以下の内容はhttps://fujipon.hatenablog.com/entry/2025/01/28/084123より取得しました。


ファーストガンダム直撃世代が観た『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』感想(ネタバレ前提です)



www.gundam.info

宇宙に浮かぶスペース・コロニーで平穏に暮らしていた女子高生アマテ・ユズリハは、戦争難民の少女ニャアンと出会ったことで、非合法なモビルスーツ決闘競技「クランバトル」に巻き込まれる。


 やや遅ればせながら、2025年1月25日にIMAX版を観てきたので感想を書きます。
 なぜこちらに書いたかというと、ネタバレなしで書くのは難しかった(というか、公開1週間以上経って「ガンダム好きは予備知識なしで絶対に映画館で観ておくべき!」なんて言われても、「ああそうですか」って感じですよね。
 いや正直なところ、僕はこの作品、あまり興味を持てないまま、ちょうど映画館がある施設で舞台開演待ちが2時間くらいあったので、時間を有効利用しようと思って観てみた、というくらいの熱量でした。
 でも、目の前で起こった予想外のさまざまなことが、ものすごく楽しかったし、久々にワクワクしながらエンドロールを観ていました。
 それと同時に「これでいいのか」「僕(たち)のガンダムをどうするつもりなんだ?」と心がざわつきまくりもしたのです。

 「掟破り」というか「こんなことをこんなにお金と手間をかけてやるのか?」



 というわけで、以下は容赦無くネタバレする感想です。
 隠してはおきますが、読まれる方は、ネタバレ上等!の覚悟でお願いします。


 本当にネタバレ全開なので、観てない人はまず作品を観てほしい。
 先行上映を映画館で観る料金の半分くらいは、「なんじゃこれは!」という動揺に払っているような気もするので。

 
 以下ネタバレ感想です。





 僕は熱烈な『ガンダム』シリーズの視聴者というわけではなくて、1979年からテレビ放映された「ファーストガンダム」こと『機動戦士ガンダム』はリアルタイムではほとんど観たことがなく、のちに再放送でテレビシリーズ、そして映画3部作を観て好きになりました。当時は小学校で「ガンダムごっこ」とかをよくやっていたのですが、当時から一番人気は「赤い彗星のシャア」で、「アムロ」はさほど人気がありませんでした。

 アムロとシャアの『ガンダム』には思い入れがすごくありましたし、『逆襲のシャア』も映画館で観ました。TMネットワークの主題歌、すごくカッコ良かったよねえ。映画のエンドロールでは短い時間しか流れなくて残念だったことを覚えています。

 そして、『逆襲のシャア』のラストについても、「いや、なんのかんの言っても、アムロとシャアは生きていて、いつかまたふたりの物語の続きが描かれるのではないか」とほのかに期待してもいたのです。まあ、普通に考えたら、あれで生きちゃいないだろうし、あのコロニー落としって、大勢の人を巻き込んだシャアとアムロの無理心中みたいなものだな、とも今は思うのですが。『Zガンダム』では、けっこう仲良くなっていたのに……

 僕は「ガンプラガンダムのプラモデル)を買うために、デパートの開店ダッシュをしておもちゃ売り場に向かったことがある、という程度の、当時としてはごく平均的なガンダムファンで、『Zガンダム』はアムロとシャアが出ていたこともあって完走したものの、『ZZ』の途中で「明るい世界観」についていけなくて離脱、それ以降は「ファーストガンダム関連」は時々追いかけていたものの、『ユニコーン』『SEED』の時期も、完全にスルーしていました。

 正確には、『ユニコーン』にはアニメを1話も観ていないのに、おおまかなストーリーはパチンコ台の演出で把握している(であろう)くらいに接してはいるのですが。

「人がどれだけ足掻こうと結末は変わらない」
 パチンコ台で確率変動終了時に親の顔より見たフル・フロンタル……


 結局のところ、僕にとっての『機動戦士ガンダム』は、「ファーストガンダム」関連と『Zガンダム』までで、それ以降は「戦争の重さがあまり描かれていない、人情ドラマやラブコメみたいなのは『ガンダム』じゃない、というか、あまり興味が持てなかった」というのが正直なところです。

 「大山のぶ代さん以外はドラえもんの声じゃない!」と令和7年に叫んでいるようなもので、「ファーストガンダム至上主義の老害」とでも言うべきなのかもしれません。
 実際は、2025年のガンダムファンには1979年のファーストガンダムは観たことない、古臭くて観るのはきつい、という人のほうが多いのではなかろうか。



 で、ようやく『GQuuuuuuX(ジークアクス)』の感想が始まります。

 「ファーストガンダム」と(たぶん)同じ「宇宙世紀0079……」のナレーションからはじまり、ジオン軍による『ガンダム』の機体強奪作戦、その張本人は、あのシャア・アズナブル。あれ、でも、声は池田秀一さんじゃないんだな、格好はシャアだけど、池田さんの声じゃないとやっぱり「らしくない」な。それにしても、軍人であんな素顔がわからない格好をしているのは軍規的にどうなんだ、当時も謎だったけど。
 最初の数分くらいは、サブエピソード的な、「ガンダムアムロが乗る前に、こんな裏エピソードがあったんですよ」っていう昔からのファンへのサービスシーンなんだろうな、あれ、けっこう長いなこれ。よくこんなディズニー映画の時間調整のためみたいな短いエピソードにこんなに凝ったねえ、と思っていたのに。


 ……えっ、シャアがガンダムを赤く塗って乗っちゃうの? ジオンが地球連邦軍に勝っちゃうの?
 アムロは、ブライトさんは、ララァは? それにしても、マ・クベさんの制作サイドからの人気っぷりよ。『ククルス・ドアンの島』にも出ていたしなあ。
 キシリアさん相変わらずかっこいいな、というか、1979年にこんな「強い女性指導者」を描いていたんだな。

 これは「裏エピソード扱い」なのか、まさかの「夢オチ」なのか、あるいは、主人公たちが遊んでいたタイムリープもののゲームの「ジオン勝利ルート」という扱いなのか、あるいは、この『ジークアクス』そのものが「タイムマシンを手に入れたシャア・アズナブルが、未来を変える『シュタインズ・ゲート』的な「歴史改変もの」なのか?


 率直に言うと、僕はこの前半の「ジオンが勝ち、シャアが行方不明になる世界線一年戦争」には、モビルスーツのデザインのカッコよさとか、「シャアが赤いガンダムに乗っている!」という驚きとともに、「僕がずっと観てきた『ガンダム』の歴史を勝手に変えるなよ、いまさら池田秀一さん以外のシャアなんて、YouTubeのMAD(MADムービー)とかでやってりゃいいだろ!という苛立ちを抱えずにはいられなかったのです。

 長年繰り返されている「ファーストガンダムの追加エピソード」や「裏話」に、辟易している面もあります。
 
 映画で、これだけの技術と人手と予算を使って、当時の映像や音楽へのリスペクトがこもった素晴らしい映像で「ぼくの考えたジオンが勝ち、シャアがニュータイプの象徴として神のような存在になる世界線ファーストガンダム以後」を見せられると、「すごいなこれ……」というのと同時に「なんかこれ、ズルくない?」って言いたくなるんですよ。

 二次創作なら、同人誌とかでやってコミケで売っていればいいのに。
 ファーストガンダムの歴史を変えるようなことを、こんなに大々的にやられると、「今まで自分が観てきたものの解釈が変えられてしまうんじゃないか」と不安にもなるのです。
 ファーストを観ていない人にとっては、こちらが「正史」になってしまうかもしれない。

 
 こういう「歴史のif」を個人の想像の範囲内ではなくて、作品にしたものって、これまでも歴史上、ずっと作られてはきたんですよね。

 孔明が司馬仲達を倒し、劉備が天下を統一する『反三国志』とか、太平洋戦争で日本が勝ってナチスドイツと世界の覇権を賭けて戦う世界を描いた架空戦記とか。
 「歴史」に対して、「こうだったらよかったのに」が高じて、「想像の世界で、贔屓の側を勝たせてしまう」気持ちはわかるし、僕もそういう小説を「娯楽として」手に取ったことはあります。

 ただ、読んでいるうちに、「どうせ本当の歴史では、こんなにうまくいかなかったんだよな」と、かえって白けてくるのも事実です。
 『三国志演義』は、志半ばにして、劉備関羽張飛を失い、五丈原孔明が落命するから忘れがたくなるのかもしれません。

 考えてみれば、『機動戦士ガンダム』そのものが、「フィクション」なわけで、「こんなジオンが勝つ偽歴史は、ご都合主義すぎてなんか受け入れ難い」というのも変な気もします。
 もともと「フィクション」であったものが、異なる展開になっていったとしても、「原作に失礼」「ガンダムはこんな話じゃない!」とまで言えるのかどうか?

 元がフィクションなだけに、「この話がどう転がっていくのか、予想もつかない」という魅力もあるんですよね。「どうせifの話なんだから、なんでもアリ」とも考えられますし。
 
 「歴史改変」であるのと同時に、『ジークアクス』の「日常に閉塞感があった若者が、軍人でもないのにモビルスーツに偶然乗れてしまい、戦いに巻き込まれていく」というのは、まさに「ファーストガンダムへの原点回帰」なんですよ。
 この物語に、アムロ・レイはいなかったけれど、アマテはまさに「2025年にアムロ・レイを再構築した存在」でもある。
 本家のほうは声優さんが役を離れてしまいましたし。

 制作側にも「ここまで二次創作的な作品を大々的に世に出すこと」への迷いやためらいはあったように思います。
機動戦士ガンダム』があまりにも大きな存在であるがゆえに。

 『北斗の拳 イチゴ味』のような「最初から原作をネタにして、ギャグに全振りしてます」っていうのなら、観客として割り切りやすいのだけれど。

 シャアの声優が変わっていたのも、ビジュアル的には、作品のアイコンでもあるシャアの姿を変えるのは難しかったけれど、演じようと思えばできたはずの池田さんが声をあてなかったことは、「これは、アナザーワールドです」「こうなったかもしれない、一年戦争後のスペースノイドニュータイプの物語なので、1979年版にこだわりすぎずに楽しんでほしい」というメッセージなのかな、とも感じました。
 『ジークアクス』のシャアは、シャア・アズナブルという「概念」みたいなもの、あるいは「神」なのだろうか。
 『ゴドーを待ちながら』みたいな話だな。

 
 この二次創作っぷりへの違和感と、だからこそどんな展開になるかわからないワクワク感、そして、アニメーションとしてのキャラクターやモビルスーツ、メカ、宇宙空間の描きかたのクオリティの高さへの感動。
 IMAXで観た、というのもあるのですが、いま大画面で観るモビルスーツ戦の映像と音響効果、懐かしい『ガンダム』の音楽や効果音は「最高!」でした。

 これを機に、ファーストガンダムを観てみよう、という若い人が増えたらいいな、と思うし、いっそのこと、ファーストガンダムのリメイクにすればいいのに、という気もするのですが、あの世界観を現代にそのまま持ってくるのは難しい。


 この『ジークアクス』は、ストーリー的にも「ファースガンダム」を想起させるところがたくさんあるし、スタジオカラーによる『シン・機動戦士ガンダム』なのかもしれません。
 そして、「二次創作」だからこそ、「この先がどうなるのか予測困難」というワクワク感がある。

 率直なところ、『ガンダム』で「戦争」あるいは「戦い」「ニュータイプ」を描くとなると、物語のどこかで、「どんどん重苦しいものに主人公たちが巻き込まれていく」のも予想してしまうのです。
 「大きな世界観は、機動戦士ガンダムのもの」であれば、なおさら。

 それを考えると、この『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』は、「この先が楽しみ」であるのと同時に、「ここまでで終わってしまったほうが幸せ」というか、この先は、上がりすぎてしまった「どんなことが起こるんだろう?という期待感と『ガンダム』らしさ、のあいだ」で、迷走してしまうのではないか」という不安もあるのです。
 そもそも、「ファーストガンダムを知らない世代」にとっては、この『ジーアクス』劇場版は、「前半は懐古趣味のおっさんホイホイ、後半はありきたりな巻き込まれバトルアニメ」だと見なされてもおかしくない。で、肝心のオッサンも「ちょっと待て」と戸惑っている。
 でも、みんななんだかけっこうワクワクしている。


 そういう面も含めて、「今後がすごく楽しみ」な作品なのは間違いありません。
 上映終了後のシアター内のざわめきから、「この作品のことを誰かに語りたくてしょうがない」という観た人たちの気持ちが伝わってきました。

 アマテのソウルジェムが濁っていくのは観たくないな、とも思いつつ。
 



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  • 古谷 徹




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