Kindle版もあります。
肉まん、ジンギスカン、餃子、焼売、ラーメン、麻婆豆腐、ウーロン茶。あの味はなぜ懐かしいのか。
帝国主義の時代に広まり、戦後の日本人の心と体を癒してきた中華料理。 地域や家庭で愛されてきた品々は、誰が、いつ、どうやって日本にもたらし、なぜこれほど普及したのか――。
文化人、実業家、軍人、料理人たちの情熱と葛藤に光をあて、日本の中華料理100年の軌跡を世界史的な視点から描く、食文化の物語。
この新書のオビには「なぜ中華は感情を揺さぶるのか」というキャッチコピーがありました。
僕がまだ子どもだったころ、父親が家族を行きつけの中華料理店に、よく連れていってくれたことを思い出します。
当時(45年くらい前、1980年くらい)の中華料理って、子どもにとっては「焼肉やレストランのハンバーグほど、かしこまった『ごちそう』ではないけれど、家族みんなでにぎやかに食べられる、ちょっとした贅沢」だった記憶があります。
その店は、ラーメンもチャーハンもおいしくて、父親が「俺はレバーはあんまり好きじゃなんだけど、この店のレバニラ炒めは美味しいんだよなあ」といつも注文していたのを覚えています。
僕も取り分けてもらって食べていたのですが、たしかに、僕がこれまでの人生で食べたレバニラ炒めのなかで、いちばんおいしかった気がするんですよね。
思い出補正ってやつが大きいのかもしれないけれど。
当時の家のごはんでは、インスタントラーメン(袋麺も含め)やギョーザやシューマイがときどき食卓に並ぶことがあったくらいで、中華料理は、外で食べることが多かったのです。
しばらく前から、家族経営の小さな町の中華料理店が『町中華』というジャンルで紹介されることも増えているのですが、僕にとっても中華料理は、子どもの頃の家族の団欒と、まだ若かった頃の「ひとりでも比較的入りやすくてお腹いっぱいになれる店」という記憶を併せ持つ存在なのです。
世界史の視点から見ると、日本の中華料理とイギリスのカレー料理には、重要な共通点がある。これらはともに、帝国主義が育んだ植民地料理としての一面があるのだ。
今私たちが好んで食べている日本の中華料理は、じつはそれほど古いものではない。そのルーツをたどると、20世紀の帝国と帝国後の時代に広まったものが多い。日本はかつて、19世紀末に中国(清朝)との戦争に勝利して植民地帝国になり、1945年に中国を含んだ連合国との戦争に敗れると、すべての植民地や占領地を失い、占領期を経て国民国家となった。
オランダ・ライデン大学の歴史学者カタジーナ・J・チフィエルトカは、日本帝国の中国への勢力拡大が日本に中華料理を普及させたのであり、そのことは明治期の文明開化が日本に西洋料理を普及させたのと同じくらい重要であると指摘している。この仮説に対して、反発したり、半信半疑になったりする人もいるかもしれない。
しかし、定番中華料理の品々のルーツをいくつかたどっていけば、日本における中華料理の普及に帝国主義が深く関わっていることがわかってくる。そして私はしだいに、こう考えるようになった。つまり、今の日本で人気のある定番中華料理のいくつかは、アジアに勢力圏を広げた日本帝国の飲食文化として受け入れられ始め、さらに敗戦後にはアジアから撤退した日本人の心身を癒すコンフォート・フード(心地よい食べ物として広まったのではないか、と。
正直なところ、「美味しい、懐かしい記憶の中にある食べ物に、イデオロギーを持ち込まれるのは興醒め」だと思いながら僕はこの本を読んでいました。『餃子の王将』で、「日本の帝国主義が……」なんて考えながら天津飯と餃子を食べている人は、まずいないでしょう。
とはいえ、「あの一連の日本と中国の戦争」がなければ、中華料理がここまで日本で普及することはなかったでしょうし、今、日本で定番のメニューとなっている中華料理の多くは、日本の中国大陸進出によってもたらされたものなのです。
それを、太平洋戦争が終わってから80年後の日本人は「懐かしい味」だと感じずにはいられない。
餃子について。
餃子は、1953年頃から本格的に流行し始めた。その当時には「栄養第一主義」、「安くてうまくて、実質的」であるため、「こんにち向き」であるといわれていた。戦後の東京都内には中華料理店が1000軒以上あり、高級店の多くが中国人・朝鮮人によって経営されていたのに対して、餃子店はすべて日本人、とくに満洲からの引揚者たちが経営していた。餃子はまず東京で人気となり、1970年代でもまだ関西より東京で人気が高かった。
ちなみに、餃子は冷凍食品によっても普及した。1960年代からまず冷凍シュウマイの生産が始まり、60年代後半に日本冷蔵(現・ニチレイ)が機械メーカーと共同で成型機を開発し、コスト削減と量産化に成功した。続いて冷凍餃子も、同じ機械メーカーの成型機で生産されるようになった。とくに1972年に発売された味の素の「ギョーザ」が、家庭用冷凍食品として超ロングセラーの優良商品になっている。
中華料理、とくに餃子の普及に関しては、太平洋戦争で負け、焼け野原になった日本が復興し高度成長を成し遂げていった時代の記憶と重なるところもあるのでしょう。
これを書きながら、「そういえば、1941年生まれの僕の父親も、『子どもの頃はバナナを1本丸ごと食べるのが夢だった」と言っていたなあ、と思い出しました。
それを聞いた子どもの僕は「バナナをそんなにありがたがっていた時代があったのか?大げさに言っているのでは?」とか内心疑っていたんですよね。
人は、自分が生きている時代や状況を「ふつう」だと思い込んでしまう。
「餃子」を日本に広めていったのは、満洲からの「引揚者」たちだったのですが、彼らのなかには「懐かしさ」とともに、日本の帝国主義時代を「植民地」で過ごしたことや、帰国後の日本での生活に、複雑な感情を抱いていた人も少なからずいたのです。
晩年には日本でノーベル文学賞にもっとも近いといわれた安部公房だが、戦後当時には作家になったばかりで貧乏な生活を送っていた。それでも、満洲育ちの安部は、ときどき餃子を作って、瀬木(慎一:美術評論家)らにご馳走していた。
(中略)
安部公房は、東京に生まれてすぐに奉天(現・瀋陽)に渡り、16歳までそこで育った。満洲で敗戦を迎えて、1946年末に引揚船に乗って帰国した。安部は、1954年に日本交通公社の『旅』に寄稿した「瀋陽十七年」において、「私は瀋陽を出身地であると言うことに、なんとなく恥じらいと気おくれを感じるのだ」と述べている。その理由として、「簡単に言うと、われわれ日本人はそこで植民地の支配民族として暮らしていたのだということである」、「植民地を故郷だということは絶対できないことである」と説明している。
それから約30年後の1984年になっても、安部は、「たまに夢のなかに出てくるよ、今でも。でもロマンチックなノスタルジーからはおよそ縁遠くなってしまったな。なつかしそうに満洲の思い出話をする連中の気が知れない。植民地支配された人間の内面にたいする想像力の欠如だよ」と語っている。
最後にもう一人、グルメマンガ・アニメの大ヒット作『美味しんぼ』(1983~2014年)の作者である雁屋哲を紹介する。雁屋は、1941年に北京で生まれ、45年に日本に引き揚げていた。雁屋の父は戦時期まで「中国の石炭を日本の国策のために収奪する会社」で働いていて、戦後の日本では引揚者としてあからさまに見下され、くやしい思いをすることが多かったという。
雁屋哲の両親は、戦後の食糧事情の悪い時期でも、水餃子を作ることに非常な熱意を抱いていた。雁屋は2001年の著書のなかで、「日本は中国を侵略して、中国の人々は勿論、日本人にも多くの犠牲を出し、何一つ得ることがなかったが、辛うじて得たものがあるとすればそれは餃子である」と述べている。さらに、餃子が日本人の国民食の一つにまでなったのは「我々引揚者のおかげ」であるという。
こうして、21世紀に入ってようやく、引揚者たちは日本帝国が加害者だったことを認めつつ、餃子を植民地から本国に持ち帰ったことを誇りに思えるようになった。
雁屋哲さんは、近年のネット上では「(侮蔑的な表現としての)サヨク」として批判されることも多いのです。
東日本大震災での原発事故後の放射能の影響に関して、科学的な根拠に乏しい推論を拡散して、物議を醸したこともありました。
でも、この餃子の話、実際に満洲で現地の人と接し、「植民地の支配層」として得た餃子を、それでも「おいしい」と感じ、食べてしまうことへの後ろめたさや、帰国後、同じ日本人のはずなのに「引揚者」として差別されたことへのやるせなさは僕にも理解できそうな気がします。
「餃子をはじめとする中華料理の話をするときに、わざわざ『あの戦争』の話を持ち出してこなくてもいいのに」
それは、「あの戦争」を、実際に体験していない世代の実感であるのと同時に、想像力の欠如なのかもしれませんね。
忘れていくからこそ、今日もおいしいご飯が食べられる、というのも人間の一面なのだとしても。
札幌ラーメン、横浜名物となったシュウマイのルーツなど、中国発祥の食べ物が、なぜ日本の地方の名物となったのか、また、日本統治下の台湾での特産物であったウーロン茶が、敗戦後に飲まれなくなった後、1980年前後から「復活」し、「国民的飲料」となっていった経緯なども紹介されています。
1970年代のはじめに生まれた僕は、中華料理は「ノスタルジー」と「日常の安心」を感じてしまうことが多いのですが、こういう経緯や、自分たちが生きていくために、罪の意識や割り切れない思いを抱えながら、中華料理を日本に伝えてきた人たちのことも頭の片隅には置いておくべきなのでしょう。
僕が直接顔を知っていて、言葉を交わしてきた親やその上の世代の日本人が僕に語ってくれたことには、「日本すごい!」「愛国心を持て!」「国のために戦え!」なんて物騒なものはありませんでした。
世界情勢のなかで、それなりの「備え」は必要なのだとしても、先人たちが「餃子」に対して抱いていた複雑な感情は、「なかったこと」にしてはいけないと思うのです。
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