドを訪問することにる。
そんなことが続いていくうちに、どうやら私はこういうことに興味があるようだというテーマが見つかり「異界」「稲荷と庶民信仰」「ノスタルジーを通して祖先の記憶とつながる(信仰・怪談・思い出話)」といったものを、マイペースに探求しながら今に至ります。
各テーマについては、これから少しずつブログで書いていくとして
フィールドワークを行う中で気付いたことは、フィールドといっても幾つかの層がある・そのときに応じて、訪ねられる(触れられる)フィールドが違うらしいということ。
なので舎主は、ワークを行う際に同時(平行)にアンテナを貼ることを大切にしています。
①場所というフィールド
②繋がりや情報の蓄積によって生じるフィールド
③人間の心というフィールド
①の「場所というフィールド」は、そのまま。空間という意味ですね。山なら山。寺院なら寺院。区切られたお堂の中もフィールド。
②の「繋がりや情報の蓄積によって生じるフィールド」とは、例えば歴史のなかで展開されていった宗教やその教え・空間の中で過ごしてきた人達の記憶が繋がって出来るもの・目には見えない領域にある、意識的な共同体とも言えるかもしれません。
②には、横の繋がりによって発生するものと、縦の繋がり(遺伝や記憶)によって発生するものがあると捉えています。
一つ一つ分解していくと長くなるので割愛しますが、①のフィールドを訪ねることで②に迎え入れられる感覚になることがある…ということだけ、今回は書き置いておきます。
③の「人間の心というフィールド」は、文字そのまま。フィールドワークをしていると、人間と出会う。人間の心という領域は、基本的には不可侵領域でなければいけません。
これは、ある民族の人たちとお話をするときに強く感じたこと。知的好奇心が侵害してはいけないもの。同時に、ほんの少し垣間見せてもらえる心の内というのは、フィールドを歩く上で何より大切にしなければならないものでもあると思っています(互いの安全を確保するためにも)
「フィールドワーク=空間の訪問」に興味を持つと、初めは好奇心に身を任せてフラフラしたくなります。
が。
ふと場所を訪れていただけなのに、また違う次元に足を突っ込んでしまったということも出てくる。そんなときは、きっと自分の魂(あえてこう書く)が、②や③のような目に見えるのとは違うフィールドに接しているのかもしれません。
今自分は、どのフィールドに触れているのだろう?また、フィールドの方は自分のどの部分に触れているのだろう?を肌で感じる鋭敏さを身につけていくのが、人生をとおして探求を続ける上でのマストかなと考えています。
また、こういうことをオカルトやスピリチュアルで済ませるのではなく、歴史や先人の知恵を踏まえてしっかり考察し続けることで「人間であり続ける」ことの味わい深さが生まれる。
以上が、フィールドワークにおいて大事な要素だと、個人的には考えています。
勿論あくまで、個人的な経験に基づいたお話。
舎主は学術の人間ではありませんし、資格も専門知識もございませんから、経験談+あくまで主観以上のことはお話できません。そうするべきでもないと思っています。
ただ何となく、こんなこと考えてますよ…というのを、とりあえずツラツラと書き綴ってみることで、同じように寺社参拝(異界訪問)に興味がある方や、民俗学に興味がある方が行動選択する上でのご参考になればと思います。
で。以下は余談というか、自戒を込めたフィールドワークを行う上での注意点。
生きている人が関わり合うのが、フィールドワーク。俗世で肉体を持って体験を続けたいなら、ルールやマナー違反はやめたほうがいいというのが舎主の考え方でおます。
調査という大義名分で隠したって、根本にあるのは好奇心・知的欲求・衝動といったもの。強欲に取り憑かれて、教育や研究機関の関係者が一般の民家から資料を盗むというお話もある。
聞いていて、気持ちのいいお話ではありません。
舎主は、知りたい欲求は強いのですが、人間やめたくねぇなぁと思っているので「この壁を超えたら欲しいものが手に入るぞ」と言われても要りません。
むしろ、心を開いてもらって話したり見せたりしてもらうほうが、楽しくね?という気持ちをベースに動いています。
犯罪に属するものではないけれど、大変なマナー違反で人間間の信頼を無くするようなものも、今後の邪魔にしかならないので要らヌ。
好きは好きを呼ぶ。好きこそ信頼の証。
健全なオタクは世界を救う。
というのが、40超えた舎主が人生から学んだ矜持なので。まず自分が健全で、人畜無害であることが全てだと思っています。そうじゃなく手に入れたものなんか、ロクなものを呼びませぬ。
勿論、舎主にも若い頃はありましたので、人並みに欲から失敗だってしてるのさ。
でもその上で「生きてたら、ただでさえ嫌なことが向こうから勝手にやってくるのに、わざわざ呼び込む必要性がない(真顔)」と考えています。
「欲しい」と「必要」は違います。
必要そうに見えて、必要ないなものが山ほどあると知っているので、正式ルート大事にフィールドワークも異界訪問も楽しもうな。と、自戒を込めて言わせてください。
面倒臭いやりとりしながら人とお話しして笑ってもらえるの、それはそれでフィールドワークの醍醐味として楽しいぞ。