Kindle版もあります。
これはすべて実話である!!
初代タイガーマスクが登場しプロレスブームに沸く1980年代前半、『週刊少年サンデー』に連載され、少年たちの心を鷲掴みにした漫画『プロレススーパースター列伝』(原作・梶原一騎)。ファンタジーと実話の融合が魅力の一つだったこの伝説的作品の制作秘話を、作画を担当した原田久仁信氏が初めて余すところなく明かす!
同じく原田氏が作画を担当した梶原一騎の遺作『男の星座』を巡る知られざる逸話なども盛り込まれ、漫画家・原田氏の自伝的作品ともなっている。
渾身の描き下ろし漫画『「列伝」よ、永遠なれ』(33ページ)も収録!
著者の原田久仁信(はらだ・くにちか)さんが作画を担当していた『プロレススーパースター列伝』は、1980年から83年にかけて『週刊少年サンデー』(小学館)で連載され、小学館コミックスは17巻まで発売されています。
当時、小学校高学年で、金曜日の午後8時になると『ワールドプロレスリング』を欠かさず観ていた「プロレス少年」だった僕は、書店でこの作品の『タイガーマスク編』のコミックスを見つけたのがきっかけで、夢中になって読んでいた記憶があるのです。
あの頃は、クラスの男子のほとんどが「プロレス少年」で、学校の掃除の時間などに、サボって「プロレスごっこ」とかをやっていました。
原田さんは、この漫画の原作者・梶原一騎さんについて、たくさん書いておられるのですが、あの頃は、いろんなことが、今よりも良くいえば「おおらか」、悪くいえば「ゆるい」時代だったような気がします。
梶原一騎さんに関しては、毀誉褒貶が激しい、というか、晩年は暴力事件などのスキャンダルのイメージが強くなってしまいましたし、「スポ根(スポーツ根性もの)」というジャンルも現在では流行らなくなりました。
とはいえ、「努力・友情・勝利」みたいなコンセプトは、ずっと少年漫画の「王道」ですし、『あしたのジョー』や『巨人の星』など、今でも語り継がれている作品の生みの親でもあります。
亡くなって時間が経ち、あの頃梶原作品に触れてきた子供たちが中高年になって「人生」を経験することによって、再評価されてもいるのです。
どこまでが本当で、どこからが作り話かわからない。虚実入り乱れた梶原一騎作品は日本のマジック・リアリズムなのかもしれません。
梶原一騎作品を信じることで子どもは成長し、疑いはじめることで大人になっていく。
1970年代はじめに生まれた僕にとっては『あしたのジョー』や『巨人の星』は、アニメを再放送で観るもの、という感じで、リアルタイムで漫画を読んでいて、いちばん印象に残っているのは、この『プロレススーパースター列伝』なんですよね。
原田さんは、『列伝』のさまざまな名場面について書いておられるのですが、出てくる場面を僕もほとんど覚えていることに驚きました。読んだの何年前なんだよ自分……当時は何度も繰り返し読んだとはいえ。
いまでも思い出深いのは、日本プロレスを除名され、新日本プロレスを旗揚げした猪木が、師であるカール・ゴッチの電話を受けるシーンだ。
旗揚げ戦に向けて、どんな大物選手を集めてくれたか期待する猪木に対し、ゴッチは「日プロ(日本プロレス)の圧力」で交渉が難航していることを伝える。
ところがここで、ゴッチが「興行は成功する!」と太鼓判を押すのだ。
<新日本プロレスの旗あげ興行は立派にやれるッ! 一人の超大物レスラーが日本へいき、きみと戦うからな!>
<エッ……そ、その超大物とは!?>
<わたしだよ。それともカール・ゴッチは超大物ではないかな?>
僕が後年、『男の星座』で再び梶原先生と仕事をさせていただくことになったとき、ふと思い出されたのがこのシーンである。
この場面、僕もよく覚えています。読んで泣いた、号泣したことも。
ちなみにこれが実話かどうかは不明で、原田さんは、のちに知った、カール・ゴッチ参戦の裏話も書いておられます。
「千の顔を持つ男」ミル・マスカラス編でのこんなエピソードも紹介されていました。
周囲からの妬みを買ったマスカラスは、ブッチャーと同じくバトルロイヤルで集中砲火を受け、足を骨折する重傷を負ってしまう。ここで登場するのが、かつてマスカラスにひどく痛めつけられ惨敗した「不死身仮面」アズテカだ。
控え室にアズテカの姿を見たマスカラスの弟、ドスカラスは「よりによって嫌な奴が来た」と警戒する。ところがアズテカは、杖をついているマスカラスの姿を見て、思わせぶりにこんなことを口走るのだ。<ウラウナ火山の頂上近い西側に、ごくぬるい鉱泉がわいてるが……なぜか、これが魔法のように打身、骨折にはよくきくんだよな。おれは骨折するとすぐに出かけたっけよ。オット!昔やられた宿敵に教えちゃソンだ。あばよ!>
これまで何人の人に「あの火山は本当にあるんですか?」と聞かれたか分からない。それほど、この秘湯が印象に残った読者が多いのだろう。
僕も当時、世界地図でメキシコの地名を隅々まで調べたが、そのような火山はなく、鉱泉のような観光地も見当たらなかった。週刊誌のスケジュール上、迷っている時間はないので、火山を想像で描くしかない。火山と砂漠と日本の温泉を合体させるようなイメージで、ドスカラスが覆面をしたままジープに乗って現場に向かうという、我ながら不自然な絵になってしまったが、結果的に読者の印象に残ったのであれば、それに越したことはない。
ウラウナ火山!
この場面、いままで「悪いヤツ」だと思っていたアズテカが、他のレスラーがマスカラスを妬むなかで、大怪我をしたマスカラスを気遣うという意外性もあって、すごく印象に残っています。
原田さんは梶原一騎さんの作品について、「全面的に善いもの、正しいものではなく、矛盾に満ち、弱さや悲しみを持った人間の『人間くささ』を描こうとしていた」と仰っていて、『プロレススーパースター列伝』は、ヒール(悪役)がすごく魅力的だったのを思い出しました。
『列伝』について、いまだによく読者の方々から質問されるのは「あの猪木コメントは本当だったのか?」という点だ。
結論をいえば、すべては梶原先生の創作である。僕がそれを知ったのは連載が始まってだいぶたってからのことだった。練馬高野台のご自宅で、僕は勇気を出して質問した。
「あの”猪木(談)”というのは大変ですよね。毎週、忙しい猪木さんに話を聞かなくてはいけないわけですから……」
すると梶原先生は、あまりにもあっさりこう言うのだ。
「お前、何を言ってんだ。聞くわけねえだろう!」
大胆すぎる創作と、それを許していた猪木の度量に、僕は再び衝撃を受けた。「伝説は信頼から生まれる」とは、まさにこのことである。
あの「アントニオ猪木(談)」は、みんな梶原先生の創作だったのか!正直、そんな気はしていたけれど!
以前からの交友関係やタイガーマスクの肖像権などもあって、新日本プロレス(猪木)側も強く出られなかった面はあるにせよ、40年前は、現在、2024年からみると、本当に「ゆるい」時代だったのです。
梶原さんと原田さんは原作者と作画担当、という関係だったのですが、作画担当者にも「どこまでが事実・真実か」は、ほとんど明かされないまま、原作が渡されていたということもわかります。原田さんから梶原さんに「ウラウナ火山って、どこにあるんですか?」と聞けるような関係ではなかったのです。
そんないいかげんな!とも思うのですが、原田さんは、自分の自由に描かせてもらえるところが多くて、やりやすい面もあったし、自分には梶原先生の原作が向いていたのではないか、と振り返っておられます。
のちに、他の原作者の作画を担当した際には細かいところにまで「原作と違う!」とクレームをつけられてやりづらいこともあったそうです。
また、梶原さんの事件で『列伝』が打ち切られてしまったあと、原田さんは自らプロレス界を取材した連載をはじめるのですが、あまりうまくいかなかったと仰っています。
梶原一騎的な作品は、その後もいろんな人の手によって生み出されてきたけれど、結局、「本家」は唯一無二だった。
そして、原作者と作画担当者には、人間的にも、作風的にも「相性」があるのです。
梶原先生とうまくいかなかった漫画家もたくさんいます。
巻末に収録されている描き下ろし漫画を読みながら、僕も自分のこれまでの人生を振り返らずにはいられませんでした。
僕は本当にこの漫画が大好きで、梶原先生の事件で突然打ち切りになってしまってから、いつかまた続きを、他のレスラーの「とんでもないけど、もしかしたら本当かもしれない話」を読みたいなあ、と思っていたのです。
そうして、なんとか生きているうちに、こんな年齢になってしまった。
猪木さんも馬場さんも、プルーザー・ブロディも、鬼籍に入っています。
あの頃の自分に「アントニオ猪木(談)」は、みんな梶原先生の創作だぞ!と教えたら、どんな顔をするだろう。
それでも、フィクションに、作り話に励まされる人生も、きっとあるのだと思います。
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