久米さん、亡くなられたのか……
僕にとっては、子どもの頃、毎週楽しみにしていた『ザ・ベストテン』での黒柳徹子さんや出演歌手との軽妙なやりとりがすごく印象に残っています。
黒柳徹子さんが、番組のなかで、「これだけ働いていても、1時間のうち45分(だったと思う)くらいは税金です。それに文句を言うつもりはないけれど、それならば正しく税金を使ってほしい」と訴えていて、それに久米さんも頷いておられたのを今でも覚えています。
久米さんは、TBSの局アナとしてスタートしたのだけれど、永六輔さんの番組内でのリポーターから黒柳さんに見出され、『ザ・ベストテン』の司会者に抜擢されたそうです(その経緯、僕は後日知りました)。
久米さんは、子ども心にも、とにかく洒脱で格好いい人でしたし、それは終生変わらなかったように思います。
数年前まではラジオのレギュラー番組を持っておられたのですが、そのなかでも久米さんらしい物議を醸すことをおそれないコメントをしばしばされていて、番組が終わってしまったときには寂しくも感じたのです。
いかにも軽薄そうで、時代に媚びていて、いけ好かない人。でも、久米さんの番組は面白かった。
横山やすしさんとの『TVスクランブル』とか、毎週観ているほうがハラハラするくらい一触即発なのに慣れ合っているような不思議な危うさをはらんだ番組だったんですよね。
正直なところ、肺がんを患っている人が、末期にサイダーの一気飲みとかできるのか?酸素とかも使っているだろうし、などと思うところもありますが、久米さんは最後まで人前に出るときには久米宏としてふるまっていましたから、これもまた「らしさ」を貫くために必要だったのでしょう。
久米さんは、2017年に本を上梓されています。
この本のなかで、「若い頃は反抗心が強かった」という久米さんが、どうやって他のアナウンサーと自分を「差別化」していったか、が述べられています。
誰とも違う個性を打ち出すためには、逆に「生活感のないアナウンサー」を目指そうと思った。身の周りの話ではなく、世界情勢や日々の事件・事故、宇宙や自然のあり方を話題にする。普段の生活が見えず、架空の人物の存在としての「久米宏」。
たとえば「今日は暑いのでポロシャツを着てきました」ではなく、「この服は綿100%です」から始めて木綿や染色の歴史、なぜ綿のシャツは洗濯すると縮むのかを話す。「秋の風が吹き始めました」よりも気圧配置の話をする。
それは自分の道を切り拓くための戦略であると同時に、僕たち夫婦のあり方から導き出された必然でもあった。現実の家庭はそれほどアットホームではなく、「温かい家庭」など幻想でありフィクションにしかすぎない。それは普通の夫婦のあり方とは違うかもしれないが、そんな二人の人生観、家族観が善かれ悪しかれ、僕の仕事の全体に大きく影響している。
ラジオでもテレビでも、僕は自分の家庭のことをほとんど口にしたことがない。話し方も家庭的ではない雰囲気、よく言えば「クール」、悪く言えば「冷たさ」とも受け取られる。
久米さんは当時のアナウンサーのなかではかなり異質に映っていたのですが、それは久米さん自身の「生存戦略」でもあったのです。
長年の盟友である黒柳徹子さんは、追悼コメントで、「本当は涙もろく優しい人だった」と仰っていますが、そういう人であったからこそ「キャラクターとしての久米宏」を保ち続けようとされてきたのかもしれません。
『ザ・ベストテン』で司会者としての地位を確立し、報道番組の革命を起こしたのが『ニュースステーション』。
『ニュースステーション』が始まったのが1985年10月7日で、終了したのが、2004年3月26日。20年近く続いた番組だったのです。
久米さんがビールを口にして番組を終わらせてから、もう20年以上も経つのか、僕も年を取るはずですね……
『ニュースステーション』の最初は技術的にも拙く、真面目すぎる内容も多く、視聴率も上がらなかったそうです。
それが、1986年1月26日のアメリカのスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故の映像を持っていたCNNとテレビ朝日が独占契約しており、現地からのリアルタイムの映像を流すことができたことと、同年2月25日の「フィリピン2月革命(マルコス大統領の退陣とアキノ政権成立)」によって、番組は軌道に乗り始めます。
久米さんは、こんな話をされています。
こうした細部へのこだわりは、ニュース原稿の内容からその読み方、表情にも及んだ。
記者が書いたニュース原稿は夕方から五月雨式に僕の手元に集まって来て、午後9時40分ごろに一気に押し寄せてくる。原稿には独断でかなり手を入れた。本番の最中に直すこともあれば、読み始めてからアドリブで言葉を差し替えることも少なくなかった。
原稿をどのように手直ししたか。初めのこと目についたのは、昔ながらの名文調、美文調、紋切り型の文章だった。「心が洗われるような白い雪」「憎しみが憎しみを招く連鎖」。
必要なのは、美しい文章でも、かっこいい文章でもない。聞いてわかりやすい文章だ。だから、なるべく書き言葉を使わず、話し言葉にする。記者には「普段話す言葉で書いてほしい」と繰り返しお願いした。
たとえば「投棄した」ではなく「投げ捨てた」。「回想する」は「思い出す」。常套句の「なりゆきが注目される」など日常では使わない。「どうなるんでしょう」でいい。
往々にして文章が長かった。1回息を吸って吐いたらワンセンテンスが終わるくらいでなければ、原稿を読む側はもちろん、聞いているほうも苦しくなる。文章はどんどん短く切った。1ページ分を削除したこともあった。
語順は理解しやすい論理の組み立て方に並べ変えた。形容詞は形容する名詞の一番近くに持ってくる。「白い洗い立てのシャツ」ではなく「洗い立ての白いシャツ」。主語はなるべく前のほうに置いたほうがわかりやすい。「九州地方に台風が接近しています」ではなく、「台風が九州地方に接近しています」。主語と動詞の関係をはっきりさせる。「赤い車に乗った年配の男女」ではなく、「年配の男女が赤い車に乗っている」。
「さて」「ところで」「一方で」といった転換の接続詞はなるべく使わない。場面が変われば、あるいは読み手の気持ちが変われば、視聴者にとってはすでに「さて」となっているからだ。
パンダを見ると「かわいい」、桜ならば「きれい」といった手垢のついた言葉は使わない。違う表現を考えるようにする。
季節の話題を伝える場合、「今、あじさいが満開です」まではいい。しかし、その後に「ぜひお出かけになってみてはいかがでしょうか」といった慣用句は要らない。行くか行かないかは聞いた人が自分で決める問題だ。
書き手、話し手が自分の博識をひけらかすような「名文調、美文調、紋切り型の文章」から、「とにかく聞いてわかりやすい表現」へ。
送り手の価値観を押し付ける表現から、慣用句を捨て、相手の自主性を尊重するほうへ。
『ニュースステーション』という番組自体は、「偏向報道ではないか」と叩かれることも少なからずありましたし、久米さんの「わかりやすさに振り切ったニュース」は、「わかりやすくするために、必要なディテールを切り捨てている」ようにも僕は感じていました。
「ちゃんとしているけれど、難易度が高くて、聞く側にも予備知識や勉強、一生懸命聞く姿勢が求められる」ニュースと、「聞きやすくてわかったような気分にはなるけれど、伝える側の『編集』が大きく影響しているニュース。
どちらが「正しい」のか?
「いくら内容が正確でも、難しくて観て(聞いて)もらえなければ、その『正確さ』に意味はあるのか?」
以前書いたこのエントリでは、久米さんのあと、2015年まで12年間『報道ステーション』のキャスターをつとめた、古舘伊知郎さんとの比較が出てきます。
この『TVニュースのタブー 特ダネ記者が見た報道現場の内幕』という、『ニュースステーション』『報道ステーション』の元ディレクターが書いた新書のなかで、いちばん印象的だったのが、久米宏さんの「テレビキャスターとしての嗅覚」でした。
2001年に、『TVニュースのタブー』の著者がすすめた企画である『忍び寄る死の連鎖 プリオン病』がオンエアされた際の話。
久米さんは、常々「会社で残業して帰宅したサラリーマンが、風呂上がりでビールを飲みながら自宅で見ている状況を想定してVTRを作るように」と話していたそうです。
久米さんは、この『プリオン病』について、事前に使用するVTRをチェックして、11分のものを2つに分割し、間にキャスターによるスタジオでの内容の整理を挿入するよう指示していました。
久米キャスターのフォローはこれだけでは終わらなかった。本番で私たちの企画のオンエアが始まると、久米キャスターは、私が書いたリード(原稿全体の出だしの部分)を読み始める前に他のキャスターに笑いながら話しかけた。
「時々こういう特集があるんですけどね。目を5秒離すと分かんなくなっちゃうという。連休明けにいいんです、自分の理解力がどの程度あるかをチェックするのに、この特集は」
久米キャスターはこう前置きしたあと、原稿のリードを読み始めた。
「さて、ややこしい特集です。じっくり見てください。狂牛病という名前をご存じの方は多いと思いますが、牛が罹る病気で、発病すると必ずその牛は死にます。で、同じような病気がヒトにも存在しますが、これらの病気を総称してプリオン病と呼んでいます。詳しくは短いVTRが終わったあとでしますが、プリオン病、いったいどんな病気なのでしょうか」
「難しい内容ですよ」と前置きしてわざと視聴者を身構えさせてから、「最初のVTRは短いので集中して見てください」と呼びかけているのである。
TBS時代の久米キャスターをよく知っている、厚労省記者クラブのTBSのベテラン記者から「久米さんは、テレビの天才」と聞かされたことがある。その一端を見た思いだった。
いま、あらためて久米さんがキャスターとしてやってきたことを読んでみて、僕は思い知らされたのです。
久米宏という人は、みんながラジオからテレビの表現を受け継いできた時代に、テレビの枠からブログやYouTubeのようなインターネットサービス時代に一般的になった「伝えかた」を先取りしていたのではないか、ということを。
わかりやすく、短い言葉で、気軽に見られて、少し賢くなった、世の中のことを理解したような気分になれる、観ている「個人」に寄り添った、そんなコンテンツ。
それはまさに、ネット時代に配信者たちが試行錯誤の末に築いてきたものなのです。
「ディテールには間違いが少なからずある」とか「物事を単純化しすぎて、善悪二元論に陥っている」というような批判と、「でも、観てもらわなければ、評価のまな板の上にも乗らないんじゃない?」という反論と。
横山やすしさんと危ういタッグを組んだ『TVスクランブル』など、「炎上系」の試みもなされていて、今の時代に久米さんがバリバリの現役だったら、積極的にYouTubeにチャレンジしていたのではないか、とも思うのです。
久米さんは、テレビの時代を成熟させ、そして、テレビの時代を終わらせるきっかけをつくった人だったような気がします。
僕が子どもの頃に「テレビの面白さ」を教えてくれた、そして、数少ないカープファンの有名人だった久米さん。
最後まで、久米宏であり続けたことに脱帽し、感謝とともに、ご冥福をお祈りします。
ああ、久米さんならきっと、「そういう紋切り型の文章はいらないよ!」って言うんだろうな。