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手を合わせて調子を取る

 

昔々、吹奏楽部だった頃。基礎練習の時間には、必ずメトロノームやチューナーを使い音律やリズムなどの調子を整えていました。

 

私たち人間も、普段生活をしていると色々な出来事に遭遇します。それにより、生活のリズムが乱れたり、感情も乱れることがある。

 

乱れたまま事にあたったようなときは、大体結果も良いものにはなりません。これは経験談です。

 

起こることは回避できなくても、仕切り直すことが出来れば、一時的には乱れても起こった事に対処することは出来る。もしくは、少しずつでも元の調子に戻っていける。

 

まずは、乱れていると気が付くことが大切です。

 

気付かずに乱れたまま1週間・1ヶ月・そして1年…と続いていくと、調子を崩して、心や身体の病気になってしまう可能性が上がるような気がしています。

 

お仏壇や神棚、もしくは心落ち着く寺社仏閣で手を合わせる生活は、舎主の中では、調子を戻すためのチューナーのような役割になっています。

 

んあぁ!!(怒)と思うことがあっても、時間が進むのは止まってくれません。また、腐っていても良い方向に進むことはなく。どこで切り替えるかというと、手を合わせる時間で…と、いつの間にかそのようになっていました。

 

お山にあるお寺のように、本堂まで時間をかけて参拝出来るところでは、歩いている時間のうちに整っていくこともある。

 

一切皆苦(全ては思い通りになりません)

諸行無常(物事は変化していきます)

諸法無我(影響しあっているから固定されたものもありません)

涅槃寂静(安らかでいましょう)

 

とは、四法印というお釈迦様の教えなのだそうです。

 

何事も都合いいようにはならないし、そもそも自分も変化する上に、変化する世界や他人と関わり合って生きているんだから、それを踏まえた上で生きましょうよということだと、舎主は理解しています。

(分かったフリの方が怖いので、詳しいことはお坊様方に聞いてください。あくまで個人的にこのように理解しているということです。)

 

 

「生きる」なかには、揺らいで変化して、他人との関わり中で乱高下したりさせたりすることが必ず含まれているのなら(込み込みプランのようなもの)

調子をとる時間を持つことは、自利利他になるのではないでしょうか。

 

 

自身のことを振り返ると、生きているだけで疲れる時は、変化自体を拒んでいた時でした。

心のエネルギーのコスパが悪い状態が続けば、当然身体も重くなる。

 

変化のなかでも調子を取る(+少しでいいからそれを毎日繰り返す)時間や場所を持つことも、生きる醍醐味として、このブログを通してご提案していけたらと思っています。

 

 

 

 




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