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思い出を通してリアリティを持つもの

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神様が居るか・居ないかという論議を、時々見かける。だけど、私にとってはあまり関係ない話だなと感じるようになりました。

 

宗教家やそれに所縁ある家系に生まれたり、逆に、何事も論理や科学で説明出来ないと気持ちが悪い人たちには大切なことではあるのだろうけれど。

 

正しい知識や霊感があるかどうかと、神様や仏様の話をして現実味があるかどうかは、また別の話なのだ。というのが、私の感じていることです。

 

例えば

 

神様や仏様の知識はありません。だけどおじいちゃんが漁師でした。船を出す前には、必ず海の神様・山の神様に祈っているのを見ていました…という方がいたとします。

 

過去には、家族の元へ無事に帰ってこられますように・ご飯を食べられるだけの魚が獲れますようにと手を合わせるおじいちゃんの姿があったと。

 

その思い出には、ちゃんとリアリティがある。

 

リアリティ=生活の痕跡。誰かの生きている呼吸の音。

 

こういったおじいちゃんや、そのご家族が龍神さん海神さんと話をするのと、ただ霊感で見えるだとか、その手の話に詳しいだとかで神様の名前を口に出すのとでは、話を聴く側に届くものが変わってくる。

 

これはあくまで、私個人の物差しですけれど。

 

神様や仏様に現実味を持たせるのは、その人自身の人生。リアリティを伴った、経験や思い出だと考えています。

 

だから、誰かの話を聞く上で、神様が本当に科学で証明できる形で存在するとかしないとかは、個人的にはあまり関係ないんですね。

 

どれだけ、その方の生活の中にリアルに存在していたか。それだけ。

 

こういう領域には、誰も踏み込めない。例え立場のあるお坊様や神主の方でも、仲のいい友達であっても、干渉できない領域なのだと考えています。心の聖域ですね。ノスタルジー

 

心霊話や神秘話については、分からないけれど。思い違いもあるだろうしね。

 

でも、自分の中で確かな判断基準があると、悩まなくてもいいのは楽だなと思います。せっかく楽しく好きな世界を創るために絵を描いているのに、自分が悩むことで邪魔されたくない。

 

その代わり、自身も作品にリアリティを持たせられるように、大好きなものを足を使って肌で感じて生きていこうと思っています。

 

ちなみに。こしきゆかしき怪談は好きです。民族的な言い伝えなんかも。それは誰かの思い出でもあり、歴史とも言えると思いますので。

 

 

写真は金刀比羅宮にて

 

 

 




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