
人は、生まれたら必ず死ぬ。
そして自分が死ぬ瞬間には、必ずどこかで誰かが生まれている。
昔々、幼い命について考える機会がありました。
不慮の事故によりお子様を亡くしたお母様に会った。その後すぐに、真剣に付き合うでもなく、ただの遊びの果てに不義をして身籠った人と話をしたのです。
詳細は避けるけれど、その時になんと人生の不平等なことかと思った経験は今も心に残っています。
子供は産めば必ず育つものではない。
望めば産めるものでもない。
100%なんてないことを分かっていながら、それでも命と向き合おうとする瞬間がある。自分の命についても同じなのかも。
産まれるということは死ぬことです。だけど、死ぬために生むわけじゃない。命を思い、その繋がりの中に存在するように・出来るように願う。
先祖供養も水子供養も、何故するのか。別に、本当にしたくないならしなくてもいいのだと思うのです。何を信じるも、自由だもの。強制されてやることでもない。
だけど私は、生きている人間だから。目には見えなくても、共にいてくださる方のことを想像することは出来るから。それだけの理由で、やることにしている。
綺麗事ではなく、ただ性分なんだろうと思うよ。