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【読書感想】本を読めなくなった人たち-コスパとテキストメディアをめぐる現在形 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

著者による『映画を早送りで観る人たち』の待望の続編!
〈倍速視聴〉から見えたコンテンツ消費における〈コスパ〉〈タイパ〉という欲望は、
読書においてはどのように作用しているのか。
本作では、「本を読めない人たち」への徹底取材をはじめ、
テキスト受容を取り巻く読者と出版社/ウェブメディアの現状をリポートする。
一体「本を読めなくなった人」は何を考えているのか。
2010年代以降、本が読まれないことが当たり前になるなか、
ほとんどフォーカスされてこなかった。
生の声を取材することで、現代社会のメディア状況への考察を深めていく。


僕自身は、ずっと本を読んできました(本が好き、というのもあるのですが、現実逃避の手段でもあったと思うので、本を読むのが偉い、とは微塵も思わないけれど)。
リアル書店が街からどんどん消えていき、雑誌文化がネットに吸収されていくのもリアルタイムで経験してきたのです。

実際のところ、マンガとか文芸誌ならともかく、「いま」の情報を得るためには、紙媒体だと時差が気になるのも確かなんですよね。
投資の情報誌とかをみると、そこに書かれている「株価予想」「会社評価」と現在の株価や経済の状況の違いに「情報」の鮮度を感じずにはいられないのです。
トランプ関税とか、雑誌をつくっている段階では、予想もつかなかっただろうし。

僕自身は、体系的な知識、ひとつのジャンルの専門的なことの基礎を確認するため、あるいは専門家の深い知見を参照するためには、本は相変わらず優位性があると思っています。
みんなが「本や新聞を読まなくなった」からこそ、なおさら。

その一方で、「本というのは、娯楽として、情報収集の手段としての『最適解』なのか?」という疑問もあるのです。

「本」という情報伝達形式が普及する前は、知識は対人で教えてもらうしかなかった。
活版印刷術のおかげで、文字によって、多くの人々に同じ情報を共有してもらえるようになったけれど、それは「対面で教えてもらうよりも効率(コスパ)がよい方法だった」からなのです。

そう考えると、本よりもSNSの短い文や動画で情報を得るのが主流になったというのは、「より効率が良い方法に若者たちがシフトしていっただけ」なのかもしれません。

「長文が読めなくなった」「読解力が落ちた」と言われるけれど、情報を売ったり、広告を見せたりして稼ぐ側も、結局のところ、啓蒙よりも目先の収益を重視しがちですし。

そもそも、「本を読めなくなった」のではなく、「本はもともと読まれていない」のです。
著者も、この本の冒頭で「16歳以上の日本人の6割以上は、1か月に1冊も活字の本を読まない。その傾向はもはや60年も続いている」ことを指摘しています。


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この上記リンク先の新書では、「本は読まれなくなったわけではなく、買われなくなっただけ」という議論もされています。

ネットで「短文化」しているとしても、SNSやLINEで文字を読んではいるのです。

しかしながら、そのSNSも、かなり変容してきています。

(『X(Twitter)』の)多様性が失われた理由とは何か。多くのウェブ編集者が口を揃えるのが、2022年10月にTwitter(現X)を買収した実業家のイーロン・マスクが策定した方針によって、日本に配置されていた同社のキュレーションチームが消滅したことである。
 キュレーションチームの仕事が「彼らが意義があると判断した記事を人目に触れさせること」だった。手順はこうだ。まず、各サイトのウェブ編集者らが自社で作った記事のリンクを含むモーメント(同じテーマのツイートや付随する反応を連結したまとめ記事)を作り、Twitter社のキュレーションチームに連絡する。キュレーションチームはそれを審査し、意義があると判断すれば、トレンド欄などTwitter内の目立つ場所に配置する。つまり、モーメントを多くの人の目に触れさせることで人為的にバズらせていたのだ。


このキュレーションチームの業務に関しては「Twitter社の世論誘導だ!」という批判も多くあったそうですが、キュレーションチームがなくなったあとの『X』には、大きな変化がみられました。

 しかし、防波堤がなくなったことで、Twitter、のちのXは、野放しで品位の欠けた「便所の落書き」のごとき様相を呈しはじめる。
 当時をベテランウェブ編集者氏が振り返る。
「キュレーションチームの消滅から数日後には、早くも影響が表れました。いつもならTwitter経由で読まれていたような骨太な記事のPVが、明らかに伸び悩むようになったんです。並行して、品のないワードが頻繁にトレンド入りするようになりました」
 ヘイトや誹謗中傷、真偽不明の憶測、フェイクニュースや陰謀論、炎上への加担や便乗といった投稿が、Twitter上で頻繁にバズるようになった。短絡的で刺激的な情報だけを求め、他人の不幸に笑いを浮かべ、成功者が炎上することで溜飲を下げるユーザーが、このような投稿にこぞって「いいね」を押し、リポスト(再投稿)したからである。
 その後押しをしたのが、投稿のインプレッション数(表示回数)に応じて投稿者が収入を得られる仕組みの導入だ。Xが、何でもいいからとにかく人目を引く投稿をすれば儲かるプラットフォームに変貌したのである。
 しかも、Xのポスト文面(連投の場合、その1ポスト目)に外部リンクのURLを入れると、表示の優先順位が下げられるようになってしまった。マスクによる買収後、そういう仕様に変わったのだ。バズりやすいのは、リンクを踏んでわざわざ読みに行かなくてもよい短文、もしくは画像投稿になった。


僕も最近の『X』には、うんざりしているのです。
「オススメ」されてくるのは、スキャンダルや、炎上狙いや、事実かどうかわからない「ひどいことをされた話」に、どこかで聞いたような「美談」ばかり。昔は、もっと普通の人の日常が覗ける場所だったのに(かなり昔の話ですが)。

「バズったので宣伝させてください」を見ると、これも、か……という気分になります。
とはいえ、日本のSNSとしては圧倒的なシェアを持っているので、避けても通れないし……
必要な情報を、こちらからキーワードを指定して取りに行けば、十分「使える」ツールではあるのだけれど、表示されるオススメのタイムラインに流されるだけだと、本当に疲れます。


この本のなかでとくに興味深かったのは、若者たちの「生の声」を著者が紹介しているところでした。

「本はたった1000円、2000円で何時間も楽しめるからコスパがいい」という読書好きの主張を時おり耳にする。しかし、本と縁遠い人たちの主張は逆だ。
読書はコスパが悪い。「ながら」ができないからだ。
「本って、向き合わないと内容が入ってこないじゃないですか。だけどドラマとかアニメって流しても内容が入ってくるから、他のことをやりながら観られる」(K子さん・私大2年)
「スマホゲームやSNSの閲覧に比べて、本を読むことは何かと同時に並行してできない。そう考えると、本は後回しですね。本を読む時間があったら、洗濯したり、食事を作ったり、家庭用ゲーム機でゲームをしたり、課題をやったりします。読書は老後とかになっちゃうのかな(笑)」(G夫さん・私大2年)
「本だけを読む時間は取りたくないですね。『ながら読み』ができないから」(E子さん・短大2年)
「YouTubeのほうが楽じゃないですか。音声だけ聴きながら別のこと、たとえば片付けしながらでも見られるから。でも、読書はわざわざ時間を作らなきゃいけない」(H子さん・国立大2年)
 若者世代にとって、「ながら」は常識だ。リビングのテレビやPCで配信ドラマやアニメを流しながら、手元のスマホでSNSをチェックする。ネットニュースを流し読みする。友人にメッセを打つ。
 K子さんは、メッセを打ちながらドラマやアニメを観るだけでなく大学の課題もこなすが、人によってはドラマを見ながらスマホでウェブトゥーン(縦読み漫画)を流し読みする。つまり「物語を見ながら物語を読む」。
 しかし読書だけは、「ながら」ができないと彼らは言う。テキストの連なりという点ではXやネットニュースと同じだが、やはり本で提供される膨大な文字量、章単位の構造、体系的記述は、それらとは違うものだと──本を読まない人たちですら──気配で察知している。

著者は、このインタビューを、特定の高偏差値の大学などに偏らないように、なるべく広い範囲の若者に行ったそうですが、「本が読めない子どもたち」の「学力」が問題視されるけれど、高偏差値の有名大学にも、「本を読めない(読まない)若者」は、少なからずいたのです。

もしかしたら、「本を読む=勉強する」というのは、僕のような古い世代の思い込みなのかもしれません。
かつて、「人に教えてもらう」から「本を読む」のが学びの主役となっていったように、「本を読む」から、「動画を観る」「SNSで3行でまとめられた情報を確認する」ことがメインになっていく時代の変革期に直面して、僕は戸惑っているだけなのだろうか。

うちの2人の子どもたちも、iPadでYouTubeの動画を流しながら、Switchでゲームをやる(しかもアクションゲーム)なんてことを当たり前のようにやっていて、それで理解できるのか?とは思うのです。

音楽やラジオの深夜放送を流しながら勉強する、とかは僕もやっていたし、思い返せば、『ドラゴンクエスト』のレベル上げをやりながら本を読んでいた記憶もありますが……

案外、人間の脳というのは、ひとつのことに集中しようとすると、かえって空回りしてしまうものなのだろうか。


こんな話も出てきます。

 次に、「本好きがつながれる場所」について考えてみよう。
「つながる」の意味は、その本屋にコミュニティスペースとしての機能を持たせたい、持てたら素敵だということだ。カフェを併設したり、トークイベントを頻繁に開催したり、という方針にはそれが表れている。ここで言う「本好き」とは大概、話題のビジネス書や自己啓発書や実用書を好む者ではない。むしろ、その種の本とは異なる本を愛する自分を愛する同志たちが出会い、連帯できる本屋。それが「本好きがつながれる場所」というわけだ。
 ただし、そのような価値観が相容れないと考える「本好き」もいる。
 本と書店の紹介サイト「空犬通信」を運営し、読書会の選書・講師なども行う空犬太郎(Xのプロフィールによれば、中央線沿線在住の出版関係者)は、Xに「『人とつながれる』かどうかって、書店の機能・役割として、そんなに必要なものなんだろうか。顔なじみの書店員さんと話したりはするが、本屋にはつながりを求めていくのではなく、本を求めていくのだ」とポストした。


僕はこれを読みながら、「人とつながりたい、とかいうコミュニケーション強者だったら、僕は本とか読まなかったんじゃないか」と思ったのです。学生時代、昼休みに同級生と「雑談」をすることや校庭で苦手な球技をやること、「仲間に入れて」と声をかけることができなくて、それでも、本を読んでいれば「本好き」と見なされて格好はつくから、図書館で過ごしていました。

もちろん本は好きだけれど、本はそれ自身で僕の孤独を認めてくれるものであり、それを媒介にして誰かと積極的につながろうなんて思わない。
僕の場合は、いまもこうして本の感想のブログを書いているくらいなので、誰かとつながりたいという気持ちもあるのだろうけれど、それはボトルに入れたメッセージを海に流して知らない誰かに読まれるかなあ、と想像するようなもので、前のめりに「つながり」を求めてはいないのです。

僕は書店に50年近く通っていますが、書店員さんと本の内容について言葉を交わしたのって、ファミコン版の『ドルアーガの塔』の攻略本がベストセラーになったときに、レジの若い女性に「この本、ものすごく売れているんだすけど、何の本なんですか?」と尋ねられたことが一度あるくらいです。
「書店員さんおすすめ!」のPOPがあって平積みされている本は、妙に意識してしまってなかなかレジに持っていけません。

脱線しまくりましたが、「本を読まない」「読めない」というのは、そんなに悪いことではないような気もしています。
ただ、SNSとかYouTubeの動画に関しては、収益が優先されやすく、「石が多い『玉石混淆』だから、鵜呑みにしていたらとんでもないところに連れていかれるぞ」と言いたいし、「本を読まないのが普通になった時代」だからこそ、「本を読む」ことに価値が生まれている面もあるとも思うのです。


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