
多様性の時代と言われて入る反面、学校という一つの箱の中に以前はあった沢山の居場所が、もう無いのだなと感じることがあります。
舎主が子供の頃は、保健室という場所があって、体調の悪い子からサボりたい子まで、色んな子が出入りしている印象がありました。
ベタですが体育館裏にはヤンキーと呼ばれるような子がいて、そうではなくても放課後も残って教室で遊んだり、校庭でふざけたり。
大人も、叱りながらもどこかそれを許していた。
表面上がクリーンになっていく反面、インターネットを通して知識を得られる分、自分たちを見守ってくれるわけではない場所へ憧れを抱いていく子が増えていく。
とても狭いルールの中で、適当に出来る子供だけが居られる。なかなか本当に、子供も親も先生たちも息苦しい。誰得のルールなのだろうかと思うことがありますね。
コミュニティからはみ出した(追い出された)フラストレーションは、また別の弱者(と勝手に決めつけた)相手に向かっていくわけで
かーーーーーーーっ!!!
と思うことは多々あります。個と社会のズレって、こんなにも大きな歪みを生むのだなと。しみじみ。
舎主は、なかなか生々しく感じることがございます。
そこは切り替えていくとして(真顔)

答えが出ないことや、はみ出してしまいそうになるものの受け入れ先が、想像の世界にはないといけないなと思います。
答えが出ないことの結果を現実に求めてしまうと、追い詰められるような気持ちになることがあるから
そんなときは、里とは別の世界の山に行ったり(そこにはそこのルールもあるんだけど、とりあえずここでは置いておいて)ものづくりや創作で、精神を豊かにしている作家さんは沢山いるので、そういう世界を『異界』として訪ねてみる(日常を健全に生きるために)のも一つの手かと思います。
舎主にも、誰にも会いたくない時がありました。そんなとき、インターネットをとおして小さな世界を届けている人たちの作品に救われた経験がございます。
永遠の余白
余白は心の隠れ家であり、人間が人間へと成長するのためのスペースです。
金狐舎の縁起物も、そのような一面を持てたらと思っております。
ちょうど鬼滅の刃も公開間近だよ。子供は友達と行くだろうから、我が家は大人だけで参戦するかもしないかもです。