親族の新盆を迎え卒塔婆を供えたいと檀那寺に電話をしたところ、御住職の奥様から「それなら新盆の合同法要をやりますので、出席されてはいかがですか。」とおさそいの言葉を頂戴した。
断わる理由もなく有り難く参加をお願いした。
当日は、雨のパラつく中を小一時間早く檀那寺に到着し、御布施が少ないかなと気にしながら受付を済ませました。
長方形の控室に招き入れられると、部屋と同形に並べられたテーブルとその長辺に10席ほどずつ椅子が並べられている。
男性1人と女性2人が先に座って居た。さて、どこに座ったものか。
生来こうした儀式張った所は苦手であった。
周囲の目が気になって、自分がどう振る舞ったら良いのか、とんでもない失態をやらかすのでないかなどと疑心暗鬼になって、頭の中は悪い予感のオンパレードに陥いったものだ。
昨今は大分違って来た。今在る心も体もこの一つだけ、これ以上の自分もこれ以下の自分もない。ある意味現時点ベストの自分で何事もやり切るしかないと思うようになって楽になった。
先客より少し離れた席に座り、用意されたお茶と榮太樓の飴を味わいながら、しばし親族のことを思い出したりして過ごす。途中、受付の時に頂き損ねた袋を御住職が届けに来てくれ、有り難く頂く。中には、精霊棚に供える菓子と宗派の広報紙などが入っている。飴の入った籠がテーブルの中央に1つしかないので、回すべきかなと頭に浮かぶが、法要の席では静かにしておこう。
定刻になると、係の方が来て本堂の席に案内され着席、鐘やら木魚やらの力強い響きと読経の二人デュオに包まれて法要は厳かに進み、お焼香、お念仏など1時間、滞りなく終了した。
法要後御住職に挨拶をして、いつになく清々しい気持で寺を後にしました。
お盆は、お釈迦さまの弟子の目連遵者が、餓鬼の世界に堕ちた母親(尊者を溺愛する余り周囲の不幸に無関心であった)を、お釈迦さまの教えのとおり7月15日に僧侶を招き供物をささげて供養することによって極楽往生させることができたという話が元になり、今ではご先祖を家に迎え供養する行事となっています。