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【読書感想】新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

ロシアによるウクライナ侵攻、世界的な移民排斥運動、権威主義的国家の台頭、トランプ2.0、そして民主主義制度基盤の崩壊……。
「なぜ世界はここまで急に揺らぎはじめたのか?」。共同通信社の国際ジャーナリストが、混迷する国際政治の謎を解き明かすために、国際政治学者や評論家、政治家や現場を知る実務家へのインタビューを敢行。辿り着いた答とは?


この新書のサブタイトルである「なぜ『力こそ正義』はよみがえったのか?」と、僕もずっと疑問に感じていたのです。
これだけ「グローバル化」が進んだ世界で、戦争をやっても国際社会から排除されるだろうし、人的・経済的な損失も大きい。勝った国が多額の賠償金を請求することも、占領した地域を植民地にして人々を奴隷にすることもできないだろうし、戦争は、あまりにも「コスパが悪い」。

第二次世界大戦の教訓から国際連合がつくられ、大規模な国際紛争への抑止力が働くはずでした。
しかしながら、実際は、国連はアメリカとソ連の冷戦の勢力争いの場となり、「アメリカ、ヨーロッパの正義」が重んじられる組織でもあったのです。

それでも、「戦争は(なるべく)してはいけない」、ましてや自国の都合(欲望)による侵略戦争なんて論外、だというのが世界の当たり前だと僕は思い込んでいました。

ところが、ウクライナ戦争が起こり、イスラエルによる侵攻は続き、アメリカはベネズエラを攻撃し、デンマーク領グリーンランドへの野心を明かしています。
あまりにも自分の、自国の欲望に忠実なトランプ大統領は偶然生まれた異端というか「時代のあだ花」「トリックスター」のはずだったのに、2026年の世界をみると、「トランプ政権の誕生は、新しい(と言っていいのかどうかは微妙ですが)『力の時代』の幕開けだった」ようにも思われます。

著者は、世界各地の「第2次世界大戦後の世界の秩序を左右したり、小国の代表として大国に挑戦状をたたきつけたりした、たくさんのキーマン」に直接取材をしているのです。

彼らの話を読むと、「平和を維持する」「戦争を避ける」ためには、「戦争はよくない」と良心に訴えることだけでは実現できず、「大国に好き勝手させないための拮抗する力」が必要なのです。


著者はこの本の冒頭で、2013年9月10日にホワイトハウスで行われた、アメリカのバラク・オバマ大統領(当時)の演説を「時代の大きな転換点」として挙げています。

中東のシリアのアサド政権が反対派に毒ガス攻撃を行い、1400人以上が犠牲になったのを受けて、オバマ大統領はシリアに軍事攻撃を行うのではないか、と言われていました。
オバマ大統領の演説も、前半部では「標的を絞った限定的な軍事攻撃」を示唆するものだと受け止められる内容でした。

 多くの人々はこれを聞き、「オバマが懲罰攻撃を決断した」と受け止めたに違いない。ところが、その後の発言は全くの肩すかしだった。オバマは懲罰攻撃に踏み切るかどうかについて、「議会に委ねる」と述べたのだ。
 アメリカでは、議会が戦争を宣言する権限を持つ。だが、米軍最高司令官を兼ねる大統領は議会が宣言しなくても部隊を動かせる。オバマの発言は事実上、懲罰攻撃の見送りを意味していた。
 演説終盤の言葉がそれを裏付けていた。オバマは次のように述べる。
「イラクとアフガニスタンで甚大な犠牲を払った今、たとえ限定作戦でも、軍事行動は(アメリカ国民に)受け入れられない。私は4年半、戦争を終わらせるために働いてきた。戦争を始めるためではありません」
 開始から約15分。オバマは後に繰り返し引用されることになる有名な言葉で演説を締めくくる。
「アメリカは世界の警察官ではありません。われわれの力で全ての悪を正すことは不可能なのです」

 この演説は、冷戦後の世界逃れを変えることになった。もはや「世界の警察官」ではいられないというオバマの”ギブアップ宣言”は、「パックス・アメリカーナ(米国の力による平和)」の終わりを告げていたからだ。


僕は当時、この演説をニュースでみて、「まあ、アメリカだって疲弊するし、『アメリカがいつも世界の秩序を守る、ずっと守り続ける』というのは歴史を振り返っても無理だよなあ」と思いました。
ローマ帝国や大英帝国も、時代とともに衰退し、覇権を失っています。

なぜアメリカ人、アメリカ軍だけが、世界の紛争で血を流し、コストを負担しなければならないのか?
言われてみればそうだよな、が半分で、誰が頼んだわけでもないのに自発的にやってたんじゃないの?が半分。

とはいえ、僕が物心ついた1970年代の後半から、アメリカはずっと日本の庇護者であり、ソ連を制し、中東に介入し、世界を「アメリカの正義」で仕切っていたのです。
それが「世界の当たり前」だと僕も思っていました。
でも、そうじゃなかった。


日本で暮らしていると、アメリカ・ヨーロッパ側からみた世界が伝えられることが多いのです。
そこでは、ロシアや中国といった「権威主義」の国は、「世界の枠組みを力で変えようとする危険な存在」だとみなされています。

しかしながら、ロシアや中国という「あちら側」には、「欧米に奪われたものを取り返し、自分たちの力を削ごうとしているものを排除したい」という「自衛」と「失地回復」の戦い、という意識があるのです。

ロシアのプーチン大統領は、最初に大統領に就任してからしばらくは欧米に協力的で、良い関係を保ちながらロシアの経済を発展させていこうとしていました。
ところが、当初は「ドイツより東にはNATOを拡大させない」はずだったのに、ロシアにとっては長年の友邦であったウクライナまでがNATO入りを希望しはじめます。
NATOの「仮想敵」がソ連(からロシア)であることを考えると、プーチン大統領が「このまま追い詰められていくわけにはいかない」という危機感を抱くのも想像はできるのです。

だからといって、ウクライナを侵略していいわけがないし、ウクライナ側からしても、ずっと西欧とロシアの緩衝地帯であり続けてくれ、経済的に豊かになるために西欧に近づくのはやめてくれ、なんて強制されたらたまらない。

「悪の侵略国家」がいなくても、戦争は起こってしまう。
当事者にとっては、つねに「防衛戦争」や「失地回復のための戦い」なのです。


中国の「野心」については、こう書かれています。

 第37代アメリカ大統領リチャード・ニクソンの国家安全保障問題担当補佐官として仕え、1972年の米中和解の立て役者となった外交家ヘンリー・キッシンジャーは、大著『On China』の第2版にこう書いている。
「中国は自らを『台頭する大国』とは見なしていない。『回帰する大国』と認識している」
 理念や文化を通じて他国を魅了する「ソフトパワー」の提唱者で、2025年5月6日に高いしたハーバード大学特別功労名誉教授ジョセフ・ナイも、キッシンジャーと同じ考えを持っていた。
 中国は21世紀に入って大国化したわけではない。人類の歴史を通じ、長らく世界に覇を唱えてきた。「回帰する大国」とは、その定位置に再び戻ることを意味する。それが中華の自画像なのだ。
 近代以降、中国は長い雌伏を余儀なくされた。「1世紀の恥辱(百年国恥)」を経た後も、西側と渡り合う力はなかった。だから鄧小平は「韜光養晦(とうこうようかい)」を唱え、アメリカとも友好的に接した。江沢民や胡錦涛も、習(近平)よりはるかに国際協調的だった。
「香港一の健筆」練乙錚に言わせれば「それはまだ中国が十分に強くなかったからだ」ということになる。「弱いときは爪を隠し、じっと機会をううかがいながら、力をつけたら打って出るのが中国の指導者だ」


中国の反日教育が続いていることに、日本人としては、「いつまでやるつもりなんだろう……」と言いたくもなるのですが、「いじめた側は忘れても、いじめられた側はずっと忘れない」というのは国と国の関係にもあてはまるのではないかと思います。


また、西欧がつねに世界の「正義」を自分たちの基準で運用してきたことへの、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ、イラン、エジプト、アラブ首長国連邦、エチオピア、インドネシアの10か国から成る国際会議)を中心とする「その他の国々」からの不満も蓄積されているのです。

 BRICSのメンバー国は意見の違いが大きい。中国が圧倒的な経済力を持つ一方、経済規模が小さなメンバー国も多く、結束力に欠けるとの批判も付いて回る。
 それでも世界は様変わりした。中国は世界第2位の経済大国になった。インドは旧宗主国のイギリスを抜いて第5位になった。中印に加え、ブラジル、ロシアも世界経済のトップテン水準にある。
 世界の国内総生産(GDP)に占める先進7か国(G7)の割合も年を追って低下している。物価水準の差を考慮した尺度(購買力平価)で測ると、BRICSのGDPは既にG7の総計を上回る。
「それなのに、国際政治や経済における意思決定の主導権はいまだに先進国が握っている」とスークラルは不満を漏らす。グローバルサウスは疎外され、われわれの関心事項や利益は脇に追いやられている」
 スークラルの盟友で、ライシナ対話を主催するインドの有力シンクタンク「オブザーバー研究財団」の総裁サミール・サランによれば、その典型が新型コロナウイルス大流行時のワクチン格差だという。
 憤懣やるかたない表情でサランが語る。貧しい国々が「ワクチンを回してほしい」と必死に懇願していたとき、「(国内で使い切れずに)余ったワクチンをごみ箱に捨てていた北半球の先進国があった」と。
「命に格差があるということだ」とスークラルも憤る。「ロシアの侵攻が続くウクライナには巨額の支援が提供されるのに、中東ガザの子供たちは飢えている。『北』の人々の命は『南』の人々の命よりも重いのか?」

 ニューヨーク・マンハッタン島の東岸を流れるイーストリバー。国連本部はそのほとりにある。ドーム型の大天井を頂くのは、「人類の議会」と呼ばれる総会議場。2022年9月、その演壇に1人の女性が立った。
 ナレディ・パンドール。南アフリカの国際関係・協力相(当時)だ。この年の2月、ロシアがウクライナに侵攻してから初めて開かれた国連総会一般討論。BRICSの支持取り付けを狙う西側外交団は演説に耳を傾けた。
「私たちにとって最大の世界的課題は、(ウクライナ戦争ではなく)貧困、格差、失業であり、(繁栄から取り残されているという)疎外感だ」。そう切り出したパンドールは、ウクライナ戦争を「東欧の(地域)戦争」と突き放した。
 西側外交団はショックを受けたに違いない。先進7ヵ国(G7)をはじめ、北の国々はウクライナ戦争を世界の最大課題と捉え、侵略者ロシアを包囲する外交工作に全力を挙げていたからだ。
 だが、南から見れば、そうした態度こそ「北の驕り」と映る。「自分たちの問題こそ最も大切」と主張しているに等しいからだ。パンドールは「貧困、格差、失業」という目の前の危機に直面する南の窮状を訴えた。
 パンドールの認識を裏書きする発言がある。スブラマニヤム・ジャイシャンカルの言葉だ。大英帝国の植民支配を受けた「グローバルサウス(新興・途上国)」の中核国インドの外相である。
「ヨーロッパ諸国は、欧州の問題こそ世界の問題であり、南の問題は自分たちの問題ではないという発想から脱却しなければならない。ウクライナへの支援を迫るなら、途上国の貧困や飢餓にも目を向ける必要がある」
 ロシアのウクライナ侵攻から3ヵ月余り後の発言だ。インドを含む南の国々を植民地として支配し、独立後は「置き去り」にし、窮地に陥ったら手のひらを返したように協力を求めるご都合主義への痛烈な告発だった。


世界各国には、それぞれの歴史や現在の立場、思惑があるのです。
日本人は、太平洋戦争後のアメリカとの関係や「G7」に含まれる経済的繁栄から、「アメリカ、西欧寄り」の世界観を持ってしまいがちだけれど、これまで「置き去り」にされたり、「搾取」されてきた国は、欧米と必ずしも価値観をともにしてはいないし、世界レベルの民主主義の理念よりも自分たちの生活の向上を求めているのです。

これは世界の国と国の「南北問題」だけれど、アメリカという一つの国のなかでも格差の拡大により、2011年9月には「ウォール街を占拠せよ」という運動も盛り上がりました。

同じような「搾取される側」の不満が、国家間でも蓄積してきたのです。

「正義は、人の数だけある」
そんなことをあらためて考えさせられますし、さまざまな立場の国の「肉声」みたいなものが広い範囲で収められている新書だと思います。

「きれいごと」をかなぐり捨てた世界は、どこへ向かっていくのか?
「歴史は繰り返す」という有名な言葉を、僕は思いださずにはいられませんでした。


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