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【読書感想】人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』
『言語の本質』『学力喪失』の今井むつみ氏 最新刊!
***

慶應大学SFC 最終講義
28年かけてつくりあげた決定版!

「人は、わかっていても間違え、偏った視野をもち、誤解するもの。
だからこそ、どう学び、人とつきあい、社会を生き抜いていくかを考えることが大事。
そのために、認知科学からの知恵とエールをみなさんに贈ります。」

認知心理学のものの見方・考え方が、
複雑で、正解のない世界と対峙し、判断していくための手がかりとなる。
世界的な認知科学者が贈る知恵とエール!


この本の著者・今井むつみさんの『言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書)を2023年の11月に読みました。

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『言語の本質』での「子どもが、どのようにして『ことば』を覚えていくのか?」という推論はすごく興味深かったのですが、「オノマトペ」の話がずっと続くところなどは、読んでいて、ちょっとつらくもありました。

この『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』は、大学での退官前の最終講義ということもあって、著者がこれまで取り組んできた「認知心理学」について、予備知識がなくてもわかりやすく、まとまった知識が得られる本だと思います。
これから読むのであれば、こちらからはじめて、興味を持ったら『言語の本質』を手にしてみる、という順番が良さそうです。

 まずは、「認知心理学とは何か?」という、一番大切なことからお話していきます。
 認知心理学は一言でいうと、「そもそも」を問う学問です。

 そもそも人は、世界をどう見て(視て)認識しているのか。

 そもそも人は、世界のどういう情報に注目し、処理し、理解しているのか。この、「どういう情報」の中には、コミュニケーション、つまり「相手が言ったこと」や「テキストの言語情報」も含まれますし、「言語以外の情報」もあります。外界の物音や人の声の高さや強さ、表情などは「言語以外の情報」の例ですが、他にもたくさんあります。そういった、たくさんの種類の膨大な量の情報の中で、どういう情報に注目し、処理し、理解しているのかを問うことです。

 そもそも人は、その情報を、どのように記憶しているのか。
 そもそも人は、どのように知識を創っているのか。

「知識を創る」というからには、「そもそも知識とは何か」ということも考える必要があります。そうなると、「知識と記憶はどう違うのか」とか、さらには「事実とどう違うのか」などということも、考えなければならないわけです。

 そもそも人が思考し、判断して、意思決定をするというのは、どういうことなのか。
 そもそも人が学ぶというのは、どういうことなのか。

 これらの「そもそも」から始まることを、認知心理学では扱います。


よく「物事を客観的に見るべきだ」といわれるけれど、ひとりの人間は、本当に、「客観視」できるのか?

著者は、同じ物体の絵なのに、影のつけかたでそれが浮いているように見えたり、地面に接しているように見えたりする、という例や、同じ絵でも、人の顔が並んでいる後に見たら「人の顔」だと感じ、動物の絵が続いている後だったら「ネズミ」だと判断する、という「文脈の影響」を紹介しています。

また、「因果関係」や「確率思考」が、自分の思い込みやイメージに左右されやすく、「本当は因果関係がないもの」どうしを結び付けて、「これが原因だ!」と判断してしまいやすい、という研究も出てきます。

実際のところ、「確率の計算」となると、いくつかの要素が含まれていて、ちょっと複雑になっただけでも、正しく計算するのは大変なのです。

 ここまで、「私たちには確率を正しく捉える能力がある」ことを前提に話を進めてきました。しかしそもそも、私たちはどの程度正確に確率を計算して、その結果に基づいて合理的に判断することができるのでしょうか。次のような問題で考えてみましょう。

 ある国に、1000人に1人の割合で、ある感染症にかかっている人がいる。その感染を判定できる検査薬を使うと、感染している場合には98%の確率で陽性反応が、非感染の場合には99%の確率で陰性反応が出るとする。
 さて、Aさんがこの検査薬を使い、陽性反応が出た場合、この人が本当に感染している確率はどのくらいか。

 Aさんではなく、自分に置き換えて考えてもいいですね。感染症ではなく、1000人に1人がかかる癌としてもいいでしょう。この確率のもとで「陽性反応」が出た場合、あなたはどう思うでしょうか?


「感染している場合には98%の確率で陽性反応が、非感染の場合には99%の確率で陰性反応」という記述にとらわれすぎてしまうと、100%に近い、「陽性」=「感染」が思い浮かびます。
しかしながら、「もともと1000人に1人がかかる感染症」という前提を含めて計算していくと、(紹介されている数式の詳細は省きますが)陽性反応が出た人が実際に感染している確率は、約8.9%になるのです。
この話を読んで反射的に思い浮かんだ数値よりも、かなり低い、と感じた人が多かったのではないでしょうか(僕もそうでした)。

人間が陥りやすい「バイアス(先入観や偏見)」についても「知ってるつもりバイアス」として、こんなエピソードが出てきます。

 知り合いの文具メーカー勤務の会社員の方から聞いた話なのですが、その会社で女子高生向けの文房具の企画会議をしていた際、若い女性社員の意見に対して、年配の部長の男性がダメ出しをすることがあったそうです。そのときの部長の発言は、次のようなものだったといいます。
「女子高生なら、その企画に賛成はしないよ。イマドキの女子高生の好みはずいぶん変化しているからね」
 部長は滔々と語ったとのこと。その間、つい数年前まで女子高生だった若手社員や女子高生の娘を持つ母親社員は、ずっと下を向いていたといいます。
「そうじゃないんだけどな……」と思っても、部長が得意げに披露する「イマドキの女子高生論」を否定するわけにはいきません。結果として、その会議では何も決まらず、次回に持ち越しになったと言っていました。


この部長、「勉強」されているんだろうな、とは思うのです。目の前の最近まで女子高校生だった人の意見は「個人の感想」なのかもしれません。
「自分はわかっている」「ちゃんと勉強している」と思い込んでいる人ほど、こういう「目の前の人を見ずに、ビジネス書で得た知識を受け売りして悦に入っている」のはよく見かける光景です。
著者は「自分の労力の過大評価+他者の労力の過小評価」バイアスや、「自分の常識の過剰一般化」バイアスなども例示しています。
さまざまな「バイアス」からすべて解き放たれた人など存在しない。

著者は、これらのバイアスがAIや(人間以外の)動物には存在しない、と述べています。
そして、悪い意味で使われがちなこの「バイアス」は、必ずしも「悪」ではないのだ、むしろ、人間の「学習」において、大事な役割を果たしているのです。

「知ってるつもりバイアス」がない──つまり、「身の回りのものについてその仕組みも含めて詳細に知らないと、そのものを使うことができない」──と、どういうことになってしまうでしょうか。
 たとえばスマホスマホについて、日常で必要な使い方だけでなく、すべての機能どころか、そのメカニズムまで知らないと使えないとなったら、スマホを使える人は存在しなくなりますよね。私たちは機能もメカニズムも知らないその機械に、大切な個人情報を預けてさえいるのです。


「根拠のない自信」というと、印象が悪くなりそうですが、「自分の経験への過剰なくらいの確信」がないと、人間というのはここまで柔軟に新しいことに適応できなかった、とも言えます。

 限界や制約が、人間を独自の思考スタイルに導いた。ですからこの思考スタイルは、動物、そしてAIとも異なります。
 
 では人間は、いったいどのように思考しているのでしょうか。
 それは、スキーマに頼った「アブダクション推論」です。
 このアブダクション推論が、人間の非常に特徴的な推論のしかただと私は考えています。
 
 アブダクション推論は、なかなか定義が難しいものですが、特徴としては「正解が一義的に決まらない、論理の跳躍を伴う推論」であるといえます。ある種の非論理的な推論です。

 みなさんの中には、電車の中で気分が悪くなるなどして、どうにもならない状況で遅刻をしたことがある方がいるのではないでしょうか。そのときのたった1回の遅刻のために、「だらしない奴だ」という烙印を押されてしまったことがあるかもしれません。
 これもアブダクション推論の一種であり、これには「過剰一般化」と名前がついています。

 1人が何かをしたときに、それを集団全体にあてはめてしまうのも、アブダクションによる典型的な過剰一般化です。
 たとえば外国人が犯罪を起こして逮捕されたとき、「外国人はみな、犯罪者だ」というようなリアクションをする人がいます。
 政治家の中にも、ごく一部の事例を持ち出して、あたかもそれが全体のことのように語る人がいますね。こうした偏見は先ほども述べた「代表制バイアス」といわれるバイアスですが、これもまたアブダクションの一種です。


 アブダクション推論って、偏見や思い込みによる誤解を生み出す「人間の弱点」ではないのか、と思ってしまうのですが、著者は、こういう「演繹法のような論理に基づかない、飛躍した思考法」が、人類の発達のために、大きな役割を果たしてきた可能性が高い、と考えているのです。
 科学者や研究者は、ときに「これまでのデータから、直接の因果関係は証明できない仮説」を立ててきました。
 そういう「非論理的なこと」「これまでのデータの積み重ねだけでは証明できないこと」は、少なくとも今のAIにはできないのです。

 ここでもう一度、人間とAIの決定的な違いについて考えておきましょう。
 先ほど、AIはアブダクションをしない、という話をしました。そしてもう一つ、決定的な違いがあります。それは、AIは「記号接地」をしない、ということです。

 この記号接地問題は、今のようなニューラルネットワーク(脳の神経回路をコンピュータプログラムで模倣し、脳の機能を人工的に表したもの。そのモデル)型のコンピュータが開発される前、1990年代からいわれてきました。
 AIは身体を持たないので、直接観察した世界を見ることができない。あるいは身体で感じることができない、。触って感じることができない。感覚と紐づけることができない。実際、今のニューラルネットワーク型になっても、AIが行っているのは確率情報の計算であり、「意味」を考えているわけではありません。そのため、予測をしたとしても予測の背後のメカニズムを考えることはありませんし、何かが起こったときにそれが因果関係にあるのか、偶然一緒に起こっただけの疑似相関なのかの見極めもできません。さらにいえば、創造できるのはAIを使っている人間であり、AI自身は新しい知識の創造はしないのです。


ChatGPTで作った文章をみると、「これはもう、少なくともその分野の素人には到底かなわないレベルだな」と脱帽せざるをえないのですが、「創造性」という点では、まだまだ人間に一日の長がある、というか、AIが現在の身体感覚を持たないものであるかぎり、人間には追いつけないということなのでしょう。

僕などは、むしろ、最近は人間のほうが「創造性」を失いつつあり(すぐに炎上しますし、「売れるもの」ばかりつくろうとしてしまいますし)、AIに近づいてきているのではないか、とも感じているのです。
そして、AIの限界というのも、「AIを利用し、恩恵を受ける物質的な存在としての人間の限界」なのかもしれません。

ニュートンは、リンゴが落ちるのをみて万有引力の法則を思いついた、という有名なエピソードがありますが(事実かどうかは異論もあるようです)、AIには、そんな発想の飛躍はできないのです。

人間の「人間らしい」アブダクション推論は、偏見や差別を生み出し、その一方で、文明の発展に貢献している。
なにが善でなにが悪なのか、そもそも、絶対的な善悪などというものが存在するのか。
そう考えたらキリがないから、人間は「神」や「宗教」をつくらざるをえなかったのかもしれませんね。


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