「EXPO 2025 大阪・関西万博(以下、2025大阪万博)」が2025年4月13日に開幕しました。
2025年なんて、だいぶ先の話だよなあ、なんかパビリオンの建設も遅れているみたいだし、大丈夫なのかな。
そもそも、このインターネット社会にわざわざ会場に足を運ばなければならない「万博」なんて、需要があるのかねえ。
そんなことを思っているうちに、えっ、もう開幕なの?と驚いてしまいました。
僕が最近地上波のテレビをほとんど観ていないこともあり、ネットニュースには詳しくても、時事に疎い、というのも事実なんですが。
冒頭の記事を読んでいたら、2025年、これほどIT技術が進んでも、いや、進んだからこそ、こういうことが起こるのか、そして、いろんな想定が甘かったし、なんのかんの言っても、みんなこういうイベントには行ってみたくなるものなんだな、と思ったのです。
個人的には、4月13日は、阪神競馬場にどのくらい雨が降って、馬場状態がどうか、のほうが気になってはいたけれど。
僕自身は、まだ万博には足を運んでいませんし、あんまり興味もないのですが、正直なところ、始まって話題になってくると、「機会があったら行ってみようかな」というくらいの気分にはなっています。
1970年の大阪万博で「月の石」を見た人たちは、50年も経ったら、月の石なんて珍しくなくなっている、と予想していたのではなかろうか。
未来というのは本当にわからないよね。あれから50年、宇宙開発は期待ほど進まず、地球の人口も天井が見えてきて、スマートフォンという精巧な超小型コンピューターが1人1台普及し、インターネットでのコミュニケーションが当たり前になる時代が来ているとは。
「2025大阪万博ひどい!」という感想をネットでたくさん見かけたのですが、僕はそれを読んでいて、1985年に行われた「国際科学技術博覧会」(科学万博-つくば’85。以下、つくば万博)を観に行った時のことを思い出しました。コスモ星丸!
当時、僕は中学生で、母親の実家が茨城だったので、そこに泊めてもらって、2日間、万博会場に通ったのです。
会場はものすごく人が多くて、人混みが苦手な僕はかなり辟易しましたし、有名パビリオンの大行列には参りました。
人気があった富士通のパビリオンで3D映像を観たくて、行列嫌いの親に頼み込んで3時間並んだのですが、待つのが苦手な父親は途中で何度もr列を離脱していました。
3D映像は確かにすごかったけれど、待ち時間を考えると「もう終わり?」っていう感じではありました。
おまけに買ってもらったばかりのカメラを会場で失くしてしまう、というアクシデントもあって(結局、問い合わせたら落とし物として届けられていてカメラは戻ってきたのですが)、なんだかもう気まずい雰囲気ばかりが残っているのです。
なんかもう暑かったし行列しんどかったし、その割にはパビリオン微妙だったな、という記憶と、母親の実家は農家で、当時はトイレが汲み取り式の「ぼっとん便所」として離れにあったのをよく覚えています。
そして、あの行列嫌いで、デパートで母親が洋服を選んでいる時間でさえひたすらイライラしていた父親が、ブツブツ言いながらも子供たちの望みをかなえてやろうと我慢していたのも懐かしい。
僕も半世紀くらい生きてきて、いろんなイベントに参加しましたが、記憶に残っているのって、そのイベントの内容だけでなく、そこで起こった大変なことやトラブル、一緒に行った人たちの様子が多いのです。
今回の2025大阪万博の開幕日の問題って、人が多すぎることや電波障害(というか、通信が混雑しすぎて回線が不足した)、天候への対策不足、が主でした。もちろん、「パビリオンの内容がつまらない」という意見もたくさんあったのですが、それこそ、つくば万博の時代ほど、人は科学技術に期待も驚きもしなくなっていますから、「珍しいものを展示する」くらいしかなくなってきてもいるのでしょう。
それこそ、バーチャル空間、ネット上にパビリオンを作って、「オンライン万博」で良いのではないか、とも思ったんですよ、2025年にやるならば。
でも、冒頭の記事を読んで、「こりゃひどい」と呆れながらも、僕は「ああ、結局のところ、人の記憶に残ったり、後々まで話のネタになるのは、こういう『ひどいエピソード』なのかもしれないな」とも感じたのです。
1985年のつくば万博では「並ぶのきついし、もううんざり」だったし、ファミコンの『ドラゴンクエスト3』を買うための大行列は、もはや伝説になっています。
現在、2025年は、さまざまなジャンルでネット予約が可能になったり、人気の商品は抽選販売になったりして、人は、そんなに「行列」しなくなったじゃないですか。それこそ、超人気の飲食店とか混雑する日のディズニーランドのアトラクションとかくらいです。
あるいは、今回の2025大阪万博のマネージメントとの比較でよく話題になるコミックマーケット(今回の万博は12万人で、コミケは15万人も来るのに、コミケでは通信障害が起こらず、スムースな運営が行われているそうです。僕は行ったことないんですが。ただ、コミケは参加者が万博より(たぶん)平均年齢が若く、ITにも慣れている人が多いというのは考慮する必要があるでしょう)。
いま大きな話題となっているNintendo Switch2の予約も、オンライン、ネット予約+抽選、という店舗ばかりで、大行列はできそうにありません。
もちろん、並ぶことのつらさを考えると、大行列なんてできないほうが良いのだけれど、これだけ「行列や混雑ができにくい社会」になってくると、かえって、「並ぶこと、混雑した場所でひどい目に遭うことそのものが貴重な経験」にもなりそうです。混雑を体験するというか、現場のライブ感というのは、やはり、その場でしか味わえない。
競馬のG1レースなんて、馬券を買ってレースを見るだけなら、ネット投票+テレビ観戦で何の問題もありません。むしろ、窓口で並んで買おうとすると、締め切り時間のだいぶ前から並ばなければならないし、締切で買えなくなったり、早めに買ったら直前にオッズが大きく動いてしまったりすることもあります。
競馬場に行って、ライブでレースを観ながら、スマートフォンで馬券は買う、という人も多いはず。
コミケだって、全部オンラインで完結してしまうことも可能ではないかと思うんですよ。
そのほうが「便利」ではなかろうか。
でも、多くの参加者は、たぶんそれを望まない。
2025大阪万博のマネージメントは、現時点ではかなり酷そうではあるのですが、ああいう大規模イベントというのは、今の世の中ではなかなか味わえなくなった、「不便さ」や「理不尽な対応」を記憶に刻みつけるためのものなのかもしれません。
「普通に楽しい万博」よりも「最低の万博」のほうが、ネタにはなるよね。
今はもう、ネタになるほうが正義、という社会でもある。
もしかしたら、こういう「伝統的な万博」が大規模に日本で開催されるのは、これが最後になるのではないか、という気もします。
この40年間で、1985年の「つくば万博」のときに大行列だったパビリオンと同じくらい(あるいはそれ以上)の映像が家庭用ゲーム機で見られるようになったけれど、人間の行動とか「祭り」を体感したいという気持ちは、科学技術ほど急激には変わらない。
「祭り」っていうのは、たぶん、その場の雰囲気を楽しむためのものなんですよ。神輿を担いでいたり、山車を曳いたりしているのって、その行為自体は、別に面白くもなんともない。でも、人はやっぱり、群れたい、集まって賑やかな時間を過ごしたい、のかな、とは思うのです。
それにしても、あのつくば万博のときの両親よりも、今の僕はずっと歳を重ねてしまったわけか……
fujipon.hatenadiary.com
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