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【読書感想】検視官の現場-遺体が語る多死社会・日本のリアル ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

年間160万人が亡くなる「多死社会」日本。多くの人はどのように死を迎え、その過程で何が起こっているのか――
現役の検視官として3年間で約1600体の遺体と対面した著者が、風呂溺死から孤独死までさまざまな実例を紹介し、現代社会が抱える課題を照らし出す。
死はすぐ隣にあり、誰もが「腐敗遺体」になる可能性がある……この現実をどう受け止めるべきか。そのヒントがここにある。


僕はずっと「孤独死はしたくない」という話を聞くたびに、「死んでしまったら自分ではもうわからないのだから、『孤独死しないための人間関係をつくっておく』必要なんてない」と思っていました。

しかしながら、50代半ばを迎え、「自分が死ぬ」ということについて、考えずにはいられなくなってもきたのです。

この新書では、検視官として、さまざまな「死の現場」に立ち会ってきた著者が、その経験から、「命を落としてしまった人と、その後片づけ」について語っています。

「検視」は、変死と呼ばれる事案について遺体や現場を調べ、主にその死の事件性を判断する仕事です。こうした検視の専門家が検視官で、実は警察官です。仕事の内容は非常に専門的ですが研究職でもなく、あくまで警察官という公務員の職務であり、社会と深く関わる仕事です。
 私は首都圏の警察で検視官として3年勤務し、約1600体の遺体の検視をしてきました。多くの人が想像するような殺人事件の現場もありましたが、大半は病死や自殺などの現場です。
 ただ、検視官となり日々の勤務のなかでまず驚いたのは、ニュースになるような事件や犯罪死体よりも、変死事案の数が多いことでした。例えば、冬季の入浴時に亡くなる人が多いことは知られるようになりましたが、そうした事故でも検視を行います。日本に住む誰もが突然亡くなり、変死事案として扱われる可能性があるのです。
 そしてさらに驚いたのは、腐敗している遺体の多さです。腐敗遺体は、凄絶で悲惨です。肉や組織は青黒く変色し、膨張して強烈な臭いを放ちながら溶解し、やがて白骨化していきます。そのような遺体に、ほぼ勤務のために対面するのです。21世紀の日本で普通に社会生活を送る人が死を迎えて、なぜ腐敗遺体となるまで誰にも気づかれないないのだろう? そんな疑問を日々感じていました。
 検視官の仕事を通して、日本における死や遺体に関する実情も見えてきました。死は高齢者だけの問題と見られがちですが、検視の現場では、40~50歳代の遺体も日常的に見受けられます。社会課題として取り上げられることの多い孤独死孤立死や無縁仏については、現実問題として日々直面していました。


検視官の仕事をやっていたのは、たった3年間なのか……と、読んだときは思ったのですが、3年間で約1600体の遺体を視る、しかも、整った状態でのベッド上での死のほうが少ない(そのような場合は、病死として医師が死亡診断書を作成するので)、かなり精神的にも疲弊するし、いつ呼ばれるかわからない、という仕事って、緊張感がずっと持続して気が休まらないんですよね。

医療関係や警察、特殊清掃などに従事していなければ、人が「死ぬ」状況として想像できるのは、癌や脳血管障害、心筋梗塞などでの「病死」か交通事故、自然災害などによる「事故死」あるいは「犯罪で命を奪われる」という感じだと思います。

でも、人はけっこう突然、簡単に死んでしまうことがある。それも、少なからず。
その順番が自分や身近な人に訪れないと想像できないし、これを書いている僕も、そういう死を頻回にみているにもかかわらず、自分や身内に突然そんなことが起こるというのは「想像しないようにしている」のですが。

 ところで、人の死に場所として多いのはベッドの上ですが、トイレ付近ということも珍しくありません。死が近づいてくるとどの人も食欲がなくなり失禁脱糞が増える傾向があります。
 トイレ付近で便まみれで亡くなっていても、恥ずかしいことではありません。変に家族が気を回して片付けてから110番通報したことにより、死体所見(遺体の外表を調査した結果)と現場の状況に矛盾が生じたりするほうが、よほど問題なのです。
 例えば、家族が床上で倒れている死者を発見したとき、病気の悪化で口から血液様のものを吐いていたとします。警察が現場に臨場した際、死者は衣類を整えられて綺麗な布団に寝かされているのに、現場の床面に真新しい血液がところどころ残され、遺体の口腔内や顔面などに血液様のものを拭った跡が確認できたとしたら明らかに不自然で矛盾があり、疑うのが仕事の警察には証拠隠滅じみて見えるわけです。死者への思いやりで悪意がない行為だとしても、それを明らかにするほうが大変なので、現場はそのままの状態で通報するか、救命時の条項等があるなら、できる限り正確に説明してください。


家族としては、よかれと思って、本人の名誉やその遺体を目にする人の気持ちを慮ってやったことも、死因を調べる側にとっては「隠蔽工作」を疑わざるをえないわけです。
調べる側としては、家族が言うことを鵜呑みにすると、重大な見落としにつながるかもしれません。

実際、「死因」というのは特定するのが難しいことも多いのです。
ずっと身体が不自由で、自宅で介護されていた高齢者が「息をしていない」ということで病院に搬送されてきた。持病もあるし、最近は状態も悪かったということで、おそらく「病死」なのだろうけれど、家族の申告を信頼して、「病死」で死亡診断書を書いていいものなのか?警察に連絡して、「異状死」として検視・司法解剖まで検討してもらうべきなのか。

家族の側からすれば、自然死だとすれば、身内が亡くなって動転しているところに、自分たちが疑われているなんて、たまらないですよね。

そもそも、「少しでも疑問が残る死」を全部検視・司法解剖することができるほどの人員はいないのです。

近年は、オートプシー・イメージング(Autopsy imaging、Ai)という、亡くなった人に対する画像診断で遺体の損傷をなるべく少なくして迅速に死因を調べるやり方も一般化してきましたが、画像だけで判断するのもかなり難しい。

僕も当直のときに心肺停止で搬送されてきた患者で、「見落とし」が絶対になかったとは言い切れないのです。

日本の現状としては、生きている人のための予算も足りないのに、亡くなった人のために避けるリソースをこれ以上増やせないのも想像はできます。
著者は阪神淡路や東日本の大震災時の経験を踏まえて、大災害時などにも「死者をなるべく丁寧に見送れる」ように日頃からの体制を整えていくことを提言していますが、言いたいことはすごくよくわかるのだけれど、社会の優先順位としてはそんなに高くはならないだろうな、とも思うのです。


本当に、人間というのは、「死ぬときには突然死んでしまう」生き物なのです。

 一般家庭での入浴時の浴槽内変死事案は多発しています。よくあるのが、外出していた家族が帰宅したところ、入浴していた高齢の親が浴槽内で頭部が水没した状態で意識を失っているのを発見して119番通報、現場に到着した救急隊は社会死状態と認め病院不搬送、となるような事案です。起床してから、前日の夜に入浴していた家族を発見することもあります。
 こうした浴槽内変死事案を、私たちは「風呂溺(ふろでき)」と呼んでいましたが、冬季にもなるを県内で一日10件を超えて発生することもあります。風呂に人が浮かんでいるのは驚くような光景ですが、それが何件も続くのです。検視官をやっていて、とにかく日本人は風呂が大好きで、死ぬ場所も風呂というケースが多いということを思い知りました。
 死者本人もまさか風呂で死ぬとは考えていなかったと思います。とくに冬季の暖かい室内から寒い脱衣所への移動、そして浴槽で湯船に浸かるなどの温度変化により血圧の急激な変化を起こし、脳に血流が回らない貧血状態になって意識障害を起こしたり、心臓などに持病があれば体調が急変したりします(ヒートショック)。そのまま浴槽の中で意識を失えば顔面が湯面に浸かり、鼻と口が水中に没すれば溺れることもあり、または脳が低酸素状態になって数分で脳死に至り心臓が止まるのです。湯の温度が高いと熱中症を起こすこともあります。
 家族からすればもっと予想外のことでしょう。多少高齢でも風呂に入れる程度に健康な親と暮らし、朝に「行ってくるよ」と声をかけ、いつもと同じように会社などに出かけ、帰ってきたらその親が風呂で浮いていたならそれは驚くでしょう。また、同居の家族が自宅内におり、すぐ隣の部屋で気にかけていても、風呂で浮いているという死者の本当に多いこと!
 ほんの数分の出来事なのです。病気などによる体調急変なら病死、意識消失後に溺れているなら不慮の事故(溺死・溺水)になります(溺水とは水などの液体が気管から肺に入り肺呼吸ができず窒息状態になることを指し、溺水によって死亡したことを溺死と呼びます)。
 しかし、検視において風呂溺は油断できません。風呂での病変を偽装した殺人事件も時折発生しています。また、少し前の話になりますが、ガス湯沸器の不正改造による死亡事故(一酸化炭素中毒死)が多発し、事業者らが業務上過失致死傷罪に問われるなど、社会問題になったこともありました。

お風呂が大好きで、毎日のように入らないと気が済まない、寒い日に熱いお風呂に入りたい、という高齢者は多いのですが、冬場の入浴はある意味「命がけ」ではあるんですよね。
身体を清潔に保つことは大事ではあるのだけれど、日常的なことだからこそ、用心が必要なのです。
見つけた側にとっても、「風呂溺」というのは、トラウマになることが多いようですし。


死ぬ側はおそらく「その後のこと」はわからないだろうけど、その場にいた人たちは、その記憶を抱えて生きていかなければならないのです。

 列車事故の現場では、まずは早急に現場を保存して鑑識活動などを進めるとともに、駅員や救急隊員、警察官などの安全を確保しつつ、現場から遺体や所持品などを回収して関係者から聴取します。最近は列車運転席の車載カメラや踏切付近やホーム上に設置された防犯カメラなどから、事件性の有無について早期に解明できることが増えて、非常に助かっています。
 一方、目撃者である列車の運転手から聴取すると、「最後に死者と目が合いました」「ホームの柵を乗り越えた瞬間、お辞儀をされて飛び込んできました」「線路上に横たわっているのが見えて、急ブレーキをかけたのですが間に合いませんでした」など、苦悶の表情でその状況を語ります。車載カメラがない車両や防犯カメラのない現場では運転手の目撃証言が一番のポイントになるので、警察としては詳細に聞くしかありませんが、心苦しい限りです。列車事故の際の運転手の心理的ダメージが心配です。


こういう場合には、亡くなる側も、「自分が死ぬこと」にとらわれてしまっていて、そこに居合わせる人たちに「配慮」する余裕がない精神状態なのだとは思います。
とはいえ、電車の運転手さんは「自分が轢いてしまった」「何かできることはなかったのだろうか」と考えずにはいられないはずです。

多くの「家族、友人の突然の死」にもそれはあてはまるし、離れて暮らしていた親が、腐敗した遺体で見つかったら、ほとんどの人は後悔するはずです。
だからといって、家族がみんな同居して、一つ屋根の下で暮らすのが「幸せ」とは限らないし……

僕が死んでも、世界は(たぶん)続くわけで、「死ねばもう自分じゃわからないしな」とは思うけれど、だからこそ、できる気配りはしておいたほうが良いだろうな、と最近は考えています。

こればっかりは、自分の力だけではどうしようもない面もあるのだけれど。


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