舎主に悩みを打ち明けた親しい人たちは、漏れなく山や寺社に連れて行かれます。笑
場所の力というのは偉大で、何かを落とすとか、願いを叶えるとかそういうことではなく(むしろそちらは非推奨)、我に戻るために別の空間に入り、また俗世に帰っていくための過程を踏むということを、体験を通してオススメしたいからです。
人間は混乱する生き物です。
生きていたら、必ず何か予期せぬことに出会います。その度に、生き方を振り返り、適宜選択することを求められますが
変化に恐怖を感じ続けると、精神的にも肉体的にも負担が大きくなってくるような気がするのです。
連鎖を切る・断つ
これも、山と寺社が与えてくれる機会の一つだと思いますね。
誰かと共有しなくていい時間も、人生には必要です。
大人になると、立場というものが出来て、本当は何が好きで、どんな感性を持って生きているのかが分からなくなる。
だけど、仏様や神様の前に立ち、手を合わせることで、役割から解放された自分自身というものを思い出していただけたら。
そんな場所があるのだと知って、舎主は生きるのがとても楽になりました。
参拝をする・写経をするなどの行為に「病んでるの?」とか「スピリチュアルなん?」とか。笑
人が集まって話をしていると、メンバーによっては茶化し合いが始まることもありますね。
ですが、親しい関係だからこそ言えないことってあって。側から見ていて、なんか苦しいことあるんちゃうかな?と気になる人もいます。
真剣に生きているのだから、苦しいことがあって当たり前。
もしそういう方がいらっしゃれば、人に言えない悩みを人で解消するのではなく、場所を頼ってみるのも大人の知恵ですよと…
書き記しておきます。
非日常と日常を行き来しながら「うまいこと」生きていきましょう。というのは、古い人たちが残してくれた、現代の人間へのご提案なのではないでしょうか。