明日は参議院議員選挙か……
毎回、選挙の前になると憂鬱だ。こうしてブログとかを書いて、他者に読まれる(とはいっても、そんなに大勢ではないけれど)ことを思えば、投票には行く。少なくとも「行った」と書く。
「選挙は民主主義を支える大事なシステム!」「あなたの一票が世の中を変える!」とか言っておくべきなのかもしれないが、実際に投票するとなると、「この党がいい!」というよりは「ああ、どの党もなんか僕が嫌いな候補者がいるなあ、この人また出てくるのかよ……この元気とやる気と権力欲ばっかりの人たちの誰かに『清き一票』を投じなければならないのか……」と憂鬱になる。
投票したら、この人、あるいはこの党を「支持した」ことになるんだよなあ、とかなんとか。
あとで、僕はこの人を「支持」してしまったのか、と思いたくない……
名前を挙げるのはよろしくないのかもしれないが、自民党がYouTubeに「実はやってる、自民党」という広告を出しているのをみて、「議員が少ない政党ならともかく、選挙のときにだけアピールしなくても国民にふだんから伝える努力をするべきじゃないの? 政権与党だろ?」と思ってしまう。これは、国民側にも「選挙のときしか、政治がやっていることに興味を持たない」という面があるのかもしれないが。
これまでの僕の経験上、いま話題の参政党も、「なんでこんな時代錯誤で差別的なマニフェストが支持されるのだろう?でも、ガーシーとか石丸伸二さんと同じで、一度それなりの支持を集めてみれば、かえってメッキが剥がれて呆れられるだけかもしれないな、という悲観と楽観が入り混じっている。
外国人労働者云々の話も、僕は外国から来ている若者を診察する機会がけっこうあるのだけれど、彼らは日本を侵略しにきているのではなくて、言葉が通じず、文化も違う異国で、日本人が積極的にはやりたがらない仕事をやって、戸惑いながら生きている人ばかりだ。彼らも善意でやっているわけではなくて、現状、経済格差があるので日本で働いたほうが稼げる、というだけのことなのだが、大変だろうな、とは思う。
自分の身内や友達以外に接する機会がほとんどない、というのならともかく、めんどくさい人の割合なんて、少なくとも日本で生活しているかぎり、どこの国の人もあまり変わらない。
そもそも、人間そのものがめんどくさいのだ。僕もずっと自分がめんどくさくてたまらない。
この本の著者は、ナチ党が勢いを増していった理由のひとつを、次のように述べています。
共通していたのは、どんな場所でもユダヤ人が引き合いにだされ、不満とユダヤ人に向ける扇動が行われたことだ。そしてどの地域でも、現下の苦境の原因はヴァイマル共和国の議会政治家にあるという批判を展開し、議会制民主主義の打破を訴えた。
ナチ党は徹底した抗議政党であり、責任政党でないがゆえに厳しい批判と要求を住民の気持ちにそって政府につきつけることができた。
結果的に、ナチ党はおよそすべての社会階層に支持された。既成の保守・中道政党が、それぞれの支持勢力の個別利益を優先するあまり、相互対立が深まり、分裂を繰り返した結果、大衆にそっぽを向かれてしまったことも、ナチ党に有利に働いた。ナチ党に流れた票の多くは、それらの陣営からだった。
ナチ党が国民にあらゆる層で支持を得たもうひとつの理由は、この党が「民族の栄誉」を前面に押し出したからである。その一例が、戦没兵士の追悼式典の挙行だ。
ヴァイマル共和国政府はこの点で積極的ではなく、戦争賛美の印象につながる行事を避けていた。
これを読むと、いまの日本にとっては「他人事じゃないな」という気もしてくるんですよね。
経済的な停滞も含め、「土壌」としては、似ているのです。
いくらなんでも、ナチ党のユダヤ人(や障害者、ロマたちへの)絶滅政策は酷すぎるだろう、とは思う。
なぜ、反対の機運が盛り上がらなかったのか? やはり、ナチ党が怖かったのか?
(それでも、強制収容所での「虐殺」については、ドイツ国民に隠されていたそうです。さすがに反発を招くだろう、ということで)
ナチ党政権下のドイツ国民が、あからさまな人種差別政策を受け入れてしまった理由のひとつを、著者はこのように説明しています。
国民が抗議の声をあげなかった理由に関連して、ナチ時代特有の「受益の構造」にふれておこう。それはいったいどんなものだったのだろうか。
先にも雇用についてふれたように、ヒトラー政権下の国民は、あからさまな反ユダヤ主義者でなくても、あるいはユダヤ人に特別な感情を抱いていなくても、ほとんどの場合、日常生活でユダヤ人迫害、とくにユダヤ人財産の「アーリア化」から何らかの実利を得ていた。
たとえば同僚のユダヤ人がいなくなった職場で出世をした役人、近所のユダヤ人が残した立派な家屋に住むことになった家族、ユダヤ人の家財道具や装飾品、楽器などを競売で安く手に入れた主婦、ユダヤ人が経営するライバル企業を安値で買い取って自分の会社を大きくした事業主、ユダヤ教ゲマインデ(信仰共同体)の動産・不動産を「アーリア化」と称して強奪した自治体の住民たち。無数の庶民が大小の利益を得た。
(中略)
ユダヤ人財産の没収と競売、所有権の移転は、細部にいたるまで反ユダヤ法の規定にしたがって粛々と行われ、これに携わった国税庁・市役所などさまざまな部署の役人も良心の呵責を感じることなく仕事を全うできるシステムができあがっていたのだ。ユダヤ人の排斥を支える国民的合意が形成されていたとはいえないにせよ、ユダヤ人の排斥を阻む民意は見られなかった。
多数派にとって、自分に「ちょっとした利益」と「法律という後ろ盾」があれば、少数派を排斥する、あるいは、排斥しなくても、「見捨てる」ことは、そんなにハードルが高いことではなかったのです。
それは、いまの世の中でも、同じなのだと思います。
現在のドイツのように「移民に対して大きな社会的なリソース(お金や人手)」が使われている国であれば、「その分を自分たちに回してくれよ」と言いたくなる気持ちも理解はできます。
でも、いまの日本で、少なくとも直接的に移民によって傷つけられているわけではない人たちが、いまの自分が置かれている状況への不満を「移民差別」や「懐古主義」に置き換えてしまうのが、正解だとは思えない。
歴史を思えば、日中戦争から太平洋戦争に向かっていく前の日本は「大正デモクラシー」と呼ばれる、日本史のなかでも民主主義や自由が重んじられていた風通しの良い時代だったのです。
逆にいえば、そんな時代からでも、わずか数十年で、「欲しがりません勝つまでは」「鬼畜米英」と多くの人が叫ぶ時代になるのが人間の集団なのです。
僕は戦争がない時代を生きてきた幸運な日本人だけれども、それはあくまでも「幸運と先人の努力とこの時代の世界のパワーバランスの偶然」でしかない。
この本を読んでいて特に印象に残ったのは、竹田ダニエルさんが語っている「アメリカの若者たちが置かれている状況」の話でした。
竹田:自分のアイデンティティのためだけに、オバマやハリスに代表される民主党の政治家をポップカルチャー的に支持できる政治の時代は終わったと言えます。これまでアメリカの帝国主義的でアメリカ・ファーストな行動が国内で容認されてきたのは、一般的なミドルクラスのアメリカ人に恩恵があったからです。
しかしミドルクラス自体が消滅しつつある中、恩恵はないどころか被害が膨らんでいる。カリフォルニアにある私の家の近くでは今、ガソリンが1ガロン(約3.785リットル)7ドル(約1050円)以上と、少し前の2倍以上になっているし、かつて5000円で買えた生鮮食品が1万円する。政権はそうした過度のインフレも止めようとしていない。対策をすると口約束をしながらも、市民たちの実感としては「止めようとしていない」ようにしか見えない。日々の生活の実害を考えれば、支持できないと思う人が増えるのは当然ですよね。
でも市民はこの状況にどう抵抗すればいいのかもわからない状況です。働き続けなくては生きていけないから抗議活動にも参加できない。搾取されるだけされて、無気力になっている人がいかに多いか。
竹田:家賃の高騰は深刻な問題です。USバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)の学部生の10人に1人がホームレス状態を経験したことがあるという統計もあります。高層マンションや集合住宅の建設がなかなか許可されないため、狭いけど安い部屋という選択肢がない。日本の狭い賃貸アパートの動画が「羨ましい、こういう部屋があれば若者も住めるのに」とSNSでよくバズるほどです。
竹田:将来への不安。これは左右関係なくアメリカの若者全員にあると思います。みんなギリギリの生活をしながら、もっと稼がなくちゃと思っている。暮らしていくために副業をしたり仕事をかけ持ちしたりしなければならない状況にある人もいるし、よい大学さえ卒業すれば将来は安泰と言われていたのに、何度応募しても面接を受けても仕事がもらえず、仕方なく実家暮らしをして、親が自分の歳だったときと比較したら明らかに「しょうもない生活」としていて虚しくなる人もいる。
クレジットカードで1000万円相当の借金をしている人が普通にいるし、それが消費行動にも表れている。コロナ以降、いつ死ぬかわからない、明るい将来が想像できないという不安の上に、死ぬまで働き続けなくてはいけないだろうという前提を抱えているから、クレジットカードで衝動的な高額の買い物をしたり、旅行に行きまくったりすることに抵抗がない人が増えていると言われています。そのような消費行動は”doom spending”と呼ばれ、話題になりました。
大学を卒業できれば就職でき、仕事を頑張れば将来楽になれるという、いわゆるアメリカン・ドリームは完全に崩壊しています。多くの若者は、「自分たちはずっと嘘をつかれてきた」と言います。ミレニアル世代が薄々気づき始めたその絶望に、早くも10代や20代で直面しているのがZ世代なのです。
こういうアメリカの若者の現状と、それに近づいている日本の若年層の立場を想像すると「こんな行き詰った『安定』なんて、『閉塞』でしかない、クソくらえだ! いったんリセットしてくれるのなら、とりあえず方法は問わない(でも自分が戦場に行くのはさすがに嫌だな)」というのも無理はない。
実際の若者たちは、サブスクの配信サービスやSNSやセールのテレビゲーム、推し活などで、それなりに日々を楽しく生きているようにも見えるのですが、1970年代生まれの僕が抱いていたような「未来はきっと良くなるはず」という漠然とした期待感は、すでに失われています。
人類全体としては「豊か」な方向に「平準化」されてきているのは事実なのですけど。
『はてな匿名ダイアリー』には、こんなエントリもありました。
匿名なので、これが本当に東大卒の人が書いた事実かどうかは証明のしようがないのですが、大学の「みんなで仲良くして、団結して学生生活を謳歌しようぜ!」みたいな多数派が眩しすぎてなじめず、ずっと距離を置いて陰キャライフを過ごしてきた僕には、すごく共感できる話でした。
ただ、同じくらいの偏差値の人たちが集まった大学のクラスでさえも、そして、東大生という能力が高そうな人たちでさえも、ひとつのクラスのすべてに目配りするのは無理だよなあ、とも感じたのです。
高校や大学の同級生の名前を、何人すぐに思い出せますか?
ネットでは「〇〇が足りない」「××について触れられていない」という批判がなされがちですが、多くの場合、それはその人の不勉強とか意図的な無視ではなくて、人間の能力の限界なんだと思います。
結局は、自分で声を挙げることができなければ、助けてもらうのは難しい。
ネット社会というのは「アピールのしかたが上手い人ほど有利」という偏りが大きくなった社会でもある。
僕は大きな書店に行くたびに、自分はけっこう本を読んできたつもりだけれど、この書店の書棚ひとつ分も読めていないし、身にもついていない。そしてほとんど未読のまま死んでいくんだな、と老眼を抱えながら心の中でため息をついています。
ネットではとくに「自分は知っていて、相手が知らないことを『不足』『不勉強』としてマウンティングする」「自分を出さず、徹底して相手の弱点を突く」人が目立ちます。
それは「せめてネットのなかでだけ弁慶化するための作法」なのかもしれないけれど、世界の(日本の)すべてにひとりの人間や組織が目配りするなんて無理なんですよ。
だから、国会議員はこんなにたくさんいるし、参議院と衆議院があって、地方議会もある。
本当は、みんながお互いが見えているものを持ち寄って、世の中が少しでも良くなるように、最適化できるように、できればいいのだろうな、と思います。
でも、実際は「お互いのマイナス点をあげつらう戦い」になりがちです。
この本で著者が検証しているのですが、「美しい日本の歴史」だと一部の人たちが主張しているものの多くは、明治維新以降に「国民を統合するために意図的につくられたり、改変されたり、修飾されたりした物語」でしかないのです。
日本の家族制度だって、高度成長期以降、近50年くらいのものが「日本の伝統的な家族観」だと思い込まれているだけです。
ちなみに、それ以前は、もっと父権主義で、現代人には受け入れがたい時代もありました。
こんなエントリもありました。
内容には総じて僕も賛同するのですが、紹介されていたこの記事で、僕はちょっと「引っかかった」のです。
重箱の隅をつついて申し訳ないのですが、この記事を読んでいて思ったのは「OTC類似薬」についての説明や解説が(リンクの添付も含めて)一切なされていないことでした。
そういうとこだぞ、共産党。
「OTC類似薬」って、そんなに、みんなが知っている言葉なのだろうか?
わからないならお前が持っているスマホで検索しろ、というスタンスなのかなあ。
でもこれ『しんぶん赤旗』っていう共産党の公式サイト的なもので、一般の閲覧者を想定しているはずですよね。
それならば、せめて「OTC」が何の略か、あるいは「OTC薬についての簡単な解説やそれがわかるリンク」くらいはページ内にあるべきだと僕は思います。
なんでこんな揚げ足取りをわざわざやるかというと、僕も長年ブログを書いてきて、「自分が知っていることをみんなが知っているとは限らない、逆もまた然り」というのと「人は手にスマホを持っていても、わからないことをわざわざ検索しない」ことを実感しているからです。
知っている人からすれば「くどい」と思われることは承知で、自分のブログでは、略語は正式名称を添えたり、簡単な説明やリンクを添えるようにしています。
共産党が「みんなのため、弱者のための政治」を標榜しているのであれば、もっと「読む人の立場を想像する」「自分たちが伝えたいことを、相手に伝わりやすいように工夫する」ことを考えるべきではなかろうか。
「俺の考えがわからないのは、お前の勉強不足」
全部を説明するのは無理でも、そんな印象を持たれては、誰もついてこないよ……
「投資に向いている人は、投資をやろうと思わない人」なんていう言葉がありますが、僕はずっと「政治家になりたい、政治をやりたいなんていう人を『支持』するのは、なんか嫌だな」と思い続けてきました。
学生時代の学級委員選挙や生徒会役員選挙ではみんな手を挙げないのに、なぜ大人になると、みんな「政治家」になりたがるのか。
いや、気分としては少しずつわかるようになってはきたんですよ。
年を重ね、命の終わりがみえてくると、少しでも、世の中の役に立ちたい、自分が生きた証として、自分がいて少しは世界がマシになったと思いたい、とか、考えてしまうようになりました。
ある意味、「自分が死んだら、世界は終わり」ではあるし、「自分の子どもたちや未来の人類のために、より良い世界を遺したい」とも思う。
もっとちゃんと「政治」に向き合ってくればよかったな、と後悔もしているのです。
でも、政治って、基本的に「陽キャラの世界」に見えるんだよなあ。あいつらみんな落選したら面白そうだなあ、という僕の陰キャ魂がうごめいてしまう……
それでも、今回は少しでもマシだと思えるほうに、投票しに行きます。
消極的な選択でも、「こんな世の中になった責任の砂粒ひとつくらい」は、僕にもあるだろうから。
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