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祈り・エンタメ・教育・歴史

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奈良旅に行きましたの巻。

ふと思い立ち、相変わらず弾丸日帰り。

初めて明日香村近辺を訪ねました。

 

その詳しい様子は後日として。

 

すっごく良かった。最高でした。

奈良には歴史と教育と祈りとエンタメがある。

ついでに経済もあって、全部が自然に存在している感が堪りませんでした。

 

親子連れから、カップル、観音霊場を回っている方と老若男女様々な人が、当たり前に訪れて自然と学べるんですね。

 

古墳あり・都あり・寺あり神社あり道教あり。

なんとも豊か。おおらか。

 

歴史の重みですね。

 

最近、占い師やヒーラー・拝み屋さんと呼ばれる人が、親や子に与える影響に対する不満を感じていて。周りの人たちの中でも、子供にそれを安易に与えてしまう親についての思いを抱えている人たちがチラホラ。

 

無論、真摯に学問として占いを学び、長く商いをされている…生き方が占い師という方も、きちんといらっしゃる。

 

ただ、この奥底にある違和感を、言語化出来てないことが、個人的に悩ましかったのです。

 

 

祈りは健全である。学びである。楽しみもある。その先に歴史があり、ご先祖様と連なる生き方がある。エンタメと経済は、その土台に乗っていてこそ。

 

奈良に行って「この健全さを伝えたい」と。

私は祈りに通じる道が、明るくないことに怒っていたのだなと。

 

オカルトとか昔の心霊番組とか好きですよ。懐かしのエソテリカシリーズやマイバースデーシリーズには、今でも胸踊ります。

のんのんばぁはバイブルだし、夢枕獏先生の陰陽師シリーズも鉄板です。

 

私は、他人のことを言えない、賽の河原の住人です。

 

でもね

 

不思議は歴史とロマンあってこそ。知性のないオカルティズムなんて、笑えまへん(そうだろう、オタクども)

 

自戒としても書いておきますが、見えない世界や祈りは、健全な現実への入り口であって、現実と感性を切り離して生きる術ではない。

 

分離しちゃう。

 

そもそも、救われてない人間が、人を救うことで救われようとする様子は、人間らしくはあるけれど、本当の救いにはなりません。

 

だって、ベクトルが全部自分だもの。

 

万が一、本当に子供さんがお化けを怖がっていたとしても、お母ちゃんなりお父ちゃんなりが「私がいるから大丈夫」と言ってあげましょう。オール○イトばりに。(かっちゃん派)

 

それでも解決できないことがあれば、母子共に医療や適切なカウンセリングを頼り、現実的な対応をした上で、祈りを…というのが順当なのではないかなと思います。

 

その子の心の中に仏様神様がいれば、まず手を合わせることが救いに繋がると思う。

 

縁起物だって、同じです。

 

その方の中にシンボルがあるなら、自然とそれを持つことで力にもなると考えています。

 

私は、その方法しか知りません。

 

ロマンのあるオカルトは万歳です。

情緒のある怪談も好きです。

他人の茶碗に手をかける気はありません。

ごきげんよう、好きにしてもろて。

 

でも、私は奈良へ行くーーーーー!!!

 

そして香芝のサービスエリアで、ラーメンを食べるのです。

 

 

 

 

 




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