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奥野紗世子『女たち』感想(感情)

文フリで購入した奥野紗世子『女たち』を読んだ。まず奥野さんが文フリで本をつくって売ると聞いたとき、マガジンの漫画みたいに「!?」がいくつも浮かんだんだけど、そりゃまあ買うしかないだろと思った。

読み始めてびっくりする。『女たち』に出てくる人物たちにはかなり馴染みがあった。文學界2021年6月号掲載の『無理になる』に出てくる人物たちだったのだ。つまりこれは『無理になる』の続編のようだ。僕はいまのところ奥野さんの小説で一番お気に入りなのが『無理になる』なので、とても嬉しい。

嬉しいんだけど、僕はこの無理になるユニバースの中心人物、猪狩務がとても嫌いだ。

彼は80年代にアンダーグラウンドな音楽シーン(というかサブカルシーン)で、主にライブでの自殺未遂が伝説となった男性ミュージシャンである。その後、現在では「そういう人いたね」的な語られ方をしながらも、音楽業界に辛うじて居場所のある彼なのだが、中身がかなり最悪だ。ファンや共演者やその他の人たちと、客観的には受け身な姿勢で性的な関係を持ちながら生きてきて、音楽については自分にはとっくに才能なんてないと自覚しながらも、周りの買いかぶりを積極的に剥がしにいくでもなく甘えながら、淀んだ池のボウフラのような生き方をしている(あきらかに言い過ぎてる)男。マチズモに馴染めずにいながらも、存分に有害性を発揮し続ける男。なんていうか、彼の狡いところは立ち位置なのだと思う。相手の足を露骨に踏みつけたりはしないのだが、いじけながら常に優位な位置をキープしようとする。または、あえて弱弱しく降参のポーズをして見せることで、女性の同情心や母性をくすぐろうとする。見ていられねえよ!という感想になる。

けれど読み進めてしまう。もちろん、彼や彼を取り巻く音楽業界/サブカルシーンに対する解像度の高さ(本当にそんなんかは分からないけど妙に生々しい)や文章力の確かさもあるけれど、僕は結局のところ、猪狩務が放つ有害性に、自分の中にも確かにある嫌らしさを見てしまい、なんとも言えない気持ちになるのだ。

マッチョな振る舞いだけが性的搾取の土壌ではないし、他人を傷つけているわけでもない。優しそうに振る舞っていても、くよくよと悩み塞ぎ込んで自分が傷を負いながらも同時にちゃんと誰かを傷つけている。なんかそういうことが堪らなく胸に迫ってくる。心当たりがあり過ぎるのだ。

『無理になる』で出てきた猪狩務が、『女たち』の連作短編の中でさらに様々な角度から解像度を高められていく。

僕は今作を読みながら「奥野紗世子の文章って石に彫った字みたいだな」と思った。力強さというか、そこに置かれたと言うよりは何も無かったところに傷をつけて無理やり文字にしたような感じがあると、過去作も含めて考えてみて思ったのだった。刺青やピアスみたいとも言えるかもしれない。とにかく奥野さんの文章を読んだときに「痛み」を感じるのはそういうことなのだと思う(今作の中の『死んでもいい経験』では刺青やピアスのすごい人も出てくる)。

そして人物同士の言葉や感情の応酬は無機物と無機物がぶつかり合うような硬い感触があるし、街の景色には水分が抜かれカラカラに乾いている。サイバーパンク味が常にある。

そうして形づくられる世界の中心に、なぜか弱々しく猪狩務が立っているというアンバランスさが不思議な魅力を放っていると思う。

 

なんだか全然小説の中身の話をできていなくて申し訳ない気持ち。ぶっちゃければまだ猪狩務の内面へのムカつきを咀嚼しきれていないし、『女たち』全体も読み切れてないと思う。

でもとりあえずこれを買って読んだ人たちと読書会をしたい気がする。猪狩務への説教読書会とか。でも結局のところ自分に跳ね返って来るんだよな。猪狩務、本当に嫌なやつだよ。




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